『虎の回顧録ー昭和プロレス暗黒秘史』タイガー戸口が馬場も猪木も日本のプロレス界も斬る [スポーツ]

『虎の回顧録ー昭和プロレス暗黒秘史』(タイガー戸口著、徳間書店)を読みました。日本ではトップレスラーのライバル役として活躍、どちらかというとアメリカのレスラー生活が長いので、プロレスファンでないと馴染みが薄いかもしれませんが、キャリアも長く、インタビューはマニア受けするレスラーです。

タイガー戸口こと、戸口正徳(1948年2月7日~)は、キム・ドクというリングネームでも活躍しました。
修徳高校から1968年に日本プロレスに入門。
前座時代にアメリカに単身渡り、1973年の日本プロレス崩壊後は、一匹狼としてアメリカやメキシコなど各テリトリーを回りました。
途中、ジャイアント馬場の全日本プロレスや、アントニオ猪木の新日本プロレスのリングにも上がりましたが、それ以降も海の向こうで活躍しています。
本書は、そうしたキャリアから、海の向こうのプロレスと、日本のプロレスの違いを意識した見解を述べています。
#タイガー戸口 は昭和を代表する
— T.shira (@T_shira_2828) August 25, 2019
ヒールレスラーだが良識ある人格者
その彼が
「トランプが米国の政治やってるけど、みんなバカなことばかり
(中略)裏は言いたくないから言わないけど、ヤツも気をつけないと、ケネディみたいに『イカれる』ぜ」
追随する日本もアホ??
https://t.co/7SCMsnnXIG
本場アメリカと日本の違い
日本のプロレスというのは、1980年代ぐらいまでは「アメリカを本場」としてきましたが、そのスタイルを直輸入したわけではありません。
たとえば、日本のプロレス興行会社は力道山以来、新弟子として素人を入門させ、一人前になるまで育てて、そのかわり他団体移籍は許さない、という“終身雇用制”の考え方が、少なくとも1980年代ぐらいまではありました。
一方、アメリカは、1980年代までは各州各テリトリーごとに興行が行われていて、レスラーは自分を売り込んで、認めて呼んでくれた興行主のリングに上がり、ある程度の時期がくると飽きられる前に次のテリトリーのリングを自分で見つけて移りました。
アメリカは日本と違い、個々のレスラーが一匹狼で、自由な反面、自分で自分をプロデュースできるものだけが生き残れる厳しい世界とタイガー戸口は言います。
日本はプロレスラーの契約も「ジャパニーズ」
日本のプロレス界のシステムは、団体所属レスラーはもちろん、フリーでリングに上る人を含めて、1試合いくら、もしくは年俸いくらという契約です。
自分に人気があろうがなかろうが、会場がフルハウスだろうが閑古鳥だろうが、試合をすれば決まったお金がもらえるわけです。
しかし、タイガー戸口が説明するアメリカの興行システムは、その日の興行収入から経費を差し引き、残った金が人件費であり、それをレスラーごとに決まったパーセンテージで分配するというのです。
つまり、客の入りがレスラーのその日の実入りに直結するので、レスラーは観客を意識した仕事をしなければならないということになります。
観客の文化の違いも書かれています。
たとえば、チャンピオンが、あるチャレンジャーと戦うとします。
そうすると「巧い」チャンピオンは、チャレンジャーの良いところを見せて、やられて倒れながら勝ち名乗りを受けるような「辛勝」の試合を作る。
そうすれば、チャンピオンを守りながらも、観客には、次は挑戦者が勝てるんじゃないかと思わせる。
それによって、次の興行も客が入る。
しかし、日本はアントニオ猪木が「ダーッ」とやっちゃう。
スターはどこまで行ってもスターらしいのが「ジャパニーズプロレス」だが、アメリカは集客の手法が違うといいます。
ジャイアント馬場はレスラーとしては最高だったが……
全日本プロレスと新日本プロレスのリングに上がったタイガー戸口は、プロレスラーとしてはジャイアント馬場に軍配をあげています。
「プロレスの上手さで言ったら、日本では馬場さんが最高で、それを追っかけられる頭のある選手なんかいない。猪木さんが、プロレス対異種格闘技戦とかやり始めたのも、馬場さんのプロレス頭に対抗して、無理やりひねりたしたんじゃないの。ストロングスタイルも」
『Gスピリッツ Vol.42』(辰巳出版)でも、タイガー戸口は、ジャイアント馬場の試合運びが勉強になったことを認めています。
「馬場さんは巧いなと思ったよ。試合の組み立て、攻守の切り替えなんて絶妙だから。休むところはセーブして、行く時は行く。あのリズムが素晴らしい。あの人はレスラーとしては最高だよ」
その一方で、団体経営者としての馬場については、「いつまでも自分がトップでいたがった」「金で人望を失っている」などと、こちらも手厳しい。
アメリカにいる家族の飛行機代を出してくれるといいながら反故にしたのだそうです。
まあそれは、2人の間の話なので第三者には何とも判定しようがありませんが、桜田一男さんのところで書いたように、全日本プロレスは、レスラーにも年金をかけてくれたという「ジャパニーズ」ならではのいいところもあるのではないでしょうか。
⇒『プロレスリングの聖域』桜田一男が打ち明けた“現役引退後”
まあ、いずれにしても、ジャイアント馬場のこともアントニオ猪木のことも、あまり好きではないみたいですね(笑)
本書ではその他、実はトランプ大統領とも付き合いがあり、一緒に食事をした仲だが、トランプ大統領は「劇場型政治」ならぬ「プロレス型政治」だ、という興味深い指摘もあります。
SSブログのみなさんは、タイガー戸口さん、ご存知ですか。

虎の回顧録 昭和プロレス暗黒秘史
タイガー戸口としては、ほとんど知りません。やっぱキム・ドクとしてですね。
大木金太郎と一緒に暴れてたような記憶があります。
アメリカと日本ではプロモーターの数も全然違っていたのでしょうから、アメリカのようにはいかなかったのでしょうね。
でも、今のプロレスよりは面白かったと思います(^^)
by なかちゃん (2019-12-19 12:50)
キム・ドクと言う名前なら、なんとなく覚えています。ほんとにうっすらとですが。
交通会館から勝鬨橋の「東銀座めぐり」、参考にして見ます。^_^
by ヨッシーパパ (2019-12-19 19:07)
うう、これっぽっちも絡めない。さすがに知らないわこの人は(^_^;)
by pn (2019-12-19 19:49)
アメリカは、「観客が試合にエキサイトできるか」が大事で、
日本は「英雄が傷つかずに勝つ」ことが大事なのかもしれませんね。
だから日米でもプロレス観がぜんぜん違う。
by 犬眉母 (2019-12-19 22:00)
ジャイアント馬場にアントニオ猪木といった名前は分かりますが、タイガー戸口さんは全く存じませんでした…
by ナベちはる (2019-12-20 00:49)
こんばんは。
私は、新日本プロレス時代のグレート・ムタが好きで、DVDを買い集めていくつか持っているのですが、DVDの中に1991年9月10日に大阪府立体育会館で行われた 「グレート・ムタ & AKIRA (野上彰) vs キム・ドク & 栗栖正伸」 という試合があり、タッグマッチながら1試合だけ観たことがあります。
ムタも一応ヒールレスラーですが、キム・ドクさんもヒールらしく、マイクのコードを使ってのチョーク攻撃をされていて、おもしろい試合だったと思います。
久しぶりにこの試合が観たくなってきました。
今は新日本プロレスの一人勝ちの状態になっていますね。
私は、現在のように新日本プロレス人気が復興してくる少し前にあった、長州力さんや蝶野正洋さんといった方々のレジェンド軍というユニットが解散し、新日本プロレスを離れるときまで、蝶野さんが大好きでずっと熱心に観ていましたが、それ以降はときどき観ている程度でしかなくなりました。
記事に書かれてあります 「観客の文化の違い」 がまさにそうだと思うのですが、今の新日本プロレスはチャンピオンがお決まりの選手になっていて、対戦相手も毎回ローテーションのように代わり映えがしなく、試合自体もつまらないと個人的には感じていて、何故現在のお客さんはそんな試合で盛り上がることができるのかがわからないです。
私としては、いわゆるインディーと呼ばれるプロレス団体も含めて、同じような対戦カードしか観せない新日本プロレスよりも対戦カードや試合自体もおもしろい団体はたくさんあるように思えます。
by チナリ (2019-12-20 02:31)
キムドク懐かしい響きです。顔は覚えてませんが名前は独特で聞き覚えあります。
by ヤマカゼ (2019-12-20 06:53)
アメリカと日本のプロレスの違いは文化や習慣の違いを見ているようですね~。おもしろいです。
by Rinko (2019-12-20 08:28)