仏教者・仏教学者らは極楽浄土や地獄を本当だと信じているの? [仏教]
仏教には、極楽浄土とか地獄といったものが行き着く先として語られます。地獄は、一神教のキリスト教でも後に採り入れられましたが、イメージ的には仏教の概念です。では、21世紀のこんにち、はたして仏教者や仏教学者らは、極楽浄土や地獄を信じているのでしょうか。
以前も触れましたが、私の大学時代の同級生が、連れ合いに先立たれてからというもの、1年以上たっても、情緒が不安定です。
仏教に救いを求めているらしいのですが、自分の心境に都合のよい教えを求めては、僧侶や仏教学者の本を読みあさり、「この記述は信じられる」「この記述は信じられない」と注文をつける投稿を繰り返しています。
生前、配偶者と「あの世でも来世でも一緒、それが正しい」と誓いあったそうなので、それと両立しない教えに文句を述べているのです。
しかし、それは全く無意味な「問題提起」です。
納得いかないことも含めて、すべてひっくるめて、その宗派法門の世界観なのですから、結論としてその宗派を信じるか信じないか、しかないのです。
お経の、ある記述の解釈について議論するなら、仏教学としては「あり」です。
でも、その宗派を信じるか信じないかは、オールオアナッシングなのです。
たとえば、その彼は、「地獄なんか信じちゃいないが、極楽は信じる」として、ある日の南無阿弥陀仏の勤行中、配偶者が蓮の上に現れたので、ビチャビチャ足を濡らしなから配偶者に駆け寄り泣いた、と書いています。
気持ちはわかりますよ。私だって会いたい人が夢に出てきたら嬉しいし。
でも、そもそもその「蓮」って、何の根拠で出てきたのでしょう。
インドと中国と日本では、淨土のイメージは全く違うのです。
自分の配偶者は、淨土にいることになっているというのも、ご都合主義ですよね。
ということで、前置きが長くなりましたが、仏教で語られる極楽浄土や地獄って、本当に信じられるの、ということについて書いてみます。
心の状態や境涯を表す比喩
仏教者・仏教学者が、極楽浄土や地獄を信じているのかというのは、内心の問題なので、アンケートでも取らないとわかりません。
個人の信仰心や経験にもよるでしょう。
ただ、私の考える結論を述べてしまうと、仏教でいう極楽浄土や地獄というのは、物理的に存在する場所ではなく、心の状態や境涯を表すものだと思います。
つまり、そんな世界は客観的に存在しないけれど、私たちがその状態を理解できるよう、この世の概念や価値観を使った比喩として表現した、ということだと思います。
人間はシねば、肉体は喪失しますから、かりに魂なるものが残ったということにしても、暑いだの寒いだのきれいだの痛いだの青いだの……と言った感覚は少なくとも生じないはずです。
あったら大変でしょ。焼き場で亡骸を焼かれたら熱くてたまらないじゃないですか。
要するに、この世の「法律」も「経済」も、個人の「概念」も「価値観」も、シんだら全く意味をなさなくなります。
だとすれば、ですよ。
宮沢賢治の童話に出てくるような極楽や、芥川龍之介の小説に出てくるような地獄はありえないはずです。
だって、金や宝石で飾られた蓮の花の浮かぶ世界を、「心地よい」と考える理由がないですよね。
それは、今生きている私たちが、この世の概念や価値観に照らして、「ああ、いいところなんだろうな」と思うだけのことです。
地獄が、暗闇だの、奈落だの、火の海だのと言ったって、それは我々にとって「怖そうだな」と思えるだけで、かりに霊なるものが残ったとして、そのような感情は抱くはずがないのです。
したがって、仏教者・仏教学者は、極楽浄土や地獄を信じるというよりは、そうした比喩で心の有り様の行き着く先を想像して、仏教の教えに基づき自分の心や行いを見つめ直し、苦しみ(「地獄」)から解脱する道を求めるという方が適切かもしれません。
もちろん、極楽浄土や地獄を、具体的な場所として信じる人もいるでしょう。
それで救われるなら、それは否定しません。
つまり、淨土や地獄を疑わずに受け入れることで、自分の行動や生き方を仏教の教えで統制し、人格を変容(たとえば「熱いのが嫌だから、舌を抜かれるのが嫌だから」嘘をつかなくなるとか、善行を施すとか)するのなら、それはそれでいいことではないでしょうか。
急がば回れ
今回、苦悩する同級生の実話を書いてしまうことは、どうしたものかと多少は躊躇しました。
が、都合のよい教えを部分的につまみ食いして、都合の悪いとときは「どうせ信じちゃいないんだ」と捨て台詞を書き動揺する彼に対して、仏教学の学修者としては、二重にいたたまれない気持ちでおりました。
彼が、文句を書きながらも、仏教から離れられないということは、仏教に救われたい気持ちがあるのだと思います。
だったら、恣意的に選んだ啓蒙書を読んで、勝手な解釈で完結するのではなくて、仏教と正面から向き合ってちゃんと一から勉強すればいいのに、と思うのです。
このことは、ほかにもいえると思うんですね。
ネットでは、手っ取り早く答えを知りたくて、嘘か本当かわからない情報をコピペして、知ったつもりになることが往々にしてありますよね。
その分野を正しく知りたいのなら、学校へ行け、とまではいいませんけど、信頼できる師や書籍と向き合って基本から学んだほうが、急がば回れでその真髄にアプローチできるのではないかと思います。
みなさんは、信じておられますか、極楽淨土と地獄。
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占いなら、いいことだけ信じるとかありますけどね(^_^;)
by 赤面症 (2024-02-17 01:06)
神も仏も天国も地獄も全て人の心の中の話、と思ってます。
by pn (2024-02-17 06:23)
こんにちは。
蓮の花に乗っているのは、仏様というイメージです。
まあ、人も成仏すると言いますけど。
極楽浄土も地獄も確認しようがないので、
教えとして存在しているだけと思っています。
by 安奈 (2024-02-17 10:21)
こんにちは!
極楽も地獄もないと思っています。
科学が未発達の時代、死との恐怖から
悟り人が作ったんでしょうか?
by Take-Zee (2024-02-17 15:38)
この世に生まれることが地獄、極楽なのかなって思います。
幼いころお盆に両親と共にお寺に行ったとき
地獄と極楽の屏風か有ってその絵柄が気持ち悪かったです。
by コーヒーカップ (2024-02-17 16:34)
死んだら無になるだけと・・・
母が亡くなった時、父も若干弱気や投げやりに
なっていました(卒婚できるとは実は幸せなことなのかも)。
by tai-yama (2024-02-17 18:53)
都合の良い時だけ信じてるふりをしてるのかもしれません
by mau (2024-02-17 23:59)
そう言う所わたくしはご都合主義。
都合の良い時は信じたくなるし、悪い時は信じない(ーー;
by mm (2024-02-18 07:52)