『格差固定 下流社会10年後調査から見える実態』(三浦展著、光文社)を読みました。「格差社会」や「貧富の差」といったことが近年言われ始め、今や1960年(昭和35年)並みの下流率43%。著者は、日本は新しい「身分社会」に突入していた!といい、「上流」「中流」「下流」の人々にアンケートをとり、意識調査をした結果を紹介している書籍です。
貧富の差については、大きく分けてふたつの意見があります。
ひとつは、まさに格差を深刻に捉えている潮流。
もうひとつは、終戦直後ではあるまいし、格差と言っても発展途上国のことを考えたらそんなものは大したことはない、という潮流。
しかし、それらは相対的貧困と絶対的貧困という視点の異なるものなので、真偽を争う関係ではないと思います。
ということは、「絶対的貧困に比べたら相対的貧困は大したことはない」という軽視はしない、ということです。
同書は、三菱総合研究所の「生活者市場予測システム」をもとに追加調査。
2005年出版の『下流社会』(私はまだ読んでいません)から10年後にあたる2015年の日本がどのような現状であるかをアンケート調査をもとに解説しています。
結論から書きますと、要するにこんにち「下流」の人が増えた(43%)ということと、いったん「下流」に落ちると、這い上がるのはむずかしい時代になったということが書かれています。
たとえば、上位9%が59%の資産を保有し、下位49%は4%しか保有しないといいます。
持てるものと持たざるものがはっきりとしているというのです。
ところが、それで這い上がろうにも、下流の者は大学に入っても這い上がれない、ということが書かれています。
昭和時代を、「悪平等」だのハチノアタマだのと黒歴史のようにいう人々がいますが、本書を見る限り、新自由主義の「成果」は着々とあらわれているということではないでしょうか。
まあ、中には「?」と思う考察もありますが。
たとえば、「男女別・階層意識別および投票政党別・結婚や性についての考え方」の調査における考察を見ると、日本共産党に投票した人はリベラルであり、貧しい者の見方という点が維新の党(もちろん今回の分裂前)と似ている。
ただし日本共産党の投票者は高学歴であり年収も低くない古典的インテリゲンチャ。
そこで日本共産党と維新の党が組めば、上流から下流まで「貧乏な人の味方」の勢力ができると書かれています。
日本共産党に「古典的インテリゲンチャ」という側面があるのは否定しませんが、日々の党活動を支えているのは、高学歴でも高収入でもない市井の「貧乏な人」たちあってこそだと私は思います。
アンケートだけで評論すると、こういう実態と乖離した考察になるんでしょうね。
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良くも悪くも「スナップショット」
いずれにしても、アンケートは、そのときの対象者の意識の「スナップショット」に過ぎません。
そのときそうである(あった)という表現としては一定の意義があります。
しかし、だから何? という思いも私にはあります。
「格差固定」というタイトルが、そもそも私はいかがなものかと思います。
同書によると、「上流」の多くは自由民主党を支持し、「下流」は政治に無関心が多いそうですが、
下流から這い上がりにくいということは、社会が発展せず、「上流」も活性化せずに腐敗していきます。
そこから何かのきっかけで、「下流」が目覚めて政治の仕組みを変えようとなれば社会の一大変動が起こらないとも限りません。
「格差」という民主主義社会の矛盾は、新しい時代への契機かもしれないのです。
まあ、もしかしたら、また別の仕組みによる格差や貧富ができるだけかもしれませんが……
たとえば、同書では現代を「公務員が上流という新封建社会」という見定めをしています。
しかし、それは永遠にそのままというわけにはいかないでしょう。
もちろん、「既得権」を守る抵抗もあるでしょうが、その矛盾が大きくなれば、否定されて新しい仕組みにならざるを得なくなります。
いずれにしても、「格差」に限らず、社会というのは決して「固定」されたものではなく、生き物なのです。
著者が、このアンケート調査の枚挙で何を伝えたいのか、その本心は読めませんでした。
が、私は、社会を「固定」させず変えるための生成性、契機性、発展性をそこから読み取ろうとする前向きな考察が欲しかったと思います。
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