【仏教】「身から出た錆」「なまぐさ」の虚実 [仏教]
久しぶりに、仏教から出た言葉で、仏教本来の意味と異なる使われ方がされているものをご紹介しましょう。今回は、「身から出た錆」と「なまぐさ」です。ソースは、3度目になりますが、佐々木閑教授(花園大学)のコロナ禍動画講義です。
佐々木閑の仏教講義「ブッダの教え 19」(「仏教哲学の世界観」第4シリーズ)のOGPです。
佐々木閑の仏教講義「ブッダの教え 19」(「仏教哲学の世界観」第4シリーズ)「「なまぐさ」というのは、怒り、慢心、強情、反抗、偽り、ねたみ、大言壮語、高慢ちき、不良との付き合いのことである。 肉を食べることがなまぐさなのではない」(スッタニパータ)。#なまぐさ https://t.co/IOpaK0Hbuf
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) April 29, 2024
ここから引用させていただきます。
身から出た錆
佐々木先生は、釈迦仏教のお経『法句経』(ダンマパダ)から引用します。
錆(さび)は鉄より生ずれど
その鉄をきずつくるがごとく
不浄(けがれ)ある行者(ひと)は
おのれの業(わざ)により悪処(あしき)にみちびかれん
(鉄から出たサビが、自分の出てきた鉄自体を侵食していくように、罪深い人から出た行為は、その人人を悪いところへ連れて行く)
要するに、今も使われている「身から出た錆」という「ことわざ」です。
意味自体は、今も基本的には変わりません。
では、何が違うかというと、どんなときに使うかです。
これは、「自分」に使う言葉で、「他者」に向けて使うものではないのです。
他者が、なにか失敗した時、「そんなもの、身から出た錆だろ」なんてつい言っちゃいますよね。
それはだめなんです。
それはむしろ、釈迦仏教では「不浄」な言葉になってしまうのです。
他者を攻撃するのではなく、自分の不明を恥じるときに使うからこそ生きる言葉なのです。
なぜ攻撃をしてはいけないかというと、そこには、「自分のほうが正しい」「あいつを貶めたい」という煩悩が働くからだとしています。
もちろん、物事は、相手が100%悪いこともあります。
ただ、その場合でも、被害者は自分の側からの被害だけを粛々と訴えれば良いのであって、相手にとって「身から出た錆」かどうかは、相手自身が考えることであり、相手に向けて言うのは、差し出がましい話です。
そういう理由です。
なまぐさ
今度は『スッタニパータ』というお経からの引用です。
粗暴な人、高慢な人、物惜しみして人に与えない人、本人のいない所で非難する人、友を裏切る人。これがなまぐさである。《244》
「なまぐさ」というのは、パーリ語(古代インドの言語)で「虫がたかる臭い」という意味です。
「肉食」をなまぐさとは一言も書かれていません。
佐々木先生は、こう訳しています。
「なまぐさ」というのは、怒り、慢心、強情、反抗、偽り、ねたみ、大言壮語、高慢ちき、不良との付き合いのことである。肉を食べることがなまぐさなのではない。
では、肉を食らい、酒を飲み、フリンは悪くないとのたまっていた瀬戸内寂聴さんは、なまぐさ坊主ではなかったのでしょうか。
いえ、私は「なまぐさ」の典型だと思います。
佐々木先生は、こうも付け足しています。
「托鉢で在家信者からいただいた、本来なら捨てていた残り物の料理の中に、肉や魚は入っていることがあるのだから、肉食を禁じるのは現実的ではありません。ただし、いただいた料理を『おいしい』と言ってはいけません。それを言ったら、信者は喜んでもらおうとまた同じ肉料理を作ることになる。つまり、2度目の肉料理(つまり牛の殺生)は、その僧が『させた』ことになる。残り物をいただいた1回目とは意味が違ってくる」
『スッタニパータ』には、たしかに、托鉢で食べ物をもらっても礼を言うな、と書かれているんですね。
ああ、そういうことかーっと合点がいきました。
つまり、自分が望む行為は煩悩であり、自ら求めて肉を喰らい酒を飲むなんてことは、「なまぐさ」以外の何物でもないということです。
余談ですが、以前、どなたかの記事に、お坊さんに肉料理を出して良いものかどうか悩まれていたことがあったと記憶していますが、回答は、そのお坊さんご自身のリクエストでなければ、肉だろうが魚だろうが無問題ということになります。
ちなみに、私が子供の頃、お盆やお彼岸に曹洞宗の住職に、自宅でお経をあげていただいておりました。
三五郎屋へ。カツ丼食べました??
— よっぴぃFour (@godoyaji3336) May 31, 2019
うまかったッス??ごちそうさま??
アサリの味噌汁。 pic.twitter.com/sga8fGnPjz
そのときは、店屋物のカツ丼と、自分の家で作ったアサリの味噌汁をお出ししていましたが、ご高齢にもかかわらず、毎年きれいに召し上がっていましたし、「次からはもう結構」とか、「今度は〇〇がいいな」なんていう意思表示も一切ありませんでした。
みなさんは、ご住職をもてなすなら、どうされますか。
NHK「100分de名著」ブックス ブッダ 真理のことば - 佐々木 閑
おはようございます^^
我が家でもてなしたことはないです。お坊さんが辞退なさる。
で、折り詰めにしてお持ち帰り頂いていましたが、大体お寿司でした。
by mm (2024-05-07 06:12)
おはようございます!
”なまぐさ”と聞くとレベルの低い悪徳僧侶を
連想させます。
by Take-Zee (2024-05-07 06:32)
親子だと思うんです。あれだけ一緒に仲良しですから。白に似たノラを近くで見かけますから、多分それが「お父ちゃん」でしょう。
by 夏炉冬扇 (2024-05-07 07:15)
勉強になりました。
確かに日頃使われる言葉が仏教から、というのはたくさんありますね。
こちらではほとんどの法要はお寺。
むしろお菓子とお茶を出してくれます。
お盆の時だけ家に来てもらうのですが順番に檀家を回るのでお坊さんは忙しくてゆっくりとおもてなしが出来ませんね。お茶くらいで帰られます。
by HOLDON (2024-05-07 07:48)
なまぐさは生臭いで肉云々ではなく俗臭いと言う意味だと思ってた(^◇^;)
by pn (2024-05-07 10:15)
わたし、何かをいただくとめちゃくちゃお礼言っちゃうんですが、それって「次も欲しい」という要求になっちゃうのかな。そんなつもりはないし、自分も相応のお返しをするんだけど。
by ミケシマ (2024-05-07 11:27)
我が家も子供の頃は、お坊さんが来られて、お経をあげてられました。(兄の供養で)
お茶を和菓子を出していたのを覚えています。
by AKAZUKIN (2024-05-07 12:25)
今でこそ魚や肉ですが、昔は精進料理でした。
いつの頃だったからかお寿司とか刺身とかに変わって、他の家で初めて見た時驚きましたね。
by コーヒーカップ (2024-05-07 16:55)
ポンカンを間違って打ってしまいました。訂正。ありがとうございます。
by 夏炉冬扇 (2024-05-07 21:47)
うーん、どちらも難しいです(^_^;)
前者は自分の不明を恥じるときに使う言葉で、後者は悪しき事との付き合いをいうのですね。
でも、托鉢とは在家信者からいただいた、本来なら捨てていた残り物の料理...とは驚き。もし万が一我が家に来られたら、お米にしようかお金にしようか....(>_<)(^_^;)
by yokomi (2024-05-07 22:12)
集金ノルマを科す現在の寺院制度は、ある意味なまぐさ
とも言えたり・・・・。なまぐさは外国語だったんですね。
by tai-yama (2024-05-07 23:55)
ご法事の時は和尚様の御膳も準備しますが、普通にお刺身とか天ぷらも入ってましたね
by mau (2024-05-08 00:14)
大変勉強になりました。
m(__)m
by kgoto (2024-05-10 19:24)