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紀藤正樹弁護士「競争社会がカルトの入り口になっている疑いがある」 [(擬似)科学]

昨今、(旧)統一協会問題がかまびすしいですが、紀藤正樹弁護士がしばしばメディアで発言されています。紀藤正樹弁護士が、統一協会問題に関わった一番画期的な裁判は、違法伝道訴訟、いわゆる「青春を返せ裁判」(2001年)です。

それまでは、壺を売る経済行為については、お金が動くのでその限りで裁判が可能でしたが、マインドコントロールは内心の問題だったため、統一教会/統一協会の「強引な布教」や、その使用者責任を不法行為として認定することはできませんでした。

それが、違法伝道訴訟、いわゆる「青春を返せ裁判」により、マインドコントロールによる勧誘は違法 と判決が出て、たとえば名前を隠した勧誘などというのがこれを機会にできなくなりました。

私は、紀藤正樹さんに、その違法伝導訴訟の話を20年前に伺ったことがあります。

その際、なぜ人はカルト宗教に引っかかるのか、という根本的な問題について、原因の一つを、昨今の新自由主義や競争原理に求めていました。

紀藤さんによれば、現代は科学の発展と資本主義的競争社会の連動という成果が期待できなくなり、競争主義だけが残っている社会といいます。

それは農耕社会や工業化社会前などは当たり前だった世代交代の摂理をくずし、たゆまない努力をしなければ生活が維持できないという社会になったことを指摘します。

もともと「人間は自然の中の一動物であり、寿命という絶対的な限界がある」はずなのに、「三〇代の課長さんも五〇代の部長さんも、企業社会の競争の中では一緒に競争している」社会で生きることは、人間として当たり前である「老い」を簡単に受けいれられなくしている。

競争社会の中で競争し続けるために、病気や怪我なども手っ取り早い解決方法を何かに求めたがる。そこからオカルトにハマる落とし穴があるといいます。

したがって、カルトの問題は「自己責任原則」で解決する問題ではなく社会的な問題であり、消費者問題などにも通じることだと強調します。

紀藤正樹さんのお話からは、弁証法的論理学のヘーゲルの「小論理学」を思い出しました。

これはまさに、「生あるものは自分自身のうちに死の萌芽を持っている」という、現存する肯定的理解のうちに、その必然的没落という否定も構成する立場である弁証法的世界観です。

弁証法的世界観とデカルト以来の近代合理論


この項目は、弁証法的世界観についての哲学的な経緯であり、難しいと思った方は読みとばしていただいて結構です。

『論理学』(世界思想社)では、弁証法という論理学についてこんなふうに説明しています。

弁証法的な考え方は、古代ギリシャのヘラクレイトスなどにすでに見られるもので、「世界のすべての事物は,互いに連関しあいながら,たえず運動し,変化し,発展し」「すべてのものは変化のうちにあり,世界はひとつの過程であると考えた」といいます。

ヘラクレイトスといえば、「万物は流転する」「同じ河に二度入ることはできない」「河は同じだが、その中に入るものには、後から後から水が流れよってくる」など、素朴ではありますが世の中のものは常に動いているという真理を述べています。

ただ、この段階ではこうした全体のあり方をとらえてはいても、個別的な説明としては不充分でした。

それが、古代末期から中世にかけての生産力や科学技術の発展の中で、「個別的な説明」が必要に迫られ、「物事を正確・精密に観測し測定して,細かく分析して考察する思考法が強まること」になったわけです。

それは「物事を一時的にもせよ固定・静止させて考え,それをさらに部分や要素に分解・解剖・分析して考えるという,いわゆる分析的思考法が強まった」ものでした。ガリレオやニュートンなどの古典力学などはまさにその分析的方法に基づくものです。

分析的思考法の基本は、たとえば「AはAである」「Aは非Aではない」というように、あるひとつの物を一点観測し、それが存在するのかしないのか、真なのか偽なのかを明らかにするものです。これは、「有るものは有り、有らぬものは有らぬ」(パルメニデス)という原理である形式論理学といわれるものです。これ自体は間違いではなく、むしろ現代の合理的なものの見方の一定部分を占める真実です。

しかし、こうした考え方は、やがて登場した電磁気学・化学・生物学などで万能ではないことを知らされます。それらは「有機的構造をもった生命体・生物体・有機体」が「はじめから全体の調和でなり立っており,部分品に分解不可能であり,全体の調和を保ちつつ生成し成長し消滅する」ものであるという見方が強まってきたからです。

たとえば、生きていることと死んでいることは別なことですが、「死」について脳死が問題になったように、ではどこからが「生」でどこからが「死」なのかについては、「固定・静止させ」た一点で判断する、つまり死の瞬間を確定することはできません。一定の過程の中で細胞の活動が消滅していくからです。

ボールをA地点からB地点に投げたとして、その中間の任意地点でボールは「在る」といえるでしょうか。留まっているわけではないから「固定・静止」させた状態を想定すれば「在る」とはいえないし、かといって通過は事実ですから「ない」とも言えません。しかし、形式論理学では「在る」と「ない」のどちらともいえる状態では「有るものは有り、有らぬものは有らぬ」にはなりませんから、この点の説明は成り立ちません。「A地点にある」「B地点にある」ということだけを判断することになります。

こうした「在る」か「ない」かだけで判断する形式論理学としての思考法は、科学的認識と価値意識の正しい関係を見落とす「科学主義」の憾みを原理的に持っています。

いずれにしても、「通過した」というのは事実ですから、そうした運動自体を判断する必要があるのではないか、ということになったわけです。

同時にそれは、歴史学や経済学、さらには国家や社会についてもいえることです。

「一つ一つの固定不変の部分や要素の組み合わせなのではなく,全体の調和でなり立ち,全体として生成・発展・消滅する有機体と考えてこそ,これらのものを正しく把握できる」というのです。同書では、「ダーウィンの進化論」「細胞の発見」「エネルギー転化の法則」「フランス革命」などが「思考法の転回を促す決定的な動因」になったとしています。

こうして弁証法的思考が改めて見直され、カントやヘーゲルの古典哲学につながっていったのです。

もちろん、古代ギリシャ時代のたんなるリバイバルではなく、形式論理学で獲得できた真実を含んだより豊かなものとしてのそれであることは当然のことです。

競争社会の弊害


さて、話は戻りますが、紀藤さんは現代の私たちの社会を「科学の発展と資本主義的競争社会の連動という成果が期待できなくなり、競争主義だけが残っている社会」と表現しました。この点について、考えてみたいと思います。

私は、紀藤さんのいう「期待できな」くなった「科学の発展」というのは、すなわち「形式論理学としての思考」であり、「競争主義だけが残っている」というのは、先の渡辺治さんの「現代帝国主義」のところでみたように、「規制緩和」や「国際貢献」を掲げた現在の「自由化」「市場化」時代と重なる指摘ではないかと思っています。

七〇年代後半までの「現代帝国主義の確立期」には、「高度経済成長」のもと、生産力や科学技術の発展が市場では求められていた時代でした。こうした時代は、『論理学』がいうところの「物事を正確・精密に観測し測定して,細かく分析して考察する」「物事を一時的にもせよ固定・静止させて考え,それをさらに部分や要素に分解・解剖・分析して考える」思考法、すなわち形式論理学としての思考に一定の「ニーズ」があり、積極性を発揮できた時期といえます。

しかし、時代が七〇年代後半のオイルショック以降、社会の方向性が変わったことを境に、そうした「ニーズ」を失った形式論理学的思考は、「固定・静止させ」た一点で判断するために変転する現象をとらえられないマイナスの面を隠しきれなくなった、つまり非合理的側面を見せるようになってきたのではないかと思っています。

さて、紀藤さんのいう「老い」を簡単に受けいれられな」い競争社会の矛盾の話を聞いたとき、私はほかでもない、弁証法的論理学のヘーゲルの「小論理学」を思い出しました。これはまさに、「生あるものは自分自身のうちに死の萌芽を持っている」という、現存する肯定的理解のうちに、その必然的没落という否定も構成する立場である弁証法的世界観です。

弁証法哲学者の村山一人さんは、まるで紀藤さんの話の解説と間違えるぐらい近似的に、その件をこう解説しています。

「古いものの否定と新しいものの創造の立場に立たなければいけません。もし、古いものをなんとかして維持したいという要求を根本におき、そうした矛盾だけはなくしたいと思えば、合理的な解決を捨てて、神秘と超越的なものへ逃避するよりほか道はありません」(『弁証法的とはどういうことか』岩波書店)

異世代間の「摂理」をも切り崩す現代社会は、「固定・静止させ」た一点で判断していたらその解決どころか、問題点すらも浮き彫りにならないでしょう。

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