大学院に今春入りました、仏教学をおすすめします [仏教]
みなさんこんにちは。新しい日付の記事更新はほぼ2年ぶりになります。私ごとですが、今春から37年ぶりに学業に復帰しました。大学院修士課程の仏教学専攻です。といっても、学部時代に仏教を学んだわけではなく、新宗教にかぶれたわけでもありませんよ。
昨今の変化でいちばん大きなことは、今年度から37年ぶりに学業復帰(大学院)したことです。
通信課程ですが、30単位の学修という点では通学とまったく変わりなく、かなり厳し目の入学試験でした。
社会人入試なんていう制度ではないので、自分にとって孫世代の学部新卒者との競争も含めて、久々の受験はちょっと大変でした。
勉強しても暗記力も落ちてるしね。
ですから、ロンドンブーツ1号とか、恵俊彰なんかの「広告塔進学」と一緒にしないでね。
ここだけの話、大学院は20代のとき、3回受験不合格等の経験+研究生をキャンセルした経験があり、それを合わせると5度目の正直です。
大学も2つ入っているので、どんだけ学校が好きなんだよ、と思われそうですが、実際は逆です。
毒親に、自己肯定感や自己意思決定能力をスポイルされてしまったので、学校を入り直しても充実したキャンパスライフを送れず迷走してしまったのです。
今回の専攻は、なんと仏教学。
学部時代は、カスりもしなかった分野なのに、いきなり修士から始めるのは、やはり年齢的にね、今更学部から入り直しで4年かけるのは厳しいからです。
まあ、若い頃だったら、考えもしなかった進路です。
「宗教」ではなく、「仏教」というところがミソです。
今現在も、唯物論の世界観を放棄していない私が、なぜ仏教学専攻の院生になったか。
ひとつは、「量子力学」や「脳科学」といった、従来の科学の限界の突破口になるであろう分野が注目され始めてきていますが、それらの分野と仏教の教えが重なるとのことで、科学者からは、お釈迦様のオリジナルの仏教が見直されています。
ですから、それを仏教の側からアプローチしてみようと思ったわけです。
もとより、本来の仏教とは、神様とか霊魂を前提としていないし、「信仰していれば救われる」ものではなく、自分自身の心を鍛えて煩悩を排する営みですから、他の宗教とは根本的に違います。
分析的思考の祖は、ルネ・デカルトではなくゴータマ・シッダールタ(お釈迦様)ではないかと思えますし、物質と心とエネルギーの連関という世界観は、ヘーゲルの弁証法にもつながります。
アインシュタインも、「仏教は科学を先取りしている」と言ってますよね。
一部に誤解があるのですが、日蓮宗とか浄土宗とか曹洞宗とか真言宗とか、日本の仏教諸宗派は、お釈迦様のオリジナル仏教とは違いますからね。
大乗仏教と言って、それらはオリジナル仏教に、時代時代で創作物のお経を架上します。
そして、日本の大乗仏教は、中国の儒教のフィルターを通し、日本の家制度というイデオロギーに忖度。
さらに戒律も甘い世界です。
だから、金儲けのうまい住職がいたり、瀬戸内寂聴さんみたいな人が現れたりする。
ナントカ如来とか、般若心経とか、お釈迦様の仏教にはそんなものはありません。
仏教と関わることになったもうひとつの理由は、自分の「ほしのもと」との折り合いです。
Facebookの「友達」である、学生時代のゼミの同級生が、ある年の誕生日を迎えるにあたって、こう投稿しました。
「振り返ると、自分には出来すぎた人生だった」
これは、自慢と謙遜が含まれた絶妙な表現です。
翻って、自分はどうだったかと考えました。
どんなに見栄を張ろうとしても、同じことは書けません。
いや、自分の人生が悲惨すぎてね。
毒親、毒妹、毒先祖、毒親戚……
さらにいえば、そういう毒の環境で育てられた私の人間性は、対外的にも生きづらい日々でした。
友人のつもりだった人や知人にも、騙されたり、傷つけられたりしました。
火災のような不幸もありましたし、妻は、私と結婚してから4回も手術(それまでは0回)。
歳を重ねるごとに不幸ばかり生み出します。
そうした人生を振り返ると、もし天の配剤なるものがあるとするなら、もう疑念と憤りと悔しさしか出てきません。
ただ、周囲についていえば、自分にとってひどい人たちではあるけれども、あくまで人格的な問題なので、民事や刑事の責任が問えることではないのが悩ましかった。
ひどいことをした人たちなのに、断罪できる根拠が無いと、すっきりしない。
だって、ひどいことをされても、それがなぜひどいかという根拠が無いと、まるで私が感情的なだけ、ということになってしまうでしょう。
法的にはむずかしいけれども、道義的、常識的にアレな人たちを、どう断罪したらいいのか。
「〇〇だから、こいつらはひどい奴らなのだ」という〇〇の理屈が欲しかった。
それと、親や先祖は仕方ないとして、そういう人たちと付き合ってしまった自分の落ち度は落ち度として、なにが悪かったのか自己批判もしたいと思いました。
そういう人たちと付き合うということは、何より私自身もおかしいのでしょう。
そこで、腑に落ちたのが「仏教」でした。
たとえば八正道とか、六波羅蜜とか、仏教的な態度ってありますよね。
そこから外れることを確認することで、「ああ、こいつは八正道の『正語』に反しているな」とか、「腹が立つ」根拠がはっきりすることで、少しずつ過去の疑念や憤りや悔しさについて、気持ちを納めることが出来たのです。
ああ、こいつは仏教的にダメな奴だったんだ、だから他者に対して誤った態度しか取れないのだ、ということを確認したわけです。
相手にはもちろん言いませんけどね。自分の心の中で、「人はどうあるべきか」と考えるとき、親類の某についての怒りがふつふつとこみ上げてきたら、「ああ、あいつは仏教の〇〇に反しているだめなやつだからああなんだ」と思うことで、ハラも立たなくなります。
親も兄弟も、先祖も親類も友人も、仏教的にはろくでもないやつらだった。
でも、自分はそうならないようにしよう。
そう思うことで、自分の気持ちを、以前よりは落ち着けることができるようになりました。
大学院で、最初に教わったのは、「仏教とはなにか」。
困難にして理不尽な経験の連続となるこの人生を、根底から支えつつ、あらたな道を開く「指針」「知識」となり、歩ませる「力」となるものを得る
だそうです。
生きづらい人には、ピッタリの定義です。
今は、生涯学習と言って、いったん学業を離れた人が、大学や大学院に戻るケースが少なくありません。
大学も、学生を集めたいし、1990年から学位の規制緩和が行われ、学位の分野が大幅に増えました。
今からなら、秋入学の大学もありますよ。
まあ、私も40代ならね、MBA(経営学修士)を狙って……なんて考えますが、還暦過ぎたら、大学のブランドだとか就職率とか、そういう余計な価値は一切関係なく、本当に自分が学修したいものに取り組めるので、そんな私としては仏教学をおすすめします。
ただ、学修が忙しいため、SSブログは以前のような巡回はほとんどできないと思いますが、記事だけは週に1度の更新を努力目標にしたいと思っています。……月1回かな?
ということで、よろしくおねがいします。
昨今の変化でいちばん大きなことは、今年度から37年ぶりに学業復帰(大学院)したことです。
通信課程ですが、30単位の学修という点では通学とまったく変わりなく、かなり厳し目の入学試験でした。
社会人入試なんていう制度ではないので、自分にとって孫世代の学部新卒者との競争も含めて、久々の受験はちょっと大変でした。
勉強しても暗記力も落ちてるしね。
ですから、ロンドンブーツ1号とか、恵俊彰なんかの「広告塔進学」と一緒にしないでね。
ここだけの話、大学院は20代のとき、3回受験不合格等の経験+研究生をキャンセルした経験があり、それを合わせると5度目の正直です。
大学も2つ入っているので、どんだけ学校が好きなんだよ、と思われそうですが、実際は逆です。
毒親に、自己肯定感や自己意思決定能力をスポイルされてしまったので、学校を入り直しても充実したキャンパスライフを送れず迷走してしまったのです。
今回の専攻は、なんと仏教学。
学部時代は、カスりもしなかった分野なのに、いきなり修士から始めるのは、やはり年齢的にね、今更学部から入り直しで4年かけるのは厳しいからです。
まあ、若い頃だったら、考えもしなかった進路です。
「宗教」ではなく、「仏教」というところがミソです。
仏教学修を選んだ2つの理由
今現在も、唯物論の世界観を放棄していない私が、なぜ仏教学専攻の院生になったか。
ひとつは、「量子力学」や「脳科学」といった、従来の科学の限界の突破口になるであろう分野が注目され始めてきていますが、それらの分野と仏教の教えが重なるとのことで、科学者からは、お釈迦様のオリジナルの仏教が見直されています。
ですから、それを仏教の側からアプローチしてみようと思ったわけです。
もとより、本来の仏教とは、神様とか霊魂を前提としていないし、「信仰していれば救われる」ものではなく、自分自身の心を鍛えて煩悩を排する営みですから、他の宗教とは根本的に違います。
分析的思考の祖は、ルネ・デカルトではなくゴータマ・シッダールタ(お釈迦様)ではないかと思えますし、物質と心とエネルギーの連関という世界観は、ヘーゲルの弁証法にもつながります。
アインシュタインも、「仏教は科学を先取りしている」と言ってますよね。
一部に誤解があるのですが、日蓮宗とか浄土宗とか曹洞宗とか真言宗とか、日本の仏教諸宗派は、お釈迦様のオリジナル仏教とは違いますからね。
大乗仏教と言って、それらはオリジナル仏教に、時代時代で創作物のお経を架上します。
そして、日本の大乗仏教は、中国の儒教のフィルターを通し、日本の家制度というイデオロギーに忖度。
さらに戒律も甘い世界です。
だから、金儲けのうまい住職がいたり、瀬戸内寂聴さんみたいな人が現れたりする。
ナントカ如来とか、般若心経とか、お釈迦様の仏教にはそんなものはありません。
仏教と関わることになったもうひとつの理由は、自分の「ほしのもと」との折り合いです。
Facebookの「友達」である、学生時代のゼミの同級生が、ある年の誕生日を迎えるにあたって、こう投稿しました。
「振り返ると、自分には出来すぎた人生だった」
これは、自慢と謙遜が含まれた絶妙な表現です。
翻って、自分はどうだったかと考えました。
どんなに見栄を張ろうとしても、同じことは書けません。
いや、自分の人生が悲惨すぎてね。
毒親、毒妹、毒先祖、毒親戚……
さらにいえば、そういう毒の環境で育てられた私の人間性は、対外的にも生きづらい日々でした。
友人のつもりだった人や知人にも、騙されたり、傷つけられたりしました。
火災のような不幸もありましたし、妻は、私と結婚してから4回も手術(それまでは0回)。
歳を重ねるごとに不幸ばかり生み出します。
そうした人生を振り返ると、もし天の配剤なるものがあるとするなら、もう疑念と憤りと悔しさしか出てきません。
ただ、周囲についていえば、自分にとってひどい人たちではあるけれども、あくまで人格的な問題なので、民事や刑事の責任が問えることではないのが悩ましかった。
ひどいことをした人たちなのに、断罪できる根拠が無いと、すっきりしない。
だって、ひどいことをされても、それがなぜひどいかという根拠が無いと、まるで私が感情的なだけ、ということになってしまうでしょう。
法的にはむずかしいけれども、道義的、常識的にアレな人たちを、どう断罪したらいいのか。
「〇〇だから、こいつらはひどい奴らなのだ」という〇〇の理屈が欲しかった。
それと、親や先祖は仕方ないとして、そういう人たちと付き合ってしまった自分の落ち度は落ち度として、なにが悪かったのか自己批判もしたいと思いました。
そういう人たちと付き合うということは、何より私自身もおかしいのでしょう。
そこで、腑に落ちたのが「仏教」でした。
たとえば八正道とか、六波羅蜜とか、仏教的な態度ってありますよね。
そこから外れることを確認することで、「ああ、こいつは八正道の『正語』に反しているな」とか、「腹が立つ」根拠がはっきりすることで、少しずつ過去の疑念や憤りや悔しさについて、気持ちを納めることが出来たのです。
ああ、こいつは仏教的にダメな奴だったんだ、だから他者に対して誤った態度しか取れないのだ、ということを確認したわけです。
相手にはもちろん言いませんけどね。自分の心の中で、「人はどうあるべきか」と考えるとき、親類の某についての怒りがふつふつとこみ上げてきたら、「ああ、あいつは仏教の〇〇に反しているだめなやつだからああなんだ」と思うことで、ハラも立たなくなります。
親も兄弟も、先祖も親類も友人も、仏教的にはろくでもないやつらだった。
でも、自分はそうならないようにしよう。
そう思うことで、自分の気持ちを、以前よりは落ち着けることができるようになりました。
生きづらいから仏教を学修する
大学院で、最初に教わったのは、「仏教とはなにか」。
困難にして理不尽な経験の連続となるこの人生を、根底から支えつつ、あらたな道を開く「指針」「知識」となり、歩ませる「力」となるものを得る
だそうです。
生きづらい人には、ピッタリの定義です。
今は、生涯学習と言って、いったん学業を離れた人が、大学や大学院に戻るケースが少なくありません。
大学も、学生を集めたいし、1990年から学位の規制緩和が行われ、学位の分野が大幅に増えました。
今からなら、秋入学の大学もありますよ。
まあ、私も40代ならね、MBA(経営学修士)を狙って……なんて考えますが、還暦過ぎたら、大学のブランドだとか就職率とか、そういう余計な価値は一切関係なく、本当に自分が学修したいものに取り組めるので、そんな私としては仏教学をおすすめします。
ただ、学修が忙しいため、SSブログは以前のような巡回はほとんどできないと思いますが、記事だけは週に1度の更新を努力目標にしたいと思っています。……月1回かな?
ということで、よろしくおねがいします。
さすがテーマ学問1位、学ぶ姿勢を見習いたい。
純粋(表現あってる?)な仏教興味あるので楽しみです(^○^)
by pn (2023-05-14 06:18)
大学院入学おめでとうございます!!
還暦過ぎてからの学業、素晴らしい✨
いっぷくさんのブログはいつも勉強になります。
今後も楽しみに読ませて頂きます♪
by エンジェル (2023-05-14 07:37)
還暦を過ぎてもう一度学びたいという志は、簡単なことではないですね。私自身、大学の専攻は就職の際有利だからという安易な理由で「経済学科」にしましたが、気持ちは「日本史学科」に行きたかったです。今は自由な時間が多くなったので、個人的に日本史を勉強をし直していますが、かと言っていっぷくさんのような覚悟は到底持てません。
是非頑張ってください!
by 十円木馬 (2023-05-14 10:44)
お帰りなさい、お久しぶりです。
素晴らしいですね、大学院入学…それも仏教学とは。ブラッシュアップされて中身の濃くなった、いっぷくさんが戻って来て嬉しいです。
by 扶侶夢 (2023-05-14 10:53)
お久しぶりです。興味深い学問ですね。
by carotte (2023-05-14 13:54)
還暦を過ぎての学業 頭が下がります。また仏教学というのも凄いです。シニアになると哲学やら精神世界の充実に興味が深くなるのも理解できます。
by Goriot爺さん (2023-05-14 18:11)
おめでとうございます。
快挙ですね。
学ぶ楽しみを存分に堪能なさってください。
by とし@黒猫 (2023-05-14 20:07)
久しぶりに、いっぷくさん節を堪能させて頂きました。
なんで急にブログの更新が止まったのかな、と思っていたのですが、勉強の方に力を入れられていたのですね。
「本来」の仏教の考え方には、共感できそうです。
存分に学ばれて、できればたまにこの場で、ちょっとだけでも公開してほしいです!
by うめむす (2023-05-14 23:23)
こんにちは。
ご無沙汰しております。
ずっと更新なさっていないので、気になっておりました。
大学院入学、おめでとうございます。
還暦を過ぎてからの入学ということで、何かと大変だと思うのですが、勉学に励んで下さい。
by ピンキィモモ (2023-05-15 00:42)
還暦を過ぎてからの大学院への入学おめでとうございます。
大学にも行かなかった私からすれば素晴らしい行動力が羨ましいです。
by 我流麺童 (2023-05-15 06:21)
大学院へ進まれたんですね!素晴らしいです^^
ヨガ哲学は仏教に通じるところがあるので、こちらでもいろいろ仏教について発信ください!
これからもいっぷくさんのブログを楽しみにしています。
by Rinko (2023-05-15 08:06)
復帰に今頃気づきました。
お元気そうで何よりです。
人生いつからでも学ぶことが出来ますね。
by mistta (2023-05-17 05:28)
お久しぶりです。
お元気そうで何よりです。
大学院に入学されたのですね!おめでとうございます^^
より様々なことを学ばれるいっぷくさんの
ブログ、これからも楽しみにしています。
by taekozue (2023-05-19 09:08)