『へそくり社長』(1956年、東宝)という昔の映画を観ました。森繁久彌主演で37作作られた社長シリーズの記念すべき第1作です。森繁久彌社長、小林桂樹秘書、三木のり平宴会部長というシリーズの基本となる人物設定がすでにこの作品で出来上がっています。千葉泰樹監督という、当時の東宝映画のヒットメーカーがメガホンをとった作品でもあります。
社長シリーズは、これまでもこのブログで何度か書いてきました。
作品ごとに会社や登場人物の名前など設定は異なりますが、森繁久彌社長のもと、小林桂樹、加東大介、三木のり平らが同じ会社であるプロジェクトにかかわり、ライバル会社(河津清三郎)や怪しげなバイヤー(
フランキー堺)、浮気しそうでしないマダムズ(草笛光子、
新珠三千代、
淡路恵子、池内淳子ら)たちといろいろあって、最後には無事成約するというのが毎回お馴染みのストーリーです。
全37作ですが、1作をのぞくと、ひとつの設定で正編・続編と2作品制作されています。
当時、正編と続編は2ヶ月ぐらい間を空けて公開されていました。
完結しないで続きはまた改めて上映なんて、今では考えにくい公開の仕方ですね。
当時はテレビが創世記で、ドラマを毎週放送してお茶の間で視聴する、というスタイルが出来上がっていなかったため、映画館にドラマを見に行くような感じだったのではないかと思います。
今は「お茶の間でテレビを視聴」なんていう言葉すら廃れて、一方でネットにかける時間も増えてきました。
そうしてみると、この50年で生活スタイルはガラッと変わりました。
ネタバレ御免のあらすじ
それはともかくとして、ストーリーですが、森繁久彌社長は、先代社長の遠縁の娘と結婚したことで社長に就任できたため、先代社長夫人に頭が上がりません。
一方、古川緑波演じる株主は、森繁久彌社長を解任しようといろいろ画策しています。
なぜタイトルが「へそくり」かというと、例によって森繁久彌社長は入れあげている小唄の師匠(藤間紫)がいて、貢ぐために実際よりも少額にしたダミーの役員賞与明細をこしらえて、差額はへそくりをしたらいいと小林秘書に知恵を付けられ、三木のり平経理部長が協力したからです。
しかし、浮気は結局成功しませんでした。
ここからは「続編」ですが、小林桂樹秘書には恋人(司葉子)がいるものの、先代社長の娘(八千草薫)のお伴をしていることが誤解されて仲は険悪に。しかし、誤解は晴れて2人は結婚します。
森繁久彌社長も、いったんは社長解任を覚悟しますが、もう一人の有力株主(上原謙)が解任動議を食い止めるよう先代社長の娘に委任したことで社長重任にこぎつけハッピーエンドとなります。
千葉泰樹監督の描きたかったものは……
この作品に関心があったのは、社長シリーズ第1作ということとともに、千葉泰樹監督の作品であったことです。
千葉泰樹監督はいろいろな作品を撮っていて映画界では有名ですが、1965年に監督を引退していますから、私の世代ですとリアルタイムでは見ていません。
ただ、東宝では、獅子文六原作の『大番』シリーズ(1957年~58年)や、『青春とはなんだ』から『
われら青春!』までの青春学園ドラマ(1965年~74年)の監修を手がけています。
ラピュタ阿佐ヶ谷公式サイトより
http://www.laputa-jp.com/laputa/program/ooban/
それらについては私はファンであったので、社長シリーズの記念すべき第1作との接点を探ってみようと思ったわけです。
とくに特定のモチーフで、あらゆる作品を仕上げたというわけではないでしょうが、3シリーズに共通しているテーマは、人間への信頼ではないかなあと思いました。
『大番』では、故郷にいられない事情ができて上京した赤羽丑之助(加東大介)が、株仲買店の小僧に奉公して、のちに“ギューちゃん”と呼ばれる相場師になる話です。
しかし、映画はギューちゃんの才能のみに光を当てるのではなく、内縁の女性(淡島千景)や友人(仲代達矢)らの支援、地元宇和の人々励ましなどで、失敗してもそのままくじけずに再起する場面に力点を置いています。
青春学園ドラマにしても、完成された教師像による教育問題をドラマ化したわけではなく、新卒や転職で教師になった若者が、教育現場の様々な葛藤で人としてどうふるまい、同僚や生徒たちがそれをどう受け止めたか、というかなり泥臭い話です。
今回の『へそくり社長』も、森繁久彌社長が社長の座を追われるかもしれなくなったり、小林桂樹秘書が司葉子演じる恋人との関係を諦めかけたりしましたが、結局は上原謙演じる株主や恋人の信頼を得ていたことで問題は解決します。
社長シリーズでは、その後メイン監督となった僧侶でもある
松林宗恵監督が、やはり人間の信頼を描きたくて作品を撮り続けたといいます。
けだし、のちの社長シリーズで、いくら新珠三千代や淡路恵子や草笛光子らのマダムズが頑張っても、森繁久彌社長は浮気に至らないわけです。
そこで浮気が成立してしまったら、「人間への信頼」は成り立たなくなってしまいますからね。
当時の東宝映画を見ると、また頑張ろうという気持ちにされられるのは、東宝映画全体がそうした方針に貫かれていたからかもしれません。
半世紀以上前の作品ですが、きっと多くの方が今見ても楽しめる作品だと思います。
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