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人生の能力や自己実現は素質か努力か政治か、仏教はどう答える? [仏教]

人生の能力や自己実現は素質か努力か政治か、仏教はどう答える?

人生の能力や自己実現は、生まれ持った素質(遺伝子)か、本人の努力か、政治など環境次第か。そして、仏教ならどう考えるか。「能力は生まれつき決まっている」「いや、努力でなんとかなる」というのはしばしば論争になります。どう思いますか。

遺伝子派、努力派、環境整備派など三者三様


たとえば、若い人たちに人気のある橘玲さんというライターがいます。

『言ってはいけないー残酷すぎる真実ー』(新潮新書)という著書によると、橘玲さんはこう主張しています。
「見た目」で人生は決まる。知能や学歴、年収、犯罪癖などは遺伝に努力は勝てない。人種による違いもある。美人とブスの「美貌格差」は約3600万円だ。子育てや教育はほぼ徒労に終わる(頭の悪い親の子どもにいくら教育を施しても無駄)。
要するに、人間の能力も人格も遺伝子が全てだから、無駄な努力なんかしないで、自分の遺伝子に応じた生き方をしたほうが幸せ、という主張を行っているのです。

一方、先日もご紹介したYouTuberの、rの住人ピエロさんは動画で、韓国の女性が化粧で別人になる動画をバックに、こう述べています。

努力は遺伝子で決まるが、遺伝子は穴だらけ。 よく、「努力は遺伝子で決まる。 容姿は遺伝子で決まる。 ほとんどのことは遺伝子できまる」というんですが、 そんな戯言は一言で論破できる。 「だからなんだ」 容姿に自信かないなら整形すればいい。 努力に自信がないなら努力の仕方を学べばいい。 遺伝子で決まったものを伸ばす方法はいくらでもある。 多くの人は勘違いしている。 遺伝子とは限界を示すものではなく、もともと持っている素養を示すもの
この限りでは、たしかにピエロさんは、橘さんを論破しています。

……ただし、それはピエロさんの言う通り、「努力の仕方を学」んだ場合です。

そもそも「頭が悪」かったら、何をもって努力すべきか、努力の仕方をどこで教わるかもわからないのです。

ですから、そのためには、教育の機会均等など、社会自体が成熟してなければならない、とするのは、以前もご紹介したマイケル・サンデルさんです。

「親ガチャ」とか「実力も運のうち」などを標榜している方です。

つまり、無条件で「努力派」ではなく、政治の力が必要という考え方です。

みなさんは、どう思いますか。

仏教は「因」と「縁」で結果が出ると考える


では、仏教はその土俵で答えを出しているのでしょうか。

お釈迦様の仏教における自己実現とは「悟り」です。

成功したい、自己実現したい、どうすれば出世できるかとか、どうすればいい学校に入れるか、ということは、大乗仏教も含めて目指していません。

ただし、一定の競争と生産活動が、現代社会で生きていくために避けて通ることができないのも現実です。

ということで、お釈迦様の教えを、私が現代に応用してみます。

仏教では、人間の存在は、因果の法則に従っていると考えられています。

つまり、過去の因が現在の結果を生み出し、現在の行為が未来の結果を決定するとされます。

農業がいちばんわかり易い例ですが、畑があるから種を巻き、種をまくから花が咲き、花が咲くから結実するということです。

何にせよ、種をまかなければ話になりません。実は絶対になりません。

そのとき、種が発芽するかどうか、豊作か不作かは、天変地異によりますから偶然の要素があり、それを「縁」といいます。

哲学的には「因」は必然、「縁」は偶然(運)、ということです。

「因」と「縁」によって、結果が生じます。

ですから、結論を述べると、仏教はピエロさんの立場 です。

橘さんは、種や畑(遺伝子)が悪かったら、種を巻いても、肥やし(教育とか努力)をヤッてもいいものは実らねえよ、と言い、だったら畑や農作業の労働力は別の利用法があると言っているわけです。

でも、畑の質の改良、肥料の工夫などが行われれば、結果は変わってきます。

マイケル・サンデルさんがいうように、土や肥料を研究できるように国がバックアップすれば、なおさら事態は見通しが明るくなります。

何より種を撒くのをやめたら、次の種が出来ません。

……ただし、「偶然」(運)の部分は、コントロールはむずかしいですね。

せっかく種をまいても、干ばつとか台風とか来たら、ダメですからね。

人生で言えば、たとえば人との出会いは運です。

人を選んで付き合ったつもりでも、そいつがサイコパスだったら、そいつに人生めちゃくちゃにされちゃうかもしれませんね。

DV夫とか、金遣いの荒い妻とかね。そういう人と結婚したら、夫婦生活は破綻しますよね。

メディアでおなじみの中川恵一医師も言ってます。

タバコを吸っても、がんになる人もいればならない人もいる。明暗を分けるのは結局運であると。

「運」というと、すぐオカルトっぽく考えて否定する人もいますが、人間の人生が、すべて計算通りできたら苦労ありません。

人間がわかっていること、計算できることなんて、むしろ限られたことなんです。

で、運不運を踏まえた上で、仏教で言われているのは、「一切皆苦」「物事には執着しない」

いい学校やいい会社に入ること、お金持ちになることを目指しても構わないけれど、それが実現しなくても、もしくは失ったとしても、なくてもともと、だめでもともとという気持ちを持ちなさいと、『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』(アルボムッレ・スマナサーラ著、佼成出版社)という本に説かれています。

そして、人生というのはしょせん苦しく辛いものなんだ、と。

著者のアルボムッレ・スマナサーラさんは、テーラワーダ仏教という、お釈迦様の仏教に対してもっとも保守的な宗派の方です。つまり、お釈迦様の仏教に近い方です。

スリランカから国費留学で来日して、日本で仏教の法話を行っています。

オスマン・サンコンさんもそうですが、国費留学ってすごいことなんですよ。

YouTubeには動画が上がっています。

ということで、結論は、「結果は運を天に任せる。ただし、努力は前提。話はそれからだ」という、今まで散々言われてきたあったりまえの話になってしまうわけですが、それは仏教でも裏付けられていることなんだ、ということをご理解いただければ幸甚です。

言ってはいけない―残酷すぎる真実―(新潮新書) - 橘玲
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実力も運のうち 能力主義は正義か? - マイケル サンデル, 鬼澤 忍
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それならブッダにきいてみよう: こころ編1 - アルボムッレ・スマナサーラ
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赤面症

社会的実力とはなにか?
・圧倒的なセンス
・抜きん出た能力
・人並み外れた努力
この3つのレベルが、結果を残すまで行ききっている状態のこと。努力なしにこれはありえない。
by 赤面症 (2023-05-25 02:33) 

pn

ほぼほぼ運だと思うんですよ、そして何をもって成功とするか。神や仏同様幸せも人の中。
by pn (2023-05-25 06:16) 

風太郎

ある教師は「運命の命は自分では変えられない。
例えば男に生まれたのを女に変わることは出来ない。
しかし、運は努力次第で運を掴むことができる」
と言っていました。

by 風太郎 (2023-05-25 20:03) 

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