『喜劇怪談旅行』(1972年、松竹)を鑑賞しました。出演はフランキー堺、森田健作、そして喜劇にはしばしば登場して手堅い演技を見せてくれたバイプレーヤー・立原博も出演しています。実は3人とも東京大田区の出身。同作は直営館から現在の興行(シネコン)形式に移り変わる時期に上映された、最後の“古き良き昭和映画の時代”の作品です。
『喜劇怪談旅行』の主演はフランキー堺です。
このブログで何度か書いてきたように、東宝昭和喜劇の「社長シリーズ」では怪しげなバイヤーを演じ、
『社長漫遊記』より
「喜劇駅前シリーズ」では伴淳三郎、森繁久彌とともに主役のひとりとして活躍しました。
それが、『続・社長千一夜』(1967年)をもって社長シリーズを降板。駅前シリーズも1969年の『喜劇駅前桟橋』で終了しました。
そして、社長シリーズ降板の翌年68年からは、映画会社を変えて松竹で、瀬川昌治監督、べっ甲の丸いフレームのメガネを掛けたフランキー堺主演による「喜劇旅行」シリーズ(全11作)が始まります。
今回の『喜劇怪談旅行』は、シリーズ11作中の10作目にあたります。
喜劇旅行シリーズは、社長シリーズ同様に、おもな出演者の顔ぶれや設定は同じですが、ストーリーが作品ごとにかわります。
シリーズ前半の数作は、
伴淳三郎(機関車運転士)と、フランキー堺(車掌)中心にストーリーが展開されます。
国鉄から蒸気機関車が次第に数を減らしたシリーズ後半は、フランキー堺(車掌や駅員や駅長)と、当時の松竹の新鋭・森田健作(同僚や親類の同業者)を中心とした物語になっています。
いずれにしても、主人公のフランキー堺は鉄道(国鉄)職員です。
この時期、新幹線が開通していますが、わずかにSLも残り、ブルートレインも健在だったので、こうした映画を作れたのでしょう。
もともと瀬川昌治監督は、東映で、車掌を演じる渥美清主演による「喜劇列車」シリーズ(全3作)を撮っていました。
が、何か事情があったらしく、松竹に移って今度はフランキー堺主演で、引き続き鉄道(国鉄)職員を主役にしたシリーズを始めたのです。
あの実録ヤクザ映画の東映が喜劇を、しかも、のちに『
男はつらいよ』で松竹の顔になった渥美清を起用していたというのは意外な気もしますが、たしかに「喜劇列車」シリーズは、私が子供の頃、見たことがありました。
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ネタバレ御免のあらすじ
紀勢本線の港町太地駅の駅長として赴任して来た大和田信平(フランキー堺)。部下の駅員は、かつての先輩だった乗客係の坂口庄作(三木のり平)と、その息子・大作(森田健作)、幸田(林ゆたか)、杉山(三城康裕)など。
森田健作と三城康裕といえば、当時の人気テレビドラマ『おれは男だ!』(1971年、松竹、日本テレビ)の、剣道部キャプテンと副キャプテンのコンビです。
もちろん、森田健作は劇中で、『友達よ泣くんじゃない』をアカペラですが歌っています。
私はこれだけでも十分ノスタルジーに浸れて満足です。
この頃の森田健作は、清潔感のある好青年でした。
フランキー堺の妻はすでに亡くなっているのですが、フランキーにだけは見える幽霊(日色ともゑ)で出てきます。タイトルの「怪談」というのは、要するにこの幽霊妻のことを指しています。
シリーズでフランキー堺の相手役は倍賞千恵子なのですが、今回は『男はつらいよ』の撮影でも入っていたのでしょうか。
そういえば、どことなく似てますね。日色ともゑと倍賞千恵子。
フランキー堺は真面目で仕事熱心で、仕事があまりできない三木のり平をいつも叱っているのですが、入れあげている食堂の女主人・由美(野川由美子)が、実は三木のり平の内縁の妻だったため、密かに失恋してしまいます。
ある日、駅に泥棒が入った時、森田健作は、駅留の荷物を金庫に入れ忘れて盗まれてしまいます。
三木のり平は、自分が身代わりにクビになるといいますが、フランキー駅長は、それは息子のためにならないといっしゅう。三木のり平は、「あなたは子どもがいないから冷たいんだ」とののしります。
その後、犯人を見つけ荷物が戻ってくると、フランキー駅長は預かっていた森田健作の辞表を破り捨てます。
そして、三木のり平は「冷たい」と罵ったことを謝り、森田健作は涙を隠すために急いで顔を洗うという、いかにも松竹らしい展開になります。
そういえば、東宝喜劇にも、喜劇のくせにちょっとジーンとするシーンもありますが、そのようなクサイシーンはありません。
東宝よりも松竹のほうが、人情喜劇でウェットな作り方なんでしょうね。
ラストは、野川由美子に、前妻そっくりの女性(日色ともゑの二役)を紹介され、前妻は安心してあの世にいきます。
大田区パワーが古き良き時代の喜劇を支えた!
主演の
フランキー堺が大田区池上の出身であることは何度か書きました。
森田健作は大田区矢口の出身で、私の長男の先輩です。何の先輩かは書きませんが。
そして同作はもうひとり、大田区の荏原郡大森町(今の入新井)出身の俳優・立原博も出演しています。
『喜劇怪談旅行』より
立原博がこよなく愛した大森町の駅前商店街
入新井西児童交通公園のC-57-66
ビッグネームというわけではないのですが、いろいろなドラマや映画に出演していて、顔を見たら、あああの人か、と思われるかもしれません。
スパイ容疑や捕虜など戦争で苦労したためか、戦後は前進座や森繁久弥一座など、左翼・リベラル色の強い劇団に在籍していたようです。
三木のり平とも親しかったこともあって、東宝の社長シリーズ、喜劇駅前シリーズなどに出演。喜劇旅行シリーズにも名を連ねています。
大田区出身の俳優はみんな味がありますね。
このブログではこれまで、
淡島千景(池上)、フランキー堺(池上)、
小沢昭一(女塚)、
犬塚弘(大森・山王)、
谷啓(田園調布)など、昭和の喜劇映画に出演した大田区生まれ、もしくは大田区育ちの俳優をご紹介しました。
まだまだたくさんの俳優が大田区で過ごした経験をもっていますが、これからもこのブログで触れていきたいと思います。
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