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『ブラボー!若大将』若大将に重なる加山雄三の試練 [懐かし映画・ドラマ]

『ブラボー!若大将』若大将に重なる加山雄三の試練

『ブラボー!若大将』(1970年、東京映画/東宝)を観ました。ここのところ、週に1度のペースでご紹介していますが、気分転換作品として、今“マイブーム”になっているのは若大将シリーズです。本作は1970年という、加山雄三の私生活にとって激動の年であり、また本作を収録したDVDには興味深いエピソードも特典映像として提供されています。(画像は『ブラボー!若大将』より)


失恋と失業を経験する三十路の若大将


若大将シリーズといえば、美男俳優と岩倉具視の血をひく加山雄三が、高度経済成長が始まったといわれる右肩上がりの1960年代に、歌を歌い、楽器を奏で、レジャーブームの先端を行くスポーツにチャレンジする大学生を演じる明るく楽しい青春映画です。

もっとも、シリーズの始まったのが実年齢で25歳ですから、シリーズ中盤を過ぎると加山雄三も三十路に。

そこで、若大将も大学を卒業させて社会人の設定にします。

正直申し上げると、その頃から若大将シリーズの興収も下降してきたと言われていますが、同時期に東宝の屋台骨を支えていたクレージー映画や社長シリーズなども同じように下降線をたどりつつあったので、映画界そのものが斜陽期に来ていたのかもしれません。

そんな加山雄三と映画界の難しい時期を象徴するようなストーリーが、今回の『ブラボー!若大将』です。

今回は、若大将が交際している女性にフラれたり、会社に辞表を叩きつけて失職したりします。

若大将(加山雄三)の今回の設定は、住宅設備総合商社の三矢物産営業部勤務。

熊井鉄工の熊井社長(熊倉一雄)から売り込みを受けた住宅用鉄材は、100万円でも家が建つ画期的な素材でした。

先日亡くなった熊倉一雄も、この頃は東宝映画に出演していました。

熊倉一雄

熊倉一雄というと、『ひょっこりひょうたん島』の藤村有弘との掛け合いを、つい思い出してしまいます。

それはともかく、若大将は交際していた浜野百合子(高橋紀子)に、「私たちは結婚しても幸福になれない」とフラレてしまいます。相手は銀行の頭取だというのです。

会社では、裏で大手の鉄工会社と事業提携を進めていたため、企画だけ横取りするようなことはできないと雄一(加山雄三)は辞表を叩きつけてしまいます。

もちろん、この意思に偽りはないものの、辞表提出は「フラれて焦ってんだろう」という同僚の声も。

ヒロイン、節子(酒井和歌子)とは、失職中に日本を逃げ出したグァム島で知り合います。

ところが、節ちゃんは、青大将こと石山進次郎(田中邦衛)が専務を務める会社に勤務しています。

そこで、例によって横恋慕をいろいろします。

一方、実家の田能久では、江口(江原達怡)が「インスタントすき焼き」の企画を持ち込んだ業者に入れ込み、50万円、店のお金を使い込んでしまいます。

例によって、若大将は使い込みの責任をかぶり、勘当こそされていないものの田能久から消えます。

そして、若大将は熊井鉄工に就職。

中小企業のため、金策で、フラれた元カノの夫にまで頭を下げる苦労もします。

そして、実績をつけて三矢物産に再び住宅用鉄材の交渉を求められ、両社の合弁会社の社長におさまりめでたしめでたし。

大学生時代とは違い、ずいぶん苦労した若大将でした。

しかし、この年の若大将を演じた加山雄三は、実生活でも大変な年でした。

リアル若大将、加山雄三の試練


加山雄三というと、有名人の両親を持ち、裕福な家庭で勉強もスポーツも音楽も存分に楽しみ、何不自由ないボンボンのようにみえるかもしれませんが、ある程度年配の方はご存知のように、事業の失敗で苦労しています。

この1970年は、まず母親の小桜葉子と死別しています。さらに、父の上原謙と役員をつとめていたパシフィックパークホテルが倒産。莫大な負債を抱えたそうです。

以前、テレビで本人が話していたところによると、華やかなときにはたくさんの人が周囲に集まったのに、その頃は次々人が離れていったとか。

人なんてそんなもんですよね。

その時に残ったのが現夫人である女優の松本めぐみだったわけです。

いろいろ悪いことが重なる時ってありますが、そういうときに結婚した相手とは、固い絆で結ばれるのでしょうね。

加山雄三にとっての1970年は、その3つの大きな出来事があったのです。

それでも、悪気のないボンボンでいられる加山雄三はすごいなあと思います。

私だったら、かりにいくら恵まれた環境で育っても、そこで人生観が変わってしまいますね。

小学校の校歌を作曲


本作は、本編ストーリーもさることながら、それ以外にももうひとつ興趣がありました。

発売されている本作DVDの特典映像には、岩谷時子、弾厚作(加山雄三の作曲家名)コンビによって、横浜市緑区小机小学校の校歌が作られる経緯が、東芝音楽工業(東芝EMI)時代に加山雄三のアルバムを多数手がけた新田和長氏によって語られています。

新田和長氏の子弟が在学中に校歌を作ろうということになり、新田和長氏が加山雄三の仕事をしているという理由から、加山雄三に白羽の矢が立ったそうです。

保護者か教職員か知りませんが、大胆な発想ですね。

加山雄三は最初は断るものの、岩谷時子先生がいいとおっしゃるならいいよ、ということになり、大御所・岩谷時子氏があっさり承諾したために実現したそうです。

できた校歌が発表されたとき、加山雄三はメッセージで、在校生児童に福沢諭吉の「7つの教え」を送っています。

世の中で1番楽しく立派な事は、一生涯貫く仕事をもつ事です。
世の中で1番みじめな事は人間として教養がない事です。
世の中で1番さびしい事は、する仕事がない事です。
世の中で1番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。
世の中で1番尊い事は、人の為に奉仕してけして恩にきせない事です。
世の中で1番美しい事は、すべてのものに愛情をもつ事です。
世の中で1番悲しい事は、嘘をつく事です。

青臭いことを述べるようですが、なるほどなあと思いました。

ボンボン育ちでも、並の人間とはケタ違いの苦労もした加山雄三が語ると説得力があります。

ブラボー!若大将 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 東宝
  • メディア: DVD


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