料治直矢、「飾らない、媚びない、ぶれない、群れない」無骨だが心優しきキャスター [マスコミ]
今日は料治直矢さん(1935年9月9日~1997年7月31日)の生まれた日です。一見、強面で無愛想なイメージのキャスターでしたが、そこには「飾らない、媚びない、ぶれない、群れない」無骨でも心優しい人柄がにじみ出ていて、23年経っても多くの人の心に残っています。
料治直矢とは誰だ
料治直矢は東京都新宿区出身。
東京都立戸山高等学校⇒東京大学文学部卒業後、1959年4月にTBS(当時ラジオ東京)にアナウンサー6期生として入社。
つまり、最初は報道部ではなく、アナウンサーだったんですね。
7年後の1966年に記者転身。
さらに、1967年10月にテレビニュース部へ異動し、事件記者になります。
JNN報道特集
#JNN報道特集 硬派な骨太の報道オピニオン番組でした #料治直矢 #堀宏 #三雲孝江 pic.twitter.com/6nitdYI8uA
— 畠中由宇・相互フォロー100% (@hata_follow) August 8, 2020
1980年スタートの『JNN報道特集』では、キャスターとしてだけでなくリポーターとして各スクープを報道しました。
『JNN報道特集』は、「時事問題を様々な観点から分析。時に政治家や経済評論家らをスタジオに呼び、より詳しくニュースを解説」(Wikiより)した番組ですが、以後の報道番組のモデルになっています。
もっとも、テーマの選択や、その掘り下げ方などには大きな差がありました。
たとえば、芸能関係は取り上げませんでした。
テーマを語る根拠に乏しいコメンテーターを何人も並べ、無益有害な「知ったか」を語らせ番組を安っぽくまとめることもありませんでした。
ですから、昨今、帯で放送されているワイドショーとは全くちがいます。
その時時の政府に対しては批判的なスタンスをとりましたが、いわゆるポジショントークではなく、是々非々の視点を守っていました。
たとえば現在も『報道特集』という名称の番組はありますが、『JNN』を知っている視聴者は、もはや別物と思っているようです。
スタジオで進行する人は、MCとはいわず、アンカーマンといいました。
これは雑誌の編集でも使うのですが、取材者をデータマン、取材してきた原稿をもとに記事としてまとめるのがアンカーマンといいます。
料治直矢は番組の2代目のアンカーマンですが、番組の始まりでトレンドな出来事について簡単に触れ、取材ビデオが終わってから、自分の意見を述べました。
大昔、JNN報道特集でヤクザにぶん殴られながら取材を続ける料治直矢氏を見て「これはただの商売じゃ出来ない大変なことだな」と思ったよ。
— 高橋秀介 (@richoutan) April 23, 2016
私は商売でも良いと思ってるし、それをやれとは言わないが「俺抜きで救民がなるか」と気取るんならそこまでやったらどうですか?
すべて段取りが決まっているヤラセではなかったために、ハプニングもあったようです。
尖閣諸島取材中、船が揺れて小指を挟んで切断したことがありました。
暴力団の取材では、事務所に入った途端に顔面を殴打されることもありました。
それらはテレビで放映されました。
リアクションタレントの「いじめられ」ではなく、社会の深層を暴くために体を張った番組作りが行われていたのです。
ですから、実に見ごたえのある報道番組でした。
自らを飾ることなく他者に優しくシャイな男
日テレ「every.」の詐欺サイトの取材見てたんだが、生ぬる過ぎ。なんで評論家に意見聞いて終わりにすんだよ。最後まで行けよ。何万円も騙し取られてその金の流れを追えよ。「報道特集」の料治直矢さんは結婚詐欺ブローカーの住所を突き止めてカメラの前で殴られたぞ。それでこそジャーナリズムだろ。 pic.twitter.com/VhKydR15X2
— POSTER-MAN (@postermantoru) August 27, 2019
『無骨の人 料治直矢』(滝井宏臣著、講談社)には、料治直矢のエピソードや人となりが書かれています。
『テレポートTBS6』という番組では、本番直前にトイレに駆け込んで、水を頭にかけて髪の毛を整えていた。
短パンにゴム草履でニュースを読んでいた。
大学時代のラグビー経験から、誰に対してもフェアにつきあい、気配りを怠らなかった。
取材相手を尊重する。職業人としての型にはまるのを嫌う。
「職業人としての型にはまるのを嫌い、等身大の自分というか、自分の生き方の美学を優先させて、やれば何でもできる人でしたが、敢えてやらない部分があった」
照れもあったのかもしれませんが、「飾らない、媚びない、ぶれない、群れない」といった人生観を読み取れます。
『JNN報道特集』で、ポケットベルが話題になった時、「自分は取材していないときは、局内の自分のデスクか行きつけの飲み屋にいるって決まってんだから、要らないんですけどね」と、管理されることをやんわりと否定していました。
初代ピンポンパンお姉さんとの馴れ初めは……
「ママとあそぼう!ピンポンパン」の初代お姉さん=渡辺直子がTBS「報道特集」のあのいかつい料治直矢さん(東大ラグビー部だった)と結婚した時の超のつく驚きと得体の知れない据わりの良さと恋愛の神秘。 pic.twitter.com/0OuHrBe1G0
— POSTER-MAN (@postermantoru) October 24, 2018
下世話な話ですが、料治直矢さんが、ピンポンパンの初代お姉さんで、卒業後はTBSのお天気番組を担当していた渡辺直子さんと結婚したときは、正直「意外」と思った人が多かったようです。
何しろ、料治直矢さんは当時40歳を過ぎて独身だったので、「ああ、どうせ無骨で異性のことは苦手なんだろう」などと、他人は無責任に面白おかしく見ていたと思います。
私が読んだ週刊誌報道の記憶では、TBSの忘年会で、料治直矢さんから自分の気持ちを伝え、翌日、渡辺直子さんが料治直矢さんに電話して、「昨日のお話は、酒の勢いではなく本気だったのですか」と気持ちを確かめた上で受けたと書かれていたと思います。
いや、渡辺直子さんが「酒の勢い」なんていい方はたぶんしていないと思いますが、私なりにわかりやすく翻案しました(笑)。
愚直でも、誠実に、ぶれない生き方をしていた料治直矢さんを、渡辺直子さんは見ていたんですね。
これは励みになる話です。
どこかで、見ていてくれる人がいるかも知れない、わけですから。
料治直矢さん。覚えていらっしゃいますか。
武骨の人 料治直矢 - 滝井 宏臣
テレビ報道―「報道特集」の現場から - 堀 宏
こういう方、もっと欲しいです(^_^;)
by yokomi (2020-08-09 23:16)
あの場面は鮮烈に覚えています。
その時から料治さんんことを大好きになりました。
恥ずかしながら、てっきり三雲さんと結婚なさっていたと思っていました。
おかげさまで、記憶を修正できました。
by hagemaizo (2020-08-09 23:26)
>テーマを語る根拠に乏しいコメンテーターを何人も並べ、無益有害な「知ったか」を語らせ番組を安っぽくまとめることもありませんでした。
印象操作や、知識がない「コメンテーター」の多い今の報道番組がこのときのようにならないかなと思いました。
by ナベちはる (2020-08-10 00:54)
ご紹介にある通り、報道特集で見かけました。根が真面目なかただったのですね。
62歳で亡くなったのですね。東大卒とは凄いですね。
by ヤマカゼ (2020-08-10 05:03)
あー、殴られてるやつ薄ぼんやりと記憶に(^_^;)
by pn (2020-08-10 06:20)
この方覚えていますよ。でも報道特集は見ていなかったかも・・・ちょっと怖そうなおじさんというイメージです(^^;三雲孝江さんは今でも活躍されていますね。
by エンジェル (2020-08-10 08:00)
無骨の人 料治直矢 興味深く読ませていたただきました。
by やおかずみ (2020-08-10 10:01)
うちの母親は料治さんの奥さんが”大谷”直子さんだといまだに勘違いして覚えています。この記事を見てスッキリしました。
by 青い森のヨッチン (2020-08-10 11:56)
顔面を殴打 頬辺りに傷痕が
あったのはそういうことだったのかしら?良く視聴してました。
by みうさぎ (2020-08-10 13:24)
すじの通った論理を展開するキャスターってイメージですね。
こういう良識を口先だけでなく、説得力のある言葉で語れる人って
大切ですね。
by starwars2015 (2020-08-10 15:16)
頭の切れる方は尊敬します。
by ヨッシーパパ (2020-08-10 18:34)
会社などでも、昔はこういう硬派の方が結構いたものでしたが、今はまず見かけることはなくなりましたね。
何か頼りない感じで、これからどうなるのか心配になってきます。
by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2020-08-10 22:08)