『家族』(1970年、松竹)を久しぶりにDVD鑑賞しました。同作は、山田洋次監督、倍賞千恵子主演による、“高度成長期に翻弄されながらも力強く生きる、地方の庶民”(←私が勝手に命名)シリーズの第一弾です。第二弾の『故郷』(1972年)についてはすでに記事にしましたが、そこに『遙かなる山の呼び声』(1980年)を加えて、民子三部作などともいわれています。(民子というのは劇中の倍賞千恵子の役名です)
1960年代は、ハナ肇主演で、『
喜劇一発勝負』や『
喜劇一発大必勝』など、かなり刺激的な怪喜劇を作っていた山田洋次監督。
それが、60年代終盤から『
男はつらいよ』が興行収入を伸ばして実績を作ると、その合間に、『男はつらいよ』のレギュラー出演者によってこの三部作を撮っていたわけです。
三部作には数えられていませんが、時期的には『
同胞』(1975年)もそのモチーフで作られています。
『家族』も『
故郷』も、一口に述べると、地方で食い詰めてしまい、新天地で転職に至るまでの家族の話です。
『家族』より
が、『故郷』は、砂利船で活き活きと仕事をする美しいシーンが長く撮られていたのに比べて、今回の『家族』は、新天地への移動がストーリーのかなりの時間をさいています。
何しろ、東海道新幹線しかない時代に、長崎から北海道の東(中標津)まで移動です。
故郷を追われる感がそれだけ強く、移動中に悲劇も起きています。
封切り数年後に、NHKで放映された時に観たことがあり、ストーリーはわかっていたのですが、あまりに重い展開で気が滅入ってしまい、今回最後まで観るのに3日もかかってしまいました。
ネタバレ御免のあらすじ
松竹が予告編をYoutubeにアップしています。
風見民子(倍賞千恵子)、夫・精一(井川比佐志)、精一の父・源三(笠智衆)、夫妻の子供が男の子と女の乳児の5人家族が、生まれ育った長崎県伊王島を発つところから物語は始まっています。
会社が潰れて働き口を失った精一は、北海道標津郡中標津町で酪農を起こすことを望み、家族で移住することになったのです。
父・源三は、広島・尾道の大企業で、工員としてはたらいている次男・力夫妻(前田吟、富山真沙子)が「高給取りだから」世話になろうと考えていましたが、一労働者にその余裕はなく、訪ねても狭い社宅で「(長崎を捨てるなんて)早まったことをしよって」と兄弟喧嘩。
民子は、いたたまれなくなり、源三も一緒に北海道に連れて行こうと決めましたが、これが源三の寿命を結果的に縮めたかもしれません。
5人は大阪から新幹線に乗るためにいったん下車。
途中、万国博覧会の会場で、「せっかくだから見ていこう」と、炎天下をうろちょろしているうちに末娘の乳児が熱を出します。
結局、万博を楽しむこともなく、疲れただけで5人は東京へ。
東京ではほとんど休むこともなく、上野から東北本線に乗る予定でしたが、娘の熱がさらに高くなり、結局予定を急遽変更して上野に宿を取り、病院を探します。
しかし、夜のためどこも診察は終了。そのうちに娘は引きつけを起こし、結局診てくれる病院が見つかった時は手遅れでした。
私は、ここで鑑賞に耐えられなくなり、いったんDVDを止めました。
娘は、見ず知らずの東京で茶毘にふされ、一家は北上します。
そして、やっとついた北海道は今度は雪深い夜。
源三は歓迎会の夜、突然息を引き取ります。
暑いところを移動して疲労が蓄積したところに、今度は雪の残る北海道。
高齢者には自殺行為だったのかもしれません。
葬式は土葬です。桶の中に入っている笠智衆の死に顔がリアルに見えて、ここでまたDVDはお休み。
再再開後は、悲嘆にくれる精一を、民子が励まして北海道の生活が始まるところからです。
一家にとって初めての牛が生まれ、民子も妊娠。長崎出身でクリスチャンの民子は、しっかり産み育てることを誓って物語は終わります。
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山師を“夢がある”と見るべきか
当時の長崎の町並み、万国博覧会、上野駅、北海道などが、ドキュメンタリータッチの移住劇として構成されています。
ラストに明るさはないわけではないのですが、2人の命、とくに将来ある乳児の生命を落としているので、気が滅入る作品です。
いくら新しい子どもを宿したって、亡くなった子どもは帰ってこない、と考えるのは後ろ向きでしょうか。
失わなくても済んだのにそうなった原因は、精一の開拓精神。
地方で仕事のない人が、追い詰められているというのはよくわかるのですが、地道に暮らすだけなら、何も北海道まで行く必要はなかったと思います。
私には、進取の気性に富んでいるとはお世辞にもいいたくない、山師根性にしか見えません。
どん底に落ちた人の中には、その反動で、一旗揚げたいという気持ちが強くはたらく場合があるようですね。
私も火災でいろいろなものを失いましたが、だからこそその逆に、人間の人生なんていかにはかなく無力なものかということを悟りました。
家族は九死に一生を得ましたが、もしそのまま亡くなってもおかしくはなかったし、それによって、人間の運命や命のあっけなさも知りました。
いくら一旗揚げても、焼失したら、亡くなったらそれっきりなんです。
「一旗」なんてもののむなしさを知ってしまったということです。
若い人が、可能性に賭けてチャレンジすることを否定しているのではありませんよ。
ただ、いい年こいた大人が、守るべき家族を巻き添えにして自分を大きく見せよう、成功しようと見果てぬ夢を追う迷走には、とうてい理解を示すことができないということです。
ただ、自分を犠牲にしてまでチャレンジする人がいたからこそ、開拓が実現したことも確かです。
『家族』は、人としての生き方について、議論の契機になる作品だと思います。
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