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脳障害、受傷後1年半の場合 [遷延性意識障害]

脳障害

具志堅一郎さんという方が、息子さんの将之介さんの突然の大事故を、写真とともにFacebookに公表して話題になったのが2015年1月30日でした。具志堅一郎さんは拡散を希望されていましたが、Facebookを十分に使いこなしていなかった私は、このブログで紹介することにして、同日付の記事でご紹介させていただきました。



具志堅一郎さんについて書いた記事のリンクです。

意識不明の大事故受傷に備えて、準備できることは?

f具志堅一郎

それ以来、将之助さんの状態は、動画や静止画像で拝見してきましたが、先日投稿された直近の動画をご紹介します。



具志堅一郎さんのコメントによると、今も、「辛いきついリハビリを頑張ってい」るとのこと。

将之介さんの脳は、右大脳の一部、小脳の一部、脳幹の一部が失われているそうです。

外科手術の話は、以前拝見した記憶があるのですが、具体的にどの部分かは確認していなかったので、今回「脳幹の一部」というのを見て、ちょっとびっくりしました。

脳幹というのは、呼吸や血液の調整、食欲、免疫力など、生命活動維持の基本となる機能を司るところです。

お子さんなので、リハビリで機能の向上はあると思いますが、自力歩行や自力摂食などのシーンはまだ出てきていないので、たしかに大変だなあと思います。

ただ、コメントには、「少しずつですが、動きが良くなっています」と書かれていますし、動画ではカメラ目線でピースサインなどのシーンもあるので、これからに期待はできると思います。

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私の長男の1年半は……


私の長男の場合は、2011年5月に受傷。今日でちょうど受傷まる5年です。

外科手術は喉の切開だけで、脳の手術はありませんでしたが、一酸化炭素中毒で大脳基底核が損傷しており、当初は遷延性意識障害の診断を受けました。

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人工呼吸器でかろうじて息をしていましたが、退院後のためにと、病院側は、カニューレ(喉に挿す空気穴)の抜き差しや、タンの取り方を私に特訓してくれました。

脳に受傷した方の本に出てくる、3ヶ月たったから退院しろと途中で放り出されることはなかったので、病院には大変感謝しています。

受傷半年後に、自力歩行ができるようになりましたが、寝たきり⇒ずり這い⇒自力歩行と段階的な回復でした。

食事は、胃ろうはせずに、鼻から液体食を流し込み、少しずつ固形分を食べさせました。

スープや味噌汁は、とろみをつけてから飲ませました。

一気に飲ませると、誤嚥の可能性があったからです。

自分では手も使えませんから、私か妻が食べさせるわけですが、

次男が、ペットに餌をやるように、食べ物を持って、私の後ろに並んでいたことがあり、それには、笑っていいものかどうか、複雑な気持ちになりました。

子どもというのは悪気が無いですからね。

まあ、食べる「量」だけは全くリハビリは必要ありませんでしたが。

ナプキンで肉汁をよける横浜の「ハングリータイガー」で
2012年8月

受傷当時はもちろん発語もありませんでした。

それまでの記憶も全て飛んでいました。

高次脳機能障害というのは、10~15年分の記憶が飛んでしまうそうです。

ですから、10歳未満の子どもなら、もうすべてが飛んでしまうわけです。

「パパ」と事故以来初めて呼んだのは、受傷後10ヶ月目です。

その頃は、帰宅すると玄関で出迎えてくれるので、「おみやげだよ」と買ってきたものを渡すと、「オ・ミ・ヤ・ゲ?」とけげんな顔をしていました。

そして、ちょうど、今の将之介さんと同じ受傷1年4ヶ月目頃は、夏休み中で、受傷以来、初めて学校に行きました。

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……と駆け足で書きましたが、この間、いろいろありました。

それを思い出すと、大変だったなあと思うし、また今も大変で、これからも間違いなく大変だと思いますが(汗)、将之介さん親子を見習って、頑張らなければなあと思いました。

そして、このブログには、遷延性意識障害になった方のご家族が、検索エンジンやツイッター経由でアクセスされています。

みなさんも、回復は「ダメだ」と思ったらそこで終わってしまうので、いつも前を向いて頑張っていきましょう。

僕のうしろに道はできる

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  • 作者: 紙屋 克子
  • 出版社/メーカー: 三五館
  • 発売日: 2012/12/18
  • メディア: 大型本


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