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仏教(涅槃経)は、介護や葬式がどうあるべきと見ているか [仏教]

仏教(涅槃経)は、介護や葬式がどうあるべきと見ているか

仏教は一切皆苦と言って、人生は苦しいものであるといいます。中でも「四苦八苦」といって、生老病死という人間にとって避けられない悩みから開放されるための悟りを求めます。今日はその中の、「葬儀」と「介護」について書いてみます。(中央画像は下記動画より)




以前もご紹介した、花園大学、佐々木閑教授のコロナ禍におけるYouTube動画講義では、涅槃経というお経の終盤について解説している回があります。



釈迦仏教における涅槃経というのは、お釈迦様がナくなる頃の話を、没後に弟子がまとめたものです。

そこには、釈迦牟尼(お釈迦様)が、イマワのキワに、葬式がどうあるべきかを語っていたかが残されています。

こんにち、葬式仏教なんて言いますが、そもそも釈迦仏教の、葬式に対する考え方を確認することができる貴重なお経です。

興味深いのは、その中でお釈迦様が、「自分の葬式は盛大にしろ」と述べていることです。

私が初めてそれを知ったときは、意外でした。

それは、悟った人にあるはずのない、世俗的な煩悩に感じたからです。

もちろん、お釈迦様は、弟子がふえて尊大な気分になったわけではありません。

葬儀は、残された人のために役立てる


当時のインドは、輪廻転生という世界観があり、良いことをすれば、来世はよい立場で生まれ変われる、といわれていました。

そこで、お釈迦様は、自分のためではなく、残された在家の一般信者に、自分の葬式における供養という、善行(布施)の機会を与えたのです。

その一方で、輪廻から解脱して、涅槃に入るための修行をしている出家の弟子たちは、善行の必要がないので、「葬式には関わるな」と遺言しています。

つまり、涅槃経において、お釈迦様はなにを言いたかったかというと、

1.シにゆく人は、のこされた人のことを考えろ
2.葬式は、ナくなった人のためではなく、のこされた人のためにある

ということです。

昨今は、葬儀が簡略化して、「自分がシんだら、葬式は派手にやるな」と遺言するのがトレンドになっていますが、それは釈迦仏教的には「違う」、ということになります。

葬式を派手にするか、地味にするかは、なくなる本人が決めることではなく、ナくなる人は、遺された人が気の済むようにおやんなさい、という態度を取らなければならない、というのです。

「『シぬことで、残った人たちに迷惑をかけたくない』だけでなく、『シぬことで、(のこった人に)どれほど役に立つことができのか』」(佐々木閑先生)ということを考えろ、ということです。

仏教は看取り介護を「無理に生かしている」と見ているのか?


お経には書いてありませんが、この応用で、老いて介護されることを、どう考えるべきかについて、私の見解を書きます。

人間は老いて、多くの場合、何らかの介護を受けることになります。

たとえば要介護が5(寝たきり)になったらどうしますか。

昨今は、「人間は食べられなくなったら終わり」といい、胃ろうとか、中心静脈栄養とか、経鼻経管栄養などは、まるで「無理に生かしている」という言い方をします。

良かれと思って管を入れた介護者が、何かまるで罪人のように肩身が狭い思いをする日本の同調圧力には辟易とします。

胃ろうや中心静脈点滴は「適応」があり、誰でもできるわけではありません。別の言い方をすれば、まだできるだけマシなんですけどね。

それはともかくとして、「無理に生かしている」も、仏教的には違う、ということなります。

もちろん、さきほど同様、いかなる結論であろうが、本人と家族の話し合いが何よりの正解ですから、結論それ自体の問題ではなく、そのプロセスの話です。

胃ろうなどで「無理に生かした」(←イヤな言い方だ)からと言って、そもそも何十年も生きるわけではありません。中央値で1年ぐらいでしょうか。

私は、その「無理に生かした」時間は、家族(たいていは子)が、その人(たいていは親)と、それまで築いてきた関係を改めて考え、見送るための心を整理する時間としてちょうどいいと思っています。ですから、介護の期間は、介護する側から考えるとむしろ「あることが望ましい」と思っています。

だって、いくら年取ってても、突然シなれたら、ショックでしょ。

あれもしたかった、これもすればよかったって、後悔するでしょ?

できるなら、逝きつつある日々に寄り添いたいと思いませんか。

つまり、葬儀同様、介護する人(残される人)のために、逝く人は逝くまでの最後の時間を作っていただけると、家族によってはありがたいと思うこともあるんですよ、ということです。

介護するということは、一方では介護者の人生の貴重な時間を奪うことですが、別の側面で見れば、大切な家族と、その最期にかけがえのない時間を持てる、ある意味人生で最も濃厚な時間なのです。

人によりますが、医療従事者などそのへんは考えないから、「無理に生かす」という一面的な表現になってしまうのです。

でも、釈迦仏教はそうではない……と私は涅槃経を読んで思いました。

といっても、「介護」は涅槃経に書かれているわけではなく、釈迦牟尼の葬儀観に基づいた、私の類推に過ぎません。

もとより、あくまでも仏教のお経に対する解釈の話であり、日本国憲法にも民法にも書かれていませんから、な~んの強制力もありません。

ただ、私が言いたいのは、医療従事者や世論が、「中心静脈点滴で無理に生かすな」という圧をかけてきても、釈迦仏教のような考え方もあるんですよと。

だから、該当する方、御本人もご家族も、「トレンド」に流され肩身を狭くせず、よく考えて、悔いのない結論を出してください、自分と家族のあり方は、他人に左右されることではない! ということを私は言いたいのです。

みなさんは、ご家族やご親族の方々と、将来の看取り介護や、葬儀について話し合われたことはありますか。

ブッダ 100の言葉 ~仕事で家庭で、毎日をおだやかに過ごす心得 - 佐々木 閑, 佐々木 閑
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夏炉冬扇

お昼は麺類にしています。ソーメンにはまだ少し早い季節ですが、ウドンがもうなかったので、こうなりました。
太いのは「冷や麦」ですね、こちらでは。
by 夏炉冬扇 (2024-04-27 07:06) 

mm

おはようございます^^
わたくしは介護されるの嫌ですから「何が起こっても医者には連れて行かないで」と言っています^^ 
介護もほどほどならいいですが、永すぎると生きている人は生活が出来なくなることもあります。
ま、やはり家族での話し合いでしょうね。

by mm (2024-04-27 07:40) 

Take-Zee

おはようございます!
そろそろ、そんなことを考えるように
なりました (;.;)
by Take-Zee (2024-04-27 08:48) 

HOLDON

仏教も今は色々な宗派があって異論も見受けられますが、基本的には他宗教に比べあまり強制するような説法では無い気がしています。
例えば苦痛に耐えられない時には自死も認める・・・
しかし、亡くなられた方への供養をする大切さはしっかりと訴えているように思います。
これにより極端に言えば地獄に落ちそうな方でも救える道があると・・・
私は俗っぽい人間で人様に仏教を語れないですが法要、法事で日頃会わない親戚の方々を見るのも大切かなぁと思っております。
by HOLDON (2024-04-27 08:57) 

そらへい

死んだ人は遺言等で何を言おうが
あとは残されたものに託すしかすべはありませんね。
田舎でもコロナ禍以降、家族葬が一般的になってきて
ようやく都会並みになってきたかなぁというところです。
私は両親とも、自宅で通夜、告別式をしましたが
本当にあれは大変でした。
by そらへい (2024-04-27 09:13) 

いっぷく

まあ、「そんなの、お前は介護の経験がないから、本人の苦しみなどわからないのだろう」と揶揄するコメントに先回りして補遺しておきますが、私は介護経験者で、私自身も壮絶な介護で人生を棒に振ったともいえます。
中心静脈点滴を入れたときは、「無理に生かすな」と毎日のように、医療従事者に強要されましたが、結局そこからご飯を食べられるまでに回復。すると、医療従事者は何事もなかったかのようにとぼけて、「誤診」の責任はうやむやになりました。
つまり、看取り介護は、状態も当事者の意向も一様ではないので、紋切り型にひとつの答えで襲いかかるべきではないということをいいたいのです。
by いっぷく (2024-04-27 10:51) 

pn

俺は知り合い少ないから葬式は省いて海に散骨が望ましい、カミさんに言っておこう。
by pn (2024-04-27 12:54) 

ムサシママ

母は72歳頃から痴呆が始まり要介護5が長く続き
90歳で旅立ちました
今は主人と姉しか身寄りがいないので
これから先はどうなるかな~と・・・
考えても仕方がないのでなる様になるで生きていきます
by ムサシママ (2024-04-27 14:19) 

tai-yama

治りもしないくそ抗がん剤で副作用の痛みに耐えるために
大量のモルヒネを投下されて痛み(痛みはないと言うけど
多分痛そうにしていた)で苦しむ母とそれを見守るだけの
父をみていると・・・・延命治療は肯定できない自分が。
by tai-yama (2024-04-27 14:56) 

コーヒーカップ

事故とか突然死しない限り逝く前には、どうしても介護は世話になると思います。
以前ヘルパー使っていましたが、なかなか思うようにはいかなくて止めてしまいました。
思うようなサービスが受けられるか不安ですね。
母親の介護は自分も障害があることもあり、老健施設に預けましたが洗濯などあって通いました。亡くなったとき何処かでホッとした部分もあって、複雑な気持ちでしたね。
お葬式は自分のできる範囲で無理なくさせてもらいました。
by コーヒーカップ (2024-04-27 16:22) 

mau

今日の話題はちょっと辛いです。
明日、母の日見舞いに行って来ます
by mau (2024-04-28 00:50) 

よいこ

延命治療治療はいらないと父は医者に言い、母も医師に尋ねられてそう答えました
でも、てくてく歩いて車に乗った人が、数時間後に死んでしまうという体験を今回して、いらないと言ったからそうなったのかと、改めて思いました。
急に死なれると、家族はぽーぜんとします
急すぎて最後に何の言葉も残さなかったのは、やはりまずかったのでは?お父さん
by よいこ (2024-04-30 04:01) 

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