佐々木剛といえば、特撮ドラマの『仮面ライダー』で、主役の一文字隼人を演じた俳優です。少し前のニュースですが、その壮絶な生きざまか『爆報!THEフライデー』(TBS)でとり上げられ、ネットでも話題になりました。今日は佐々木剛の「壮絶」な面について書きます。(上の画像はGoogle検索画面より)
ネットでも、仮面ライダー2号・一文字隼人を演じた
佐々木剛のインタビューが発表されました。
仮面ライターシリーズといえば、21世紀まで続くロングセラーの特撮ドラマです。
ただし、「仮面ライダー××」と名前がつくのは時代ごとに作り変えられた新バージョンで、元祖「仮面ライダー」は、1971年4月3日~1973年2月10日まで、NET(現テレビ朝日)で放送されたものです。
そこに登場した仮面ライダーは2人。
本郷猛・仮面ライダー1号の
藤岡弘、
一文字隼人・仮面ライダー2号の佐々木剛
です。
藤岡弘がケガをしたため、第14話から一文字隼人が登場。
藤岡弘復帰後は、第2号は南米へ旅立った設定になっていますが、たまに帰ってきて、ダブルライダーとして悪役のショッカーと戦っています。
古いファンは、この元祖『仮面ライダー』と、1号・2号がストーリー展開に絡んでくる、風見志郎(宮内洋)の『仮面ライダーV3』までを「元祖」とする見方もあります。
今年は久しぶりに、仮面ライター1号主演作品が映画化されました。
今回話題になったインタビューでは、変身ポーズを最初にとったのは仮面ライダー2号の佐々木剛だったことが明かされています。
仮面ライダーはバイクに乗っていますが、佐々木剛はバイク免許がなかったので、新たに変身ポーズを編み出したそうです。
アクションや衣装も変更して、より明るくわかりやすい構成になり、1号時代の視聴率は8%前後だったのが、2号になって30%に。
仮面ライダーがロングセラーになったのは、2号時代の人気があったからこそ、という話です。
その佐々木剛は、現在は居酒屋「バッタもん」を開業し、自ら玉子焼きを焼いてファンと語り合う日々を送っているそうです。
私の記憶では、佐々木剛というと、『柔道一直線』や『繭子ひとり』など、1970年代は人気作品で見かけましたが、いつの間にか名前を聞かなくなりました。
原因は、
火災でした。
1982年、佐々木剛は妻と酒を飲み、泥酔したまま就寝。
出火は、その間のストーブからの引火といいます。
なんだ、自業自得じゃん、なんて簡単に言われたら悲しいですね。
当時のストーブなら、どこの家でもそうなるリスクはあったのです。
逃げ遅れたため全身に大やけど(70%)を負い、九死に一生の生還は出来たものの、火傷の痕で俳優生活は諦めざるを得ず、入院と度重なる手術で借金の額1000万円。
自暴自棄になり家庭も崩壊し、ドラマ時代の寵児だった佐々木剛は、車の中で寝泊りするホームレスに転落してしまいました。
その10年後、新国劇時代の同期生、
石橋正次の骨折りで舞台カムバックのチャンスを貰い、それがきっかけで、日光江戸村の住み込み俳優になります。
この頃、私は佐々木剛を久しぶりにテレビで見ました。
日光江戸村に、別れ別れになった息子さんが訪ねて来た番組でした。
佐々木剛は、息子さんを見た瞬間、泣いていました。
肉親と再会した佐々木剛は、徐々に元気を取り戻し、借金も返済した2011年、劇場版『仮面ライダー』でライダー2号の声を演じ、やっと表舞台に再登場。
事故から、ちょうど30年かかってのカムバックでした。
1982年……火災
1992年……舞台カムバック
2011年……映画カムバック
2012年……居酒屋「バッタもん」を開業してファンの前に登場
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人生設計そのものが焼失する
佐々木剛の生き様が何を物語るかというと、
火災のダメージがいかに大きいか、ということです。
どんな大病でも、復帰まで30年もかかるものはないでしょう。
火傷それ自体のダメージは大きかったと思いますが、1年で治療は完了しています。
しかし、火災によって、それまでの俳優としての自分は死んでしまったわけです。
それが大きいですね。
焼失するのは家やお金だけでなく、人生設計そのものが失われてしまうのです。
10年後に、
石橋正次がカムバックの手伝いをしています。
石橋正次はいいことをしましたが、10年待ったこともよかったと思います。
かりに、5年ぐらいで話を持って行っても、佐々木剛は精神的にそれを受けるまでの状態にはなかったかもしれません。
経験がない人は、そのへんがわからないのです。
私が火災を経験してから、明日でちょうど
5年です。
罹災後、3ヶ月ぐらいで、「落ち着きましたか?」などと聞いてくる奴がいましたが、
妻子が意識不明の重体の事故で
長男が遷延性意識障害と診断され
落ち着くわけねーだろ!
と、言ってやりたかったですね。言わなかったけど。
発達障害のところでも書きましたが、人間は何も知らなければ、自分の価値観や経験だけで判断してしまいます。
それはしかたのないことです。
ですから、私のいいたいのは、いろいろな立場や考えの人と対話をして、そして、本を呼んだりメディアの情報を得たりして、人や社会を知るべきである、ということです。
Facebookの記事のところで書いたように、私が、不慣れで苦手なFacebookを利用し、どちらかというと自分と考えや立場の異なるコミュニティーに参加しているのは、そこに対話の機会があるからです。
⇒
Facebook利用率が10代で大幅に低下というが、ン十代の私は……
気のあった人とだけ付き合う。
自分と同じ思想や趣味のコミュニティーだけ参加する。
耳の痛い話題は逃げる。
それなら、気楽は気楽ですよね。
でもたぶん、そこからは何も生まれない。
何も得られない。
発展がない。
物を知らないままで、誰かを傷つけてしまうかもしれない。
もとより、人間は無謬でも万能でもありません。
ですから、せめて可能な限り、そうならないように気をつけたいと思っているわけです。
それが、私が火災で学んだことです。
それにしても、佐々木剛のデンで、私の「復帰」まであと25年かかるとして、えー、そんなに余命あるのかな、あっても歳とっちゃってるしなあー……
と、心細い気持ちはあります。
でもまあ、佐々木剛も、65歳で不慣れな居酒屋を開業したわけですし、私にとって励みにはなります。
私も、明日から6年目の復帰の道を、前を向いて歩いていきたいと思います。
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