池上彰と考える、仏教って何ですか?(池上彰著、飛鳥新社) [仏教]
池上彰と考える、仏教って何ですか?(池上彰著、飛鳥新社)をご紹介します。仏教の誕生から、日本の大乗仏教、葬式や新興宗教まで解説した仏教解説書です。といっても難しいお経の解説本ではなく、あくまでも仏教の歴史や行事等をわかりやすく説明しています。
本書は、仏教の歴史、つまり発祥から日本への伝来、および現在の日本の仏教までの経過や、葬式や新興宗教など、仏教にまつわる様々な疑問をわかりやすく解説しています。
池上さんは様々な分野の解説書を出されていますが、本書はよくまとまった一冊だと思います。
一気に読めました。
仏教の特徴
「私が仏教を心地よいと感じるのは、その寛容さとともに、科学的な姿勢を持っているからでもあります」
本書の中の一節です。
仏教は宗教なのに「科学的」とは?
世界の主たる宗教は、創造主である神様に祈る世界観です。
しかし、仏教は神様の存在を想定していません。
これは、お釈迦様の仏教でも、日本に伝わった大乗仏教でも同じです。
すべての現象は、神様の差配ではなく、客観的な原因と結果の連なりであり、因果で成り立っているとしています。
ですから、物事には、必ず原因があって結果があると考えます。
それが仏教の立場です。
「実に科学的な態度です。」と、池上彰さんは述べています。
仏教に対して、肯定的な発言をした科学者や哲学者は多数います。
アインシュタインは、「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは『仏教』です」と述べています。
ニーチェは、「仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です」と評価しています。
ショーペンハウアーは、「私は他のすべてのものより仏教に卓越性を認めざるをえない」と述べています。
バートランド・ラッセルは、「今日の宗教では、仏教がベストだ。 その教えは深遠で、おおよそ合理的である」と言っています。
仏教の基本思想は、諸行無常と諸法無我といいます。
すべてのものは五蘊(今で言う素粒子など)の組み合わせでできているに過ぎず、不確かで変化するので、永遠のものなんて無いんだ。そのようにはかないものと現実的に認識することで、他人と比べたり執着したりなど些末なことだろうとさとり、様々な苦を遠ざけることができる、ということです。
人生は「一切皆苦」(すべては苦である)として、誰もが人生で避けられない四苦八苦を挙げています。
生苦……生まれることに伴う苦しみ
老苦……老いに伴う苦しみ
病苦……病に伴う苦しみ
死苦……死に伴う苦しみ
愛別離苦(あいべつりく)……愛する人と別れる苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく)……嫌な相手と向き合う苦しみ
求不得苦(ぐふとくく)……求めても手に入らない苦しみ
五蘊盛苦(ごうんじょうく)……五感や心の働きが生む煩悩を制御できない仕組み
お釈迦様は、こうした苦しみの原因を、人間には煩悩があるからだとしました。
煩悩をコントロールして穏やかに暮らし、そうした苦しみから完全に抜け出した状態を「涅槃寂静」(ねはんじゃくじょう)といいます。さとりをひらいた状態です。
仏教はそれを目指しているので、神様を必要としないのです。
キリスト教国家のアメリカで仏教が流行するのは、仏教が一神教ではないから両立できるということでしょう。
しかし、釈迦の仏教は、出家して修行の末悟るものとされていたので、私達一般人は到達できないことになります。
でも、在家の人でも心安らかに成仏できる教えがほしいということになり、それが大乗仏教と呼ばれる諸宗派として発生し日本に渡ってきました。
簡単に言えば、僧が個人的に修行して悟るのが上座部仏教、我々一般人みんなが成仏することを目指すのが大乗仏教と言います。
大乗仏教というのは、密教(天台宗、真言宗)、浄土教(浄土宗、浄土真宗)、禅宗(臨済宗、曹洞宗)、日蓮宗などです。
こうした分派がたくさんあることをもって、池上さんは「寛容さ」と述べているのでしょう。
人はなぜカルト宗教や新興宗教にハマってしまうのか
旧オウム真理教や、旧統一協会など、人はなぜカルト宗教や新興宗教にハマってしまうのか という章は、とくに興味深い内容でした。
池上彰さんの意見は、既存の宗教に魅力がなくなった、とのことです。
本書から抜粋します。
1950~70年代は、若者にとって学生運動が救いの場だった。
それが、一億総中流と言われるようになり、政治の季節が終わったため、若者が救いを求める場がなくなった。
そこに、既存の宗教とは違う新興宗教があらわれた。
すべての新興宗教が悪いというわけではないところが、問題をややこしくしている。
歴史を振り返れば、今大きくなっている宗教・宗派だって誕生当時は新興宗教だった。
日本では、鎌倉仏教(現在の日本の仏教の諸宗派)が、当時は既存の仏教の枠を超えた新興宗教であり、親鸞も日蓮も「危険思想」よばわりされた。
既存の宗教は、仏教界にとってはカルトだったが、既成概念を打ち破ってくれるからこそ、庶民はそこに救いを見出し、現在も定着している。
なるほど、一理あると思います。
つまり本書は、時代の変化に応じて新しい魅力を打ち出せない、現在の仏教界に対して厳しい指摘を行っているわけです。
にもかかわらず、Amazonの販売ページに記載されている読者のレビューでは、「可能であればお寺との付き合いを始めたい。」との感想も書かれています。
既存仏教を批判しているのに、でも寺と付き合いたくなる人が出る、というのは、それが為にする批判ではなく、本書が仏教の歴史や意義について、深い理解をした上での苦言や提言であるからだと思います。
人はどうしてカルト教団や新興宗教に惹かれると思われますか。
池上彰と考える、仏教って何ですか? - 池上彰
池上彰と考える、仏教って何ですか? [ 池上彰 ] - 楽天ブックス
お寺は宗教的な事だけでなく
カウンセラーとか心の病院の役割があるのかも
by 赤面症 (2024-01-27 01:09)
心の救いをどこに求めるかで変わるんだろうなぁ。
by pn (2024-01-27 06:13)
おはようございます^^
他に心のよりどころが無いからでしょうね。
今のお寺さん(もちろんいろいろありますが)金儲け主義の所も数多あるのではないでしょうか。つまり生活が懸かっている。
by mm (2024-01-27 06:18)
こんにちは。
池上彰はテレビで嘘を垂れ流していると
もっぱらの噂なので、どうも信用できないです。
by 安奈 (2024-01-27 09:15)
おはようございます!
人の苦しみ、なるほどと思いながら
読ませて頂きました (^-^)!
by Take-Zee (2024-01-27 09:52)
宗教は必ず訪れる「死」の恐怖から救ってくれるものだと思います。カルト教団や新興宗教は、信者の不安を利用して金品を巻き上げることを目的とした集団だと思います。
by SGW (2024-01-27 10:37)
池上彰さんの知識は無限ですね。
仏教は神様の存在を想定していないとは意外でした。
確かにイスラム教のように祈りを強制してはいませんね。
by tochimochi (2024-01-27 17:14)
ヘッセが『シッダールタ』という作品を書いていますが、読んだことはありません。
今回記事を拝読して、読んでみたくなりました。
神様という存在を拠り所とすれば心の平安が訪れるのでしょうか?
悩むことがあれば神様の言うとおりにしておけばいいのでしょう。
日本ではあらゆるものに神様がいるとされていました。
キリスト教も最初は受け入れられました。
なるほど仏教の教えには神様という存在はないので数多の神様がいる日本でも受け入れられたのかも知れませんね。
by センニン (2024-01-27 18:04)
統一教会みたいに、仏教もキリストも一緒になっている
インチキもあったり(笑)。キリスト教も教義を守って信心
しているのではなく、自分の都合と解釈で神様を利用して
いるのが一般的っぽい気が。
by tai-yama (2024-01-27 19:11)