「親ガチャ」というキーワードがトレンドに、人生は必然と偶然 [トレンド]
『実力も運のうち 能力主義は正義か?』という本が話題です。
「親ガチャ」というキーワードが、今やトレンドになりつつあります。
親ガチャって何?
人生に影響を与える境遇(ほしのもと)は運次第、本人には選べないという意味です。
Newポストセブンに、『【書評】ハーバード白熱教室の教授が論じる“親ガチャ”の不公平』というタイトルの記事が更新され、Web掲示板のスレッドが立つほど話題になっています。
『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(マイケル・サンデル・著 鬼澤忍・訳/早川書房)という書籍に対する、鴻巣友季子さん(翻訳家)のブックレビューです。
「親ガチャ」について書かれています。
どういう内容か。
どんな境遇に生まれつくかは運次第、本人に選べるものではない。
「ほしのもと」とは、そういう「不公平」なものである。
では、努力や能力や学歴による勝負という建前の、現代の「実力社会」は、果たして正しいのか、ということが書かれています。
実力なんだから公平じゃないか、と思われますか。
「実力社会」とは、試験とか業績とか学歴といったものを見ますから、たしかに一見公平です。
だからといって、人生は「生まれ」ではなく「努力」や「能力」だといえるでしょうか。
ちょっと考えてみましょう。
その人の本来持っている能力、地道に努力しようという気持ち、価値観、前提となる文化水準などは、結局親の遺伝子、経済力、環境や人脈などに大きく依存しているとはいえないでしょうか。
やれ、努力だ、能力だといったところで、しょせんどういう「ほしのもと」かに影響されているのです。
それなのに、なまじ「公平」の建前をうたった「実力主義」の現代は、封建時代のような家柄や階級などのせいにできず、その人は「実力で負けた」「努力しなかった」など、自尊心をスポイルされることになります。
身分制がない民主主義の社会は素晴らしい。
でも、その一方で、誰でも努力して立身出世することを「成功」とする時代は、競争に煽られる社会として私達を追い詰めているのではないか。
そういうことを、本書は述べています。
なかなか深い、鋭い話だと思いませんか。
我が意を得たりと、思わずヒザをぽんと叩く話です。
著者は何が言いたいかと言うと、
自分は努力したから成功した
↓
成功してない人は努力が足りない
↓
だから、成功していない人がどんなに困っても自己責任である
という、新自由主義的な3段論法を否定しているのです。
努力努力って言うけどな、それはお前が努力できる「ほしのもと」だからできたんだ。世の中には、そうしたくてもできない、その価値観に至らない「ほしのもと」の人もいるんだ。だから、お前は「努力」をもってその人に比べて人として優れているとはいえない。自惚れるな
という話です。
Web掲示板を見ていると、生活保護受給者や、障碍者を叩いているじゃないですか。
弱者を「自己責任」と突き放してるじゃないですか。
「叩いているお前らは、運がよくてそうならなかっただけだろ」と、著者は戒めているわけです。
では、人生は「ほしのもと」で決まってしまい、運がすべてなのでしょうか。
もちろん、そんなことはないと思いますし、著者もそういう捉え方は本意でないと思います。
私は持論として、人生とは必然と偶然の重層的に織りなす長い系列だと思っています。
どんな「ほしのもと」でも、自己実現の努力は無駄ではなく、それどころか努力という「必然」によって、考えもしなかった新しい「偶然」(運)を経験できるかもしれません。
たとえば、“日本のケインズ”高橋是清。
高橋是清は、幕府御用絵師・川村庄右衛門さんの息子として生まれました。
「女中」への「お手つき」で「できちゃった」子どもで、和菓子店に養子に出す話もあったのですが、高橋家のゴッドマザー、きよこさんとの出会いがあり、きよこさんの鶴の一声で高橋家に養子縁組することとなり、武士になりました。
その後、仙台藩の重臣、大童信太夫に目をかけられ、その命を受けた配下の石川貞輔との出会いで武士としてのアイデンティティを確立しました。
「出会い」は偶然ですが、そこでチャンスをモノにした高橋是清は、幾多の試練を乗り越えて、つまり本人の努力があって、日銀総裁、総理大臣、大蔵大臣などをつとめたわけです。
もし、高橋きよこさん、大童信太夫、石川貞輔らとの出会いがなければ、そもそも武士になっていなかったし、和菓子店に養子に行っていたら、その後の人生は全く違うものでした。
ただし、世の中の誰もが、高橋是清のような幸運に恵まれるとは限らないし、また高橋是清自身のパーソナリティに価値を感じたからこそ、そうした人々が高橋是清をもり立てたのです。
これぞまさに、人生は必然と偶然、のモデルのような生き方です。
人生、チャンスが来たら頑張ろう。ただし、不遇だからといって「自己責任」と自身を貶めることはない、という話です。
うだつが上がらなくても、気持ちが救われる良書です。
実力も運のうち 能力主義は正義か? - マイケル サンデル, 鬼澤 忍
実力も運のうち 能力主義は正義か? [ マイケル・サンデル ] - 楽天ブックス
「親ガチャ」というキーワードが、今やトレンドになりつつあります。
親ガチャって何?
人生に影響を与える境遇(ほしのもと)は運次第、本人には選べないという意味です。
「実力社会」は本当にその人の「実力」なのか?
Newポストセブンに、『【書評】ハーバード白熱教室の教授が論じる“親ガチャ”の不公平』というタイトルの記事が更新され、Web掲示板のスレッドが立つほど話題になっています。
『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(マイケル・サンデル・著 鬼澤忍・訳/早川書房)という書籍に対する、鴻巣友季子さん(翻訳家)のブックレビューです。
「親ガチャ」について書かれています。
【書評】ハーバード白熱教室の教授が論じる“親ガチャ”の不公平|NEWSポストセブン https://t.co/TSeBhcmJ1o #newspostseven
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) May 25, 2021
どういう内容か。
どんな境遇に生まれつくかは運次第、本人に選べるものではない。
「ほしのもと」とは、そういう「不公平」なものである。
では、努力や能力や学歴による勝負という建前の、現代の「実力社会」は、果たして正しいのか、ということが書かれています。
実力なんだから公平じゃないか、と思われますか。
「実力社会」とは、試験とか業績とか学歴といったものを見ますから、たしかに一見公平です。
だからといって、人生は「生まれ」ではなく「努力」や「能力」だといえるでしょうか。
ちょっと考えてみましょう。
その人の本来持っている能力、地道に努力しようという気持ち、価値観、前提となる文化水準などは、結局親の遺伝子、経済力、環境や人脈などに大きく依存しているとはいえないでしょうか。
やれ、努力だ、能力だといったところで、しょせんどういう「ほしのもと」かに影響されているのです。
それなのに、なまじ「公平」の建前をうたった「実力主義」の現代は、封建時代のような家柄や階級などのせいにできず、その人は「実力で負けた」「努力しなかった」など、自尊心をスポイルされることになります。
身分制がない民主主義の社会は素晴らしい。
でも、その一方で、誰でも努力して立身出世することを「成功」とする時代は、競争に煽られる社会として私達を追い詰めているのではないか。
そういうことを、本書は述べています。
なかなか深い、鋭い話だと思いませんか。
我が意を得たりと、思わずヒザをぽんと叩く話です。
「自己責任」とは何だ
著者は何が言いたいかと言うと、
自分は努力したから成功した
↓
成功してない人は努力が足りない
↓
だから、成功していない人がどんなに困っても自己責任である
という、新自由主義的な3段論法を否定しているのです。
努力努力って言うけどな、それはお前が努力できる「ほしのもと」だからできたんだ。世の中には、そうしたくてもできない、その価値観に至らない「ほしのもと」の人もいるんだ。だから、お前は「努力」をもってその人に比べて人として優れているとはいえない。自惚れるな
という話です。
Web掲示板を見ていると、生活保護受給者や、障碍者を叩いているじゃないですか。
弱者を「自己責任」と突き放してるじゃないですか。
「叩いているお前らは、運がよくてそうならなかっただけだろ」と、著者は戒めているわけです。
やっぱり「人生は必然と偶然」
では、人生は「ほしのもと」で決まってしまい、運がすべてなのでしょうか。
もちろん、そんなことはないと思いますし、著者もそういう捉え方は本意でないと思います。
私は持論として、人生とは必然と偶然の重層的に織りなす長い系列だと思っています。
どんな「ほしのもと」でも、自己実現の努力は無駄ではなく、それどころか努力という「必然」によって、考えもしなかった新しい「偶然」(運)を経験できるかもしれません。
たとえば、“日本のケインズ”高橋是清。
〝いかなる場合でも
— はるき 能登の空から (@harukinotosora) May 23, 2021
何か食うだけの仕事は
かならず授かるものである
常にそれに満足して
一生懸命にやるなら
衣食は足りるのだ〟
高橋是清 pic.twitter.com/PUTsLIDx7t
高橋是清は、幕府御用絵師・川村庄右衛門さんの息子として生まれました。
「女中」への「お手つき」で「できちゃった」子どもで、和菓子店に養子に出す話もあったのですが、高橋家のゴッドマザー、きよこさんとの出会いがあり、きよこさんの鶴の一声で高橋家に養子縁組することとなり、武士になりました。
その後、仙台藩の重臣、大童信太夫に目をかけられ、その命を受けた配下の石川貞輔との出会いで武士としてのアイデンティティを確立しました。
「出会い」は偶然ですが、そこでチャンスをモノにした高橋是清は、幾多の試練を乗り越えて、つまり本人の努力があって、日銀総裁、総理大臣、大蔵大臣などをつとめたわけです。
もし、高橋きよこさん、大童信太夫、石川貞輔らとの出会いがなければ、そもそも武士になっていなかったし、和菓子店に養子に行っていたら、その後の人生は全く違うものでした。
ただし、世の中の誰もが、高橋是清のような幸運に恵まれるとは限らないし、また高橋是清自身のパーソナリティに価値を感じたからこそ、そうした人々が高橋是清をもり立てたのです。
これぞまさに、人生は必然と偶然、のモデルのような生き方です。
私は子供の時から、自分は幸福者だ、運のいい者だということを深く思い込んでおった。それでどんな失敗をしても、窮地に陥っても、自分にはいつかよい運が転換してくるものだと、一心になって努力した。今になって思えば、それが私を生来の楽天家たらしめる原因じゃないかと思う。
— 高橋是清bot (@t_korekiyo_bot) May 22, 2021
人生、チャンスが来たら頑張ろう。ただし、不遇だからといって「自己責任」と自身を貶めることはない、という話です。
うだつが上がらなくても、気持ちが救われる良書です。
実力も運のうち 能力主義は正義か? - マイケル サンデル, 鬼澤 忍
実力も運のうち 能力主義は正義か? [ マイケル・サンデル ] - 楽天ブックス
こんにちは。
「実力も運のうち」と、何となく思いますが・・・
「能力主義は正義か?」は、抽象的で頷くには難しいですね?
「人生は必然と偶然」は、頷けます。
マイケル・サンデル著の書籍、色々と考えさせられる内容みたいです。
「自己責任」の考え方、社会状況や内容で変わってきますが・・・
社会主義・レーニンの「働かざるものは食うべからず」を思い出しました。権利と義務の関係でも違ってくる印象です!?(=^・ェ・^=)
by Boss365 (2021-05-27 00:16)
「実力も運のうち」、言われてみればそうかもしれないと思います(断定は出来ませんが…)
by ナベちはる (2021-05-27 00:35)
おはようございます。
上手くいく人もいれば上手くいかない人もいたりしますね。
by SGD楓 (2021-05-27 05:57)
運も実力のうちなら何となく分かりますが実力が運ってなんとなくピンと来ない(^_^;)
by pn (2021-05-27 06:25)
爺はウンの神に見放されたがこれも自己責任なのかな?。
運が無いだけなんでしょうね。(=_=)。
by 旅爺さん (2021-05-27 06:31)
実力も運、と言われると悔しいかもしれないけど、当たり前の話ですな。
成功した人は、成功する機会があってこその努力でありますから。
その機会をゲットできたのは、突き詰めるところ「運」と言われても、反論できんでしょ。
反論できるのなら、聞いたみたいですな。
by おっつぁん (2021-05-27 14:28)
こちらで読んだかどうか忘れましたが、王監督の話を思い出しました。
王監督が、巨人の監督の頃の話です。選手に物足りなさを感じた監督は、「凡人は努力するもの。努力は裏切らない」という旨の説諭をミーティングで行ったものの、選手からは「努力する(できる)のも天分です」と反論されたという話です。
人間は、何でも自分の力と考えがちですが、もとを正せば自分だけのものなんて何一つありません。遺伝子レベルで、先人が成したものを受け継いでいます。
by skeptics (2021-05-27 16:47)
ボクの子として生まれてしまったことを不幸と思わせないように、せめて一所懸命頑張ろうと思っていました。
何せ子供は親を選べませんからね(^^;
by なかちゃん (2021-05-27 18:21)
子どもの頃には、「私は橋の下で生まれて拾われてきたので、もっと良い両親がいるはずだ」と言うようなドラマがあった様な気がします。
by ヨッシーパパ (2021-05-27 19:53)
>人間は、何でも自分の力と考えがちですが、もとを正せば自分だけのものなんて何一つありません。
>by skeptics (2021-05-27 16:47)
そうですね。しかも、どういう親に生まれるか、どういう遺伝子を受け継ぐかは選べません。
それを「実力も運のうち」と著者は言っているわけですが、自分の人生は100%自分の実力としたい方もおられるようですね。それはきっと、「自分の人生を他人のせいにするな」のような美学から来ていると思うのですが、心意気は別として、客観的にはそれは違いますよね。
by いっぷく (2021-05-29 02:34)
「親ガチャ」の事をお話ししていたある動画のコメントに、「国ガチャ」というワードを見つけました。あと、日本に生まれただけでも宝くじに当たったようなもの、という書き込みもどこかで見ました。戦後史の激動さんの今回の記事とコメントされてる皆さんの考えを読んで、運って何だろうと改めて考えさせてもらいました。有難う御座いました。
by 無為自然 (2021-05-30 09:54)
チャンスを掴み取る力が無ければ逃し、チャンスが訪れなければ掴む力を発揮する場は与えられないものですもんね。
結局、我々は運命の激流に流されるしかなくて、その中で最善の選択肢を選べる可能性を高める力こそが「努力」だと思うんですよ。
あくまで可能性を高めるだけで、どれだけ努力しても絶対の保証は無いってのがまた辛いですね。
by Caelum (2021-05-30 21:30)