京塚昌子さん。1970年代のテレビドラマを代表する女優の祥月命日が23日です。人気ホームドラマ『肝っ玉かあさん』(1968年・1969年~1970年・1971年~1972年、TBS)に主演。理想的な“戦後日本のお母さん”として一世を風靡しました。かつて『カミさんと私』という作品で、「父親」の伊志井寛と共演した京塚昌子を抜擢した石井ふく子プロデューサーの慧眼でした。
京塚昌子といえば、石井ふく子プロデューサーによるホームドラマ『肝っ玉かあさん』がヒットし、森光子、池内淳子、山岡久乃らと並んで、ホームドラマ全盛であった1970年代のトップスターになりました。
それまでの京塚昌子というと、私は喜劇映画の脇役というイメージでした。
たとえば、『日本一の色男』(1963年、東宝)という作品では、6人の美女が競演ということでしたが、ポスターに出ているのは、藤山陽子、団玲子、白川由美、淡路恵子、草笛光子、浜美枝までで、京塚昌子は入っていません。
男勝りの代議士の役で、一応、植木等演じる化粧品セールスマンによって綺麗になるという設定なんですけどね。それでも「美女」の中にはいれてもらえませんでした。
ともに『日本一の色男』より
『日本一のゴマスリ男』(1965年、東宝)では、植木等がゴマをする常務夫人ですが、ちょっとトロくて牛乳瓶の底眼鏡をかけている設定です。
お笑いの役まわりというと、だいたい近眼か東北弁なんですよね。
『日本一のゴマスリ男』より
当時、女性コメディアン、喜劇女優として
若水ヤエ子が主演の映画を撮っていましたが、いずれにしても、女性の主役というと、美人か笑わせる役かが多かったですね。
そんな中で、70年代、既存の映画にはなかったテレビドラマならではのジャンル、ホームドラマが全盛となり、その中で京塚昌子はひとつの時代を作りました。
『肝っ玉かあさん』(1968年・1969年~1970年・1971年 - 1972年、TBS)の主役に抜擢されドラマは「お化け番組」に。引き続き人気作品となった『ありがとう』(4)にも主演。
以後、TBS以外のドラマも、ほとんど『肝っ玉かあさん』のキャラクターで80年代前半まで主演をつとめました。
それで、『肝っ玉かあさん』に京塚昌子を抜擢したのは、ほかでもない石井ふく子プロデューサーですが、どうして抜擢したのかというと、当時、石井ふく子の「父親」である伊志井寛と『カミさんと私』というドラマで共演していたからといわれます。
石井ふく子さんといえば、50年間一貫してホームドラマを作り続けたテレビ・ドラマ史に名を留める大物プロデューサーですが、その人がどうしてそこまでホームドラマにこだわり続けたのか。
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伊志井寛と石井ふく子の関係
伊志井寛と石井ふく子さんは、「父娘」ということで知られていますが、実際には石井ふく子さんの母親の連れ子であり“なさぬ仲”。しかも、養子縁組も行われていない、実際はたんなる家族の関係に過ぎなかったようです。
子連れ再婚の人ならご存知だと思いますが、片方、もしくは双方に子どもがいる人が婚姻した場合、当事者はもちろん夫婦になりますが、相手と子どもの関係はそれだけでは「親子」にはなりません。
結婚すると、その夫婦によって新しい戸籍が作られます。連れ子はその戸籍に入る「入籍」で家族になりますが、それだけではあくまでも連れ子のままです。
そこから、戸籍上親子になるには、連れ子と養子縁組をしなければなりません。
入籍というのは、本来の意味は文字通り戸籍に入ることであってイコール結婚というわけではないので、私は結婚を、「入籍」ではなく「婚姻」と表現するようにしています。
それはともかく、伊志井寛と石井ふく子さんは、その手続が行われていなかったということです。つまり、石井ふく子にとって伊志井寛は、戸籍上も「お父さん」ではなかったわけです。
どうして伊志井寛が石井ふく子さんを「連れ子」のままにしていたのかはほんとうのところはわかりませんが、少なくとも石井ふく子さんはそれを怨んでいたようには思えません。
なぜなら、石井ふく子さんが一貫して作り続けているホームドラマで、伊志井寛はしばしば要となる父親役にキャスティングされ、亡くなる1週間前まで父親役を演じていました。
石井ふく子さんがどうしてホームドラマにこだわったのか。
伊志井寛の起用にその理由があったのかもしれません。
で、その相手として演じていた京塚昌子を自分のドラマの主演に抜擢した。
石井ふく子さんの母親が実際どういう人だったのかは私はわかりませんが、伊志井寛の演じたちょっぴり偏屈だけど懐の深い父親と、京塚昌子の演じた少しおっちょこちょいだがしっかり者の母親こそが、「ほしのもと」にめぐまれなかった石井ふく子さんが理想としていた両親だったのかもしれません。
もっとも、京塚昌子という人は、それだけの人物像にとどまる人ではなかったようです。
東宝映画ではご紹介してような喜劇も演じているし、腹の肉を掴まれたからといって、杉田かおるをドラマ(『山盛り食堂』1975年、日本テレビ)から降板させてしまうような一面もあったようです。
また、私生活では事業道楽で、お酒も強かったといわれ、若い頃はいろいろ浮名も流したようです。
私個人は、京塚昌子は“日本のお母さんの代表”のような役ばかりさせるのはつまらないというか、もったいなかったような気がするのですが、まあ女優も売れてナンボと考えれば、当たり役が見つかったことは女優人生としては幸せだったかもしれません。
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ありがとう、またね…
- 作者: 石井 ふく子
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