嫉妬をとめられない人(片田珠美著、小学館新書)と認知的不協和 [社会]
『嫉妬をとめられない人』(片田珠美著、小学館新書)をご紹介します……が、この記事を書いている途中に面白い動画を視聴しました。認知的不協和について述べているものです。嫉妬⇒認知的不協和に「発展」することが有りえますが、それはどうしていけないのかもまとめてみたいと思います。
誹謗中傷、いじめ、嫌がらせ、叱責、孤立…。
親しい人からの行為に苦しんだことはありませんか。
逆に自分が嫉妬する側になった場合もあるかもしれません。
本書は、その中の「オバサンの嫉妬」を例に上げて解説しています。
セクハラ、パワハラ、モラハラなど、社会はハラスメントを問題視していますが、それは、自分自身の不平不満を、他人に嫉妬することで表現しているそうです。
そして、想像力の欠けている、レベルの低い中高年女性のハラスメント=「オバサンハラスメント」を略してオバハラと呼んでいます。
欲求不満、羨望、他人の不幸は蜜の味
オバハラの例としては、
1.離婚した人に……「子どもがかわいそうね」
2.独身の人に……「そろそろ家庭を持ったら?」
3.LINEに……「忙しいなら、返事はいいわ」
4.子どもを産まない女性に……「卵子の老化って、知ってる?」
などと言うことが書かれています。
4つのうち3つは、「あんたに関係ないだろ」という話です。
LINEの件も、自分を無碍に出来ないことがわかっている相手を追い詰めています。
なぜそんな事を言うのか。
オバハラとは、心の奥底に潜んでいる“毒”がその背景にあると言います。
具体的に、オバハラの背景にある“毒”とは、
1.欲求不満
2.羨望
3.他人の不幸は蜜の味
の3つに大きく分けられるといいます。
2と3がまさに嫉妬。1は八つ当たりですね。
……と、本当は、記事はここまでの予定でしたが、今日は、ここから新しい説が登場したので以下補足します。
以前ご紹介したピエロさんの動画で、『あれは嫉妬ではなく認知的不協和』というショート動画があります。
あれは嫉妬ではなく認知的不協和 https://t.co/lvl4wOstIf @YouTubeより
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) August 21, 2023
認知的不協和、というのは、求めるものと現状との矛盾による不快感だそうです。
それが、よくない行為に発展する社会心理学上の精神的病理だそうです。
嫉妬と認知的不協和の「違い」について例示します。
たとえば、自分は課長になりたかった。
ところが、その課長の椅子には同期のライバルが座った
だからくやしい。
この「嫉妬」自体は、ありふれた人間の感情です。
その悔しさをバネに、今度こそ自分が昇進できるよう頑張ればいいわけです。
ところが、「認知的不協和」によって、その「彼我の差」の不本意な状態に不快感を抱くと、出世できなかった自分を正当化するために、「出世なんてどうせ社畜なんだ」みたいな、「引かれ者の小唄」を謳い始めるというのです。
その「社畜」を目指していた、あんたは何?
じゃあ、自分も今度こそ頑張って、という方向からは、離れてしまうわけです。
動画は説明します。
誰が見ても美しい人に向かって「好みじゃない」とか、見ず知らずの金持ちに「不幸そう」とか発言する人。これは、嫉妬ではなく、認知的不協和。本来、自分が欲しかったものが手に入らないとわかった途端に、「手に入らないから嫌い」と、好みを変化させ、諦めることを正当化する脳のプロセス
これが嫉妬と違って恐ろしいのは、ひとたび行動原理が認知的不協和にょって歪められると、他の意思決定に侵食していく。つまり、「出世」だけでなく、生きていく上で必要なあらゆる努力や向上心の放棄と、それを成し遂げた人への中傷ありきが習性になる、というのです。
「自分が手にしたことのないものを想像で補完し、けなし始めたら赤信号」と、動画では警鐘を鳴らしています。
いかがですか。周囲にそういう人っていますか。
私は、いるみたいです。
「認知的不協和」で自分の心は解決しない
先日、私のFacebookのメッセンジャーに、知らない人からメッセージが入りました。
Googleで検索しまくって、私の情報を集めて、私の意見や、人生の選択にケチを付けたいようでした。
ただし、その情報源には、本名ではヤッてないこのブログで書いたことも含まれていたので、ネット探偵の「鬼女」が、私の個人情報を調べたのかもしれません。
その方は、要するに私が、還暦過ぎて大学院に学業復帰したことが許せないらしい。
火災で家族がぼろぼろになって、生活保護を受けたいと思っているインケツの私ごときを意識するなんて、日本はどんだけドン底なんだよーっと思いましたね。
「歳とってから大学院に入って、それで社会に貢献できるのか」
「学位がとりやすくなったというのは余り書かない方がいい」などなど書いていました。
高齢者を入学させるかどうかは大学の裁量であり、自分に資格と要件が満たされていれば、誰でも志願するのは自由ですよ。
それは、障害者は進学するなという理屈にもいきつく、許しがたいロジックです。
大学は、職業訓練所でも企業の付属の養成機関でもあるまいし、見返りを前提としているわけではないので、「労働生産性」なんか関係はありません。
そもそも、肉体労働と違って、論文なら、年齢が高いほど不利どころか、経験値が上がっている分、むしろ有利になるかもしれません。
また、私は「学位が規制緩和された」とは書きましたが、
⇒大学院に今春入りました、仏教学をおすすめします
「学位がとりやすくなった」とは書いていません。
「教育改革」で、大学側がいろいろな学科を設置しやすくなり、学生にとっては選択肢が広まったという話であり、学位取得自体のハードルが低くなったわけではありません。
ことほどさように、あまり頭の上等そうな方ではないんですが、要するに学歴コンプレックスでもあって、上の学校に進む人、とくに私のように歳を取ってからの実践者に対しては、「認知的不協和」が生じて、感情的に我慢できなくなったのだと思います。
でも、私を嫉妬⇒誹謗中傷しても、その人は何も変わりません。
人生ヤるかやらないかですから、「学歴」で悔しかったら自分が頑張って進学するしか解決の道はありません。
……私はそう言って、かつて学歴コンプレックスのあった妻を、大学に行かせました。
私の妻は、ネグレクトで定時制高校⇒通信制高校から、練り物屋の下働きを経て30歳で大学に進みました。
余談ですが、妻からは、ときどき練り物屋時代の仕事ぶりを聞かされるのですが、そのおかげで、個人商店で売っている練り物を買うのを躊躇してしまう私です。
いや、妻の働いていた店だけの話だと思うんですけどね。大した話ではなくて、……3秒ルールみたいな(笑)
世の中、いろいろな場面で、思わぬ人から逆恨みされることが有りえますが、認知的不協和などは不毛なので、そんなことひるまず、自分の人生を大切にしましょう。
嫉妬をとめられない人 (小学館新書) - 片田 珠美
人間なんて結局自分だけが可愛いものですから・ω・
by 赤面症 (2023-08-28 01:09)
近所のキムチ製作店さんを見ていたら、個人商店のキムチに手が伸びなくなりました。
嫉妬とは、誰もが抱きがちな感情ですが、
一歩外から己の言動を評価するとブレーキがかかるかな。
by 猫の友 メルティー (2023-08-28 06:19)
自分にも当てはまってます
意識して行動しないとです。
by コーヒーカップ (2023-08-28 09:51)
おはようございます!
ある意味で子供のころは劣等感を持っていたので
嫉妬はあまりなかったか~(^-^)
by Take-Zee (2023-08-28 10:19)
お邪魔致します。
拙い私の記事にコメントありがとうございます。
メッセンジャーへのひどい書き込み、災難でしたね。私は大学院での学び、素晴らしいと思います。
私事恐縮です。私も、以前働きながら通信教育で大学で勉強していたことがありまして、当時、有形無形の嫌がらせ、ハラスメントなどあったように記憶します。目立つことをすると叩かれるんだと思いましたが、気にしていても仕方がないので我が道を進みました。いっぷく様のおっしゃるように「人生、自分のやりたいことをうまくやる・・」しかないんですよね。
by Azumino_Kaku (2023-08-28 22:35)
バイクに乗ったら人は気にならないと。
数字管理やノルマがあるので課長にはなりたくないな(笑)。
by tai-yama (2023-08-28 23:06)
練り物大好き人間としては最後の3秒ルールが気になって(笑)
by pn (2023-09-03 11:21)