墓じまい、という言葉をタイトルにした記事を『日刊ゲンダイ』(9月23日付)で読みました。内容は私にも切実なことでした。子どもがいない、いても嫁いだ、別に墓を作ったので田舎の先祖の墓に入る人はもういない……。そんな事情から、先祖代々の墓を処分したい人たちのために、撤去から散骨までを行う業者がいるという内容です。
『日刊ゲンダイ』では、『手続き煩雑、トラブル続出…どうする?「墓じまい」』というタイトルで、記事をwebにもそのまま掲載しています。興味のある方はご覧ください。
『日刊ゲンダイ』公式サイト
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/153547
記事の内容ですが、将来先祖の墓を守る人がいない場合、永代供養や合祀といった「引っ越し」、
散骨による処分などを行わざるを得ませんが、実は意外と厄介。
「引っ越し」にしろ散骨による処分にしろ「改葬許可証」が必要ですが、それはまず墓地のある自治体の役所から「改葬許可申請書」をもらい改葬先を定め、霊園やお寺からは「埋蔵証明」ももらわなければなりません。
お寺にとっては檀家をやめることになるから、引き止めや、高い永代供養料などトラブルの可能性があるし、散骨ならどこで行うかを決めなければなりません。墓地は更地にしなければならないので解体処分の費用がかかります。
その分野のことがわからないと、手続きに戸惑うだけでなく、ボッタクリのような業者にあたってしまうかもしれません。
そこで、それらをトータルに適切な価格で行う業者も最近は登場しているという話です。
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墓は必要か
最近は、いわゆる
墓マイラーがトレンドになっているようですが、墓を守る側からすると、維持管理はなかなか大変です。
今回の記事は、子どものいない人だけではなく、現在墓守をしている方すべて。そして、今は墓を持っていなくても、将来自分が亡くなったらどうするのか、ということに関わっていますから、そういう意味ではすべての人にとって無視できない問題なのです。
だって、他人はもちろんのこと、子どもや孫にも、先祖や自分の墓守を押し付けるのは迷惑ですよ。
そう思いませんか。
自分の肉親に対して愛情があるなら、そんな負担はかけずに自由にしてあげましょうよ。
と、書くと、すぐ不謹慎だとか、人の道を外れているとかいう人がいるんですが、墓守って大変なんです。
檀家としての付き合い、墓参り。
近くならいいですよ。東京に住んでいて、墓が田舎だったら大変です。
親類が亡くなると、墓に入れろだの何だのと争いも起きるのです。
親類の泥仕合は壮絶ですよ。
私の話ですが、先祖の墓は福島にあるのですが、父親の墓は違う場所に異なる宗派で作りました。
父親自身が生前、先祖の墓には入らない考えだったからです。
そのため、現在違う場所にある異なる宗派の2つの墓を守ることになり、正直負担を感じることがあります。
しかし、この記事を読むと、なるほど処分といっても簡単にはいかないもんだなあと思いました。
地方の人は異なる考えも?
こういっては失礼ですが、地方の人と都会の人は、家や家族に対する考え方が違う場合があり、それが墓に対する認識や価値観のズレとなってあらわれることもあります。
私の田舎の親類もそうなのですが、やれ長男だから家に帰って来いとか、何々家を守るとか、メンツで派手な葬式をするとか、家の象徴である墓を守るとか、そういう価値観を持っている人がいますよね。
地方には地方の付き合いや文化はあると思いますが、現在の民法は家制度から家族制度に変わり、たとえ親子でも結婚すれば戸籍は分かれます。
もちろん兄弟も別戸籍。代々が同じ墓に入って子孫が守れなどという法律もありません。
それどころか、
今は夫婦でも亡くなったら配偶者とは同じ墓に入りたくない、という人も増えているというではありませんか。
私は特別な信仰のない唯物論者ですが、だからこそ、生きた証や、心の拠り所として、墓はあってもいいんじゃないか、と思っていました。
故人を偲び、故人に対する生前に抱いていたあこがれや慈しみなどを表明する場と考えたからです。
でも、子孫に迷惑をかけてまで、その考えを押し通そうとは思いません。
何も墓守をしなくたって、後ろめたいことなく真面目に生きていけば、十分先祖孝行になっていると私は思っています。
墓守を、子孫が必ず行う責任のように見る価値観は、否定されてほしいと個人的に思います。
いずれにしても、こういう業者が必要とされるのは、墓の在り方を改めて考えさせさられる機会かもしれません。
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