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中田敦彦の松本人志批判は、仏教では「執著」および「渇愛」と見た [仏教]

中田敦彦の松本人志批判は、仏教では「執著」および「渇愛」と見た

中田敦彦さんが、42分53秒もの長い動画で松本人志さんを批判したことが話題になっています。しかし、それはあまり支持されていないようです。その内容は、仏教的には「執著」そして「渇愛」と思われる煩悩を感じました。

中田敦彦さんは、自身のYouTubeチャンネル「NAKATA UNIVERSITY」で、松本人志さんに対する批判を行いました。一晩で300万回再生されたといいます。

中田さんは、松本さんが務める「M-1グランプリ」など、「何だかんだで『若手を審査する』っていうお仕事がめっちゃ多い」「松本さんには強い者いじめをする傾向がある」「20年間、松本さんは松本さんを超える才能を発掘できなかったんです。発掘できなかったのか、どうなのか。それとお笑い界は今、向き合わなきゃいけない」など、松本人志が神格化され、かつ自分は優秀なのに、松本さんから評価されていなかったと実感したという怨嗟などが含まれています。

私は正直、テレビはバラエティも含めてほとんど見ないのと、YouTubeの中田敦彦さんのコンテンツは以前は時々見ていましたが、疑問を感じる箇所もあったので見なくなり、要するにどちらについても詳しくありません。

ただ、正直告白すると、昔、私は、『ダウンタウン 浜ちゃん松ちゃんごっつええ話』(大阪ダウンタウン研究会著)という本を編集したことがあります。



ですから、松本人志さんが売れるまでの話は知っていましたが、著者が書いた原稿を整理しただけで私が取材して書いたわけではなく、正直ダウンタウンというコンピもそんなに関心なかったので(笑)、そして何より10年以上前の本なので、正直今は本の内容はすっかり忘れてしまいました。

でも、「あとがき」は間違いなく私が書いているんですよ。

それはともかくとして、どうも今回の中田敦彦さんの批判は、評判が悪いわけですね。

といっても、松本側の意見は吉本の芸人ばかりですけどね(笑)

中田敦彦さんがいうところの、「松本さんが番組のポストを独占云々」は、先程も書いたように現状を知らないので発言の内容についてはなんとも言えませんが、そもそも同業者にそういう批判をするのは、もし私がその立場だったら「恥」だと思い、口が裂けても言えません。

たとえば、私たち素人が、「松本人志面白くないね」とか「出すぎだね」とか言うのは、言論の自由であり、正当な評論になりえるものです。

でも、同業者は同じ土俵にいるわけですから、評論家であってはならないのです。

そういう評論ではなくて、実力で事態を変える、つまりそのポジションを奪うしかないだろ、と思うわけです。

それがプロの矜持ですよね。

中田敦彦さんは吉本興業という「しがらみ」から離れ、テレビからも外れてYouTubeに活路を求め、そしてノマドを気取って日本からも脱出してしまっている人です。

一方、松本人志さんは、今も現役第一線でテレビで活躍し、吉本興業に残って若手の面倒も見ているわけです。

そんな中田さんが通り一遍の「評論」をしたところで、ウケないのは当然でしょう。

もちろんそれは、中田敦彦さんの計算のうち、つまり炎上商法的な狙いがあるのかもしれませんが、それを含み措いても、なぜ叩く対象が、明石家さんまではなく松本人志なのか、その行為は仏教的に一言できるので、以下に書き留めます。

中田敦彦が選択すべき道は……



このOGP(木村隆志さんのコラム)に結論を書いてしまいました。

要するに、中田敦彦さんは、松本人志さんに(自分は尊敬しているのに松本さんは)認めてくれなかったという思いが強く、その長年の執着が長尺の批判になっていると思いました。

記事には、こう書かれています。
 これらの発言に、「松本さんから『面白い』と言ってもらえなかった悔しさや恨みのような感情が表れていました。松本さんの発言で中田さんは傷つけられたことがあったのでしょうが、……(中略)今回の動画についてマヂカルラブリーの野田クリスタルさんが、「(中田さんは松本さんを)誰よりも神格化しているのかなって思っちゃった」などとコメントしていました。相手の格が“神”くらい高くなければ、これほどの時間と熱量をかけて個人批判することは難しく、それは中田さんが松本さんに執着していていることの裏返しなのかもしれません。
これはまさに、仏教で言う「執著」という煩悩です。

お釈迦様の仏教の目的は、一言でまとめれば、「煩悩」からの自らの解放です。

煩悩というのは、身心を煩わし悩ます精神作用の総称です。

欲や、怒りや、愚痴の心を煩悩といいます。

「怒り」は、要するに、「相手を変えることなど出来ないのに、一方的に自分の価値観で糾弾する」ことです。

たとえば、誰か好きな人が出来たとします。

しかし、相手は振り向いてくれない。好きになってくれない。

そうすると、「どうして自分の気持ちがわかってくれないのだ」という気持ちにもなる。

これなどは、まさに執著の煩悩です。

そんなもん、好きになろうがなるまいが相手の勝手なのに、自分の思いが通じないからと怒る。

その怒りこそが煩悩だ、という話です。

まさに中田さんの、松本さんに対する思いがそうです。

あとは、やはり煩悩の一種で、「渇愛」もあるのかなという気がします。

私たちは、「未練」と表現します。

たとえば配偶者を亡くして、いつまでも立ち直れないのは、仏教では「渇愛」という煩悩とみなされます。

今回の場合は、本文中によると、中田さんはいったんは松本さんに認めてもらうのを諦めたらしいのですが、だからこそ、改めて松本さんの称賛に対する未練が出てきたのかもしれません。

自分は、がんばって登録500万YouTuberになりあがったぞ、松本よ、もう認めろよと。

そんな感じでしょうか。

でも、いくらYouTubeという「ミニコミ」の雑学ジャンルで小金を稼いでいるからといって、テレビというマスメディアでお笑い支えている松本さんにとっては、「だからなに?」ぐらいの気持ちしか起こらないんじゃないかな。

では、中田敦彦さんは、どうすればその煩悩から脱することができるのか。

私が考える答えは2つ。

今のYouTuberを主戦場として日本を離れて暮らす居心地いい立場を捨て、もう1度日本とテレビに戻って松本人志を目標に「お笑い芸人」として出直すか、

逆に松本人志さん的なお笑い大御所への出世をきっぱり諦める。つまり、自分は松本人志が見てくれる道からは外れたのだと、きちんと自分のポジションを見定めて、今の雑学YouTuberとして頑張る。

どちらかしかないと思います。

みなさんは、どう思われますか。

ダウンタウン 浜ちゃん松ちゃんごっつええ話 - 大阪ダウンタウン研究会
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コメント 6

赤面症

中田は松本辞めろじゃなくて、YouTubeで中田杯でも作れば?
芸能界のドンになれるかどうかは謎ですが?
by 赤面症 (2023-06-04 01:17) 

十円木馬

いっぷくさんの最後の選択に同感です。
「きちんと自分のポジションを見定めて、今の雑学YouTuberとして頑張る」人間が、個人的には好きです。
亡くなられた上岡龍太郎さんの引き際に見えた謙虚さが欲しいです。
by 十円木馬 (2023-06-04 08:34) 

pn

要はかまってちゃんって事かぁ。Twitterで松ちゃん反応したらしいからあとは2人でやってくれって所が正直な感想(^_^;)
by pn (2023-06-04 09:10) 

青い森のヨッチン

私も最近のお笑いには疎いのですがコンビ漫才としてのダウンタウンの両名の才能は高く評価しています(オリラジの方は??)。
この人素の頭は良さそうなので炎上商法に活路を見出したんだろうなぁ~
by 青い森のヨッチン (2023-06-04 09:36) 

コーヒーカップ

芸能界のことはよくわかりませんが
自分も気に入らないと同じことしてしまいます。
良くないですね。
by コーヒーカップ (2023-06-04 18:04) 

tai-yama

煩悩は完全に払って悟りを開くと言う手もあるかも。
でも、収入は無くなると・・・・
by tai-yama (2023-06-04 23:03) 

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