あの頃世界のすべてだった学校と自分への呪いにさよならするまで(もつお著、KADOKAWA) [仏教]
あの頃世界のすべてだった学校と自分への呪いにさよならするまで(もつお著、KADOKAWA)は、いじめを受けた人間の葛藤と「解脱」を漫画化したセミフィクションのコミックエッセイです。学校時代、あなたはグループが苦痛ではなかったですか。
『あの頃世界のすべてだった学校と自分への呪いにさよならするまで』は、もつおさんが描いたセミフィクションを標榜する漫画です。
作者のあとがきなどから察するに、自分のいじめられ体験を、(男⇒女とか)設定を変えて漫画化しているようです。
冒頭に「解脱」と書きましたが、別に宗教的な儀式を行ったわけではありません。
あくまでも作者自身が気持ちの持ち方を変えたものです。
断れない自分とおさらばしよう
主人公・福野ユイは、大学の商学部を出ていて、本来なら総合職的立場のはずなのに、会社では失敗の責任をとらされたり、残業を押し付けられたりしています。
「いつもそう。私は人になめられる」
どうしてそうなったのだろう。
「上司も同期も後輩も、きっと私には何をしてもいいと思っている」
「でもこうなったのは、いつも笑って受け入れている自分のせいだ」
「でも人に拒否されて、孤立するくらいなら、少しぐらい我慢して諦めるほうがマシだ」
悲しき敗北主義です。
これは、高校時代、シカトといういじめにあったことによるトラウマでした。
そんな福野ユイに、よりによって高校の同窓会(クラス会)の知らせが来ました。
高校生活に、いい思い出がなかった福野ユイは、行くつもりはなかったのですが、幹事から電話がかかってきて念を押されると、またしても断れずに出席を約束してしまいました。
在学中、自殺を考えるほど辛かったのに、そして、もはや就職していて、その連中とは接点もないのに、きちっと断れないんですね。
私も、断れないというのはわからないでもありませんが、私の場合は面倒になったら途中で電話を切ることにしています(笑)もしくはメールはシカトとかね。
クラス会では、当時の写真をスライド撮影。
しかし、福野ユイはほとんどうつっておらず。
「……私、その頃、無視されていたから」
当時、いじめる側だった幹事の中野エリは、「ん、そんなことあったっけ。全然覚えてないや」
福野ユイは心のなかで激怒します。
「なにそれ。覚えてないの?」
よく言いますよね。
いじめた側はおぼえていないけれど、いじめられた側は覚えていると。
ここから、福野ユイは、辛かった高校生活を思い出します。
女子グループのなかで行われる、陰湿で過酷ないじめの恐怖に、福野ユイが怯え続ける壮絶な毎日が描かれます。
ところが、いじめる側のリーダー・上田ミレイも、中学時代、いじめられっ子でした。
「ヤられる前にヤる」という考えから、高校では先手を打っていじめる側になったのです。
しかし、いじめているうちに、いじめられる側の一部からクーデターをくらい、あっという間に再びいじめられる側に回り、退学。そして自殺してしまいます。
大学進学後の福野ユイは、そういう暗い過去も忘れて、キャンパスライフをエンジョイしました。
そして、舞台は再び同窓会(クラス会)に。
上田ミレイが亡くなったことが話題になり、相変わらず無反省な中野エリに対して、堪忍袋の緒が切れた福野ユイは、コップの水を中野エリのドレスにぶっかけて、途中退場します。
もう、なめられてナンボの人生はやめよう。
福野ユイは、高校生活のトラウマとおさらばしました。
翌日から、会社では、毅然とした態度をとる福野ユイでした。
つらいのは今だけ……ではないかも
「つらいのは今だけ、卒業したら楽になるんだから大丈夫」
と、言い聞かせる人に対しては、「あとがき」でこう書かれています。
一度受けた心の傷は、見えなくても、自身も周りの人も気づかないような深い全くそのとおりだと思います。
ところで、 何年も何十年も影響を与え続けるかもしれません。
場合によっては、取り返しがつかなくなることもあるでしょう。
そう思うと、簡単に 「大丈夫」 とは言えないと思うのです。
作中の通り、卒業しても、その時代の振る舞いが習性になって、同じ展開が後の違う環境でも続いてしまうことがあるのです。
ですから、「卒業までの辛抱」では済まないかもしれないし、「後になれば昔のこととして笑い飛ばせる」ことにもならないかもしれません。
あと、これも作中の「クラス会」で出てきましたが、何年も何十年もたってからまで、当時のマウンティングを継続するやつがいることもあるんですね。
「お前より俺のほうが成績良かった」とかね。その程度を根拠に、エラソーに。
ずーっと時間が経って元同級生と言っても、「名前を知っている事実上の初対面」になってからまで、それを持ち出すやつね。
私は、40年も50年も前に、ちょっと同じクラスだったからといって、なれなれしく呼び捨てにする「きやすさ」に馴染めないので、もう今はクラス会のタグイには出ないことにしています。
それで、毎日書いている仏教の教えですが、五戒の「不殺生戒」は、生き物に危害を加えないという意味なので、いじめることが許されないと解すことはできますが、それはダメな奴の認定だけで、それ以上踏み込めません。
ま、仏教は、民法でも刑法でもないので、すべてそうなんですけどね。
「だから、こいつの行為はダメなんだ。自分はそうならないようにしよう」
と、自分自身のそいつに対する評価の根拠にすることと、その後の自分の生き方を決める動機のひとつにするだけです。
余談ですが、ゴータマ・シッダールタさん(お釈迦様)自身が、いじめにあっていた、というエピソードがあるんですけどね。
人によく思われたい、そういういさかいがあるぐらいなら、自分が一歩退けばいい、という考えは日本人にありがちですが、本書のように、そうした価値観から「解脱」すれば、他者におもねることもなくなり、いじめられコミュニティから抜け出せなくなることもありません。
先日の警備員の話にもありましたが、どうにもならなくなったときは、逃げるのは「あり」だと私は思います。
⇒気がつけば警備員になっていた。高層ビル警備員のトホホな日常の記録(堀田孝之著、笠倉出版社)
まじめにがんばったり耐えたりして、精神やられても、誰も責任取ってくれませんから。
そんなことを、改めて考えさせられました。
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2023-06-21 01:00
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コメント(5)
いじめいじめられを繰り返してたけど、振り返ればいじめるのは自分よか弱いやつと気付くとあいつらも弱い奴しか虐められない弱いやつ何だなと。
もし高校行ってたらいじめられて退学か留年で退学かどっちかだったんだろうなぁ(笑)
by pn (2023-06-21 09:05)
高校の時いじめられる人多くて本当にひどい学校でした。
それを見て、自分自身いつも凛としていないといけないって思いました。
身だしなみいつも清潔感あるように、言動は思いやりもって。
100%出来ていたとは思いませんが、いじめられない様になる答えってあるように思います。
自分は自己防衛的に学習してできましたが、自閉症、発達障害など持ってる子は難しいですね。
あの頃は自分の事で精いっぱいで、そういう子まで気が回らなかったです。
人間って違和感があると攻撃的なります。
病原菌が体に入ってそれを攻撃して対峙する本能が有ります
違和感があると生物学的に出てくる性分なのでしょうね。
by コーヒーカップ (2023-06-21 09:42)
私は戦中派で両親の田舎に疎開していじめに会いました。
でも、今ほど陰険でしつこいモノではありませんでした。
今、学校はいじめがあっても「いじめなありません」ですね。
そこが問題だと思っています。
そして自殺を生んでしまって校長は無事つとめて退職金をもらって教育委員になったりしています。
問題は指導する側にあると思います。
命は嘘では守れません。
by lamer2 (2023-06-21 11:04)
先日同窓会がありましたが、もう6回目
さすがに参加者も減ってきました。
そして、ある一定数、始めからずっと出席していない方がいますね。
by そらへい (2023-06-21 15:08)
こんばんは、
私は中学生や高校生の頃、学校の中の価値観に束縛されドロップアウトしていたように思います。勉強ができたり、運動ができたりと、定められた評価軸で優秀な成績を出せる人と、あまりにもダメな自分のギャップに打ちのめされて落ち込んでおりました。でも幸い陰湿なイジメはなかったと思います。昭和の学校はまだ牧歌的だったかもしれません。
by Azumino_Kaku (2023-06-21 22:04)