お釈迦様「強いものが生き残れる?いいえ、違います」障碍者問題で [仏教]
お釈迦様は、障碍者についてどう考えていたのでしょうか。そのヒントになる動画をご紹介します。といっても僧侶や住職の動画ではありません。先日もご紹介した、rの住人ピエロさんの動画です。「強いものが生き残れる?いいえ、違います」と述べています。
障害者という言葉を聞くだけで不愉快に感じる方へ https://t.co/QJTCZkELz8 @YouTubeより
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) May 26, 2023
『障害者という言葉を聞くだけで不愉快に感じる方へ』というセンセーショナルなタイトルの動画です。
あなたは、障碍者や高齢者に対する福祉予算を、無駄金と思っていませんか。
弱いから変化が必然的にある
ピエロさんは、「なぜ税金を使って障害者や高齢者を支援する必要があるのか」と、疑問に感じる人々の差別的本音を暴いて、それは勘違いしていると警告しています。
自然界では弱肉強食なのに、なぜ人間社会では弱者を助けることが必要なのか
……という意見を例に挙げ、弱肉強食が正しいのだったら、ライオンが絶滅危惧種にある現実や、すでに絶滅した恐竜の説明がつかないだろうと、反証しています。
強いものが生き残れるのではないのか。
いいえ、違います。
変化し続けられるものだけが生き残れる、と。
恐竜ではなく、人間が生き残ったのは、変化したから。
逆に、世界の経済界に大きな影響を持った「強い」超大企業のリーマン・ブラザーズが生き残れなかったのは、大名商売をし、変化しなかったから。
そして、ここが大事ですが、
変化するためには、弱さを持っていなければいけない。
弱いからこそ、変化し続けられる。
我々人間が、食物連鎖の頂点に立ち続けられ、他の追随を許さないのは、どの動物よりも変化し続けたから。
ライオンより力は弱いし、象より体は小さいし、チーターより足は遅いが、人間は頂点にいる。
それは弱点を克服し、変化し続けたから。
弱いからこそ、変化が必然的に存在した。
ピエロさんは、そう述べています。
たとえば、障碍者の運動が、現実があったから、2000年にバリアフリー法が出来て、エレベーターが義務化された。
それによって、高齢者や妊婦、子どもにも、そして私たちにも住みよい社会に進歩した。
私もこのブログで、散々、飽きるほど書いてきましたよね。
障碍は社会進歩の突破口になり得るんだと。
⇒障害者が「当たり前」でない日本人のメンタリティ
ピエロさんは、こう結びます。
「障害を持てば、一般的な生産性という面では劣り、批判の対象になるであろうが、今後はAIの発達により、生産性という問題が解決される今後、人間は欠陥だらけの生き物であると痛感させられ、それをただわかりやすく『障害』と称した概念は、今後100年200年単位で完全に消え、個性というククリで語られるだろう」
まあ、障碍者と一口に言っても、色々レベルや種類があるので、なかなかきれいごとでまとめるのはむずかしいのですが、大筋では賛成です。
何より、ピエロさんの動画のコンセプトには、いつも仏教を感じます。
諸行無常、そして諸法無我
仏教は、弱肉強食をどう見ているか。
ゴータマ・シッダールタさん(お釈迦様)が長年かかって悟った結論は、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」そして「一切皆苦」の四つであり、それを四法印といいます。
諸行無常: すべての物事は常ならざるものである。
諸法無我: すべての物事は我ならざるものである。
一切皆苦: この世のすべては苦しみである。
涅槃寂静: 涅槃は安らぎの境地である。
諸行無常(しょぎょうむじょう)は、仏教用語で、この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいいます。
諸法無我(しょほうむが)は、仏教用語で、すべてのものは「因」と「縁」によって生じた結果によって成り立っており、「我」の意志で成り立っているわけではない、という意味です。
ひらったく言いますとね、ずっと強い者なんていない、という話です。
そして、「ずっと強くありたい」などという野心は、木っ端微塵に打ち砕かれる、というのです。
盛者必衰の理をあらわすっていうでしょ。
自然も社会も変化しているのです。
たまたま、ある「因」と「縁」によって「強い」ように見える現象がめぐっただけで、そこで満足していると、あっという間にそのポジションはなくなってしまうといっているのです。
大事なことは、強いことに君臨しようとすることではなく、強くない現実から変化しようとすることなんです。
それを仏教は、四法印で教えてくれています。
そして、障碍者がいるということは現実であり、すべての現実は「因」と「縁」による成立の意味があるんです。
弱者は淘汰すべし、などという「我」は、諸法無我の理の前では全く意味も道理もありません。
欠点があるからこそ伸びしろがある
倫理的には、「慈悲」も説いています。『阿含経』から引用します。
すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。(ダンマ・パダ130)
『かれらもわたしと同様であり、わたしもかれらと同様である』と思って、わがみに引きくらべて、(生きものを)殺してはならぬ。また他人をして殺させてはならぬ。(ダンマ・パダ705)
あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)意を起すべし。(スッタ・二パータ149)
大乗仏教の『涅槃経』にも、それをうかがえる句があります。
「一切衆生悉有仏性」
いーっさい、しゅーじょう、しつうーぶっしょう……
お坊さんのお経で、聞いたことありませんか。
生きとし生けるものは、すべて生まれながらにして、仏となりうる素質をもつということ。
だから、勝手に淘汰すべしなんて考えるものではない。
利他の精神を抱く対象です、という意味です。
あるいは「山川草木悉皆仏性」
さんせんそうもくしっかいじょうぶつ
生きとし生けるものはお互い支えあって生きている、それ故皆仏性を持っている。この世に不要な生はないのである。
これも、元になる考えは諸法無我です。
余談ですが、昔、素人ののど自慢番組で、立川談志さんが審査員をしていたことがありました。
出場者に、すごくうまい人がいたのですが、その人をグランプリに選ばなかった。
その時の理由が、「欠点のないのが欠点」というものでした。
子どもの私には、何のことやらわかりませんでした。
欠点がないから、いいだろうと。
たぶん、小さく完結して伸びしろを感じなかったんでしょうね。
欠点をきっかけに変化しようとする。
欠点があるからこそ伸びしろがある。
今はなんとなくわかります。立川談志さんは深い人でした。
私に言わせれば、差別の心からどうしても卒業できない人は、仏教の教えをしれよと思います。
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2023-05-29 01:00
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コメント(5)
障害者であろうが無かろうが、一生懸命生きていれば
困ったときに、誰か力を貸してくれる社会であってほしい。
by 赤面症 (2023-05-29 02:01)
障害者になる可能性は生きている人に等しくあります。
脳、心臓、人工肛門、失明、精神障害他にも・・・
補佐する福祉関係事業所が沢山あります。良い事業所もあるし、残念な利益優先の事業所も多いと感じます。
お世話になると、決まったことだけのサラリーマン的な担当者の事業所の所と、幅広く相談に応じてくれる精神的に頼りになる人材を持った事業所が有ります。
お世話になる事業所の当たりが悪いと、なのも福祉サービスを受けてないよりも辛い思いをします。
今福祉の現場は人手不足ですが、思想も有能な人に担い手になってほしいです。
by コーヒーカップ (2023-05-29 05:28)
想像力あれば弱い者を責めてふんぞり返るような真似はしないっすよね、明日は我が身ですから。
by pn (2023-05-29 06:23)
特別支援学級の子どもたちからたくさんのことを学びます。それまでの自分の教育姿勢を振り返るよい機会となりました。教員が特別支援教育で学ぶことは、通常学級の子どもたちにも生かされます。一人ひとりにあわせてという視点が大切にされるようになってきました。一般社会でも‥
by ハマコウ (2023-05-29 09:05)
AIを必要以上に怖れるのは、変化することを怖れている
証拠なのかもしれませんね。
AIの時代になったとき、ものすごい変革が起こるかも。
by tai-yama (2023-05-29 22:56)