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愛川欽也さんをめぐって話題、2つの「死に様」について [芸能]

愛川欽也

愛川欽也さんが亡くなって6日たちますが、まだ関連ニュースがいろいろでていますね。ネットでは、亡くなる直前まで仕事をして、長い闘病もなく最後を迎えられたのは本人にとってよかったのではないかという意見とともに、亡くなっても葬式が終わるまで伏せていたということも私には印象的でした。

たとえば、20日にはこんなニュースがありました。

「在宅死」愛川欽也さんも選択した最期の迎え方が話題
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20150420/enn1504201532018-n1.htm

内容をかいつまんで書きますと、愛川欽也さんは、肺がんが発覚しても入院せず在宅治療を選んだ。つまり、自宅での死を選んだ。

1976年に、病院での死亡者の割合が自宅での死亡者の割合を逆転したが、ここのところまた自宅での死亡者がふえつつあり、今後はさらに増えるだろう、という話です。

亡くなると何でも美化する我が国らしく、愛川欽也さんの亡くなり方が、時代の新しい価値観のような印象を持たれる書き方です。

ただ、私は思うのです。

愛川欽也さんの場合、先月まで仕事をしていたのと、おそらくは余命もある程度見えていて、要するに介護期間が短期間とわかっていたからできたのではないでしょうか。

ですから、これをもって、自宅で最期という選択肢もあるぞ、といわんばかりの記事は、少なくとも一般人にはどうなのかなあと思います。

田舎の旧家ならまだしも、東京の10坪や20坪の建売りや、50~60平方メートル程度のマンションに、介護ベッドを入れるということ自体大変です。

介護そのものも、家族には精神的にも肉体的にも相当な負荷をかけるし、がん治療で往診のできる医師というと、かかりつけの医師というわけにもいかないので、探すのも容易なことではないと思います。

私は、火災で子どもが長期入院したことがありましたが、タオルや寝間着は持ち込みというめずらしい病院だったのです。

そのため、とっくに後期高齢者の仲間入りをした母親に、洗濯機を昼も夜も回してもらい、大変な迷惑をかけてしまいました。

洗濯だけでも大変なのに、そこに患者の身の回りの世話や、病状の変化を見守らなければならないことが加わると考えると、私にはとてもじゃないけれど無理です。

ですから、「自宅の最期」を積極的に評価する論調には受け入れにくい気持ちがあります。

もちろん当事者家族が納得していればいいんですけどね。

“受け入れるのが人の道だ”というような現実感不存在の観念論を主張するのならば、「苦労知らずがキレイ事抜かすなよ」なんて思ってしまいます。

静かな“消え方”


ただ私は、愛川欽也さんの亡くなった後については、大いなる感銘を受けています。

15日頃からマスコミが報道し始め、16日には何かあったのではないかと騒ぎが本格的になりました。

事務所は17日になったら発表するとしていましたが、17日は午前中に荼毘に付し、全てを終了させてからうつみ宮土理がコメントを発表しています。

後からの発表によれば、すでに15日には亡くなっており、16日にお通夜を限られた人だけで行い、17日も密葬だったわけです。

80年も生きたのに、亡くなったらたった2日で、極秘に全てを片付けてしまうというのはあっけないかもしれませんが、その“消え際”はあっぱれと思いました。

私は、結婚式にしろ葬式にしろ、派手に「式」として執り行う価値観を持っていません。

関わりの深い方へのご挨拶という範囲を超えて、私事を、遠い他人にまで共有させるようなあつかましいことは、私にはできないのです。

人間なんてたかが猿が進化した生き物。

生まれるときも死ぬときも一人なのに、何様と勘違いしているのかと思うことがあります。

相互主義ですから、たくさん人を呼べば、逆にそのたくさんの人の不幸には駆けつけなければなりません。

亡くなった悲しみはわかりますが、派手にやれという遺言でもなければ、葬式は遺族の自己満足でしょう。

ただ、愛川欽也さんは人気商売。

不特定多数の人に見られてきた立場であり、葬式の規模に自分の価値を見出したいと思っても不思議はありません。

私もこんな偉そうなこと書いていますが、もし人気稼業の頂点にいたら、また違う考えだったかもしれません。

ところが、うつみ宮土理はとにかくそれを一切行わなかった。

おそらくは愛川欽也さん自身が、「静かに消える」論者だったんだろうなあと思ったわけです。

で、4月21日ですが……


ということで、もう2000字近いのですが、4月21日は、田中好子さんの祥月命日です。

田中好子さんについては、過去に記事を書いています。

田中好子さんと夫をめぐる宗教と不倫・隠し子報道

同時期にピンク・レディーというお化けがいたので、大ヒットといえる歌はありませんでしたが、解散した時(1978年)は、後楽園球場のお別れコンサートに行った同級生もいました。

キャンディーズの『微笑がえし』

葬式の時に、田中好子さん本人のメッセージを流していましたが、苦しそうで切なかったですね。

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