『社長漫遊記』で若戸大橋開通と塩沢ときを観る [東宝昭和喜劇]
『社長漫遊記』(東宝、1963年)を収録した『東宝昭和の爆笑喜劇No.29』(講談社)が発売されました。観光映画ともいわれた同シリーズ。本作のロケ地は5市が合併したばかりの北九州市です。若戸大橋開通が舞台になっています。読み物ページは塩沢ときを特集しています。
『東宝昭和の爆笑喜劇』は、これまでにも何度か書きましたが、東宝でシリーズ化された喜劇映画のうち50本が、毎月第2、第4火曜日にDVDと読み物によるDVDマガジンとして書籍コードで発売されています。
今回の『社長漫遊記』は、東宝喜劇の看板シリーズだった「社長シリーズ」の第16作目にあたります。
社長シリーズというのは、森繁久彌社長、加東大介重役、小林桂樹秘書、三木のり平営業部長らが、脱線や失敗を重ねながらも、最後は懸案の取引をまとめるという、古き良き時代らしいストーリーで33作品作られました。
今回の会社は太陽ペイントという塗料会社。同社のペンキが、若戸大橋の赤い塗装に使われたという設定で、一行は1962年暮れの若戸大橋開通式に出席します。
若戸大橋は、北九州市の戸畑区と若松区を結ぶ「日本における長大橋の始まりであり、建設当時は東洋一の吊り橋」(wiki)だったといいます。
かつて、我が国では京浜、中京、阪神、北九州が四大工業地帯とよばれ、日本の近代化・高度経済成長の牽引役として重化学工業を中心に発展してきました。
中でも北九州市は、首都、近畿、中京の各圏以外では、初めて政令指定都市になり、右肩上がりの日本の象徴のようなところだったのだと思います。
そこをストーリーに組み込んでしまう社長シリーズは、まさに高度経済成長を象徴する作品だったのでしょうね。
ただ、作品としては本作はちょっと物足りなかったかな。
というのは、このシリーズは必ず同じ設定とタイトルで正編、続編と2作品作られるのですが、正編と続編それぞれストーリーが完結している場合と、正編と続編を通してひとつの物語になっている場合とがあり、本作は後者なのです。
ですから、良く言えばこれからいろいろあるのかな、という期待をもたせ、悪くいえば中途半端な終わり方のように思います。
続編は次次号。もちろん見る予定です。
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ところで、読み物の方は、東宝の専属女優だった塩沢ときが特集で取り上げられています。今回のDVDマガジン収録50作品の半分以上に出ているのですから、それは当然といえば当然ですね。
塩沢とき。ご存じですか。
塩沢ときには、女優として3つの時代があります。
1.東宝映画の存在感十分なバイプレーヤー時代
2.悪役なんだけれどもどこかユーモラスなテレビドラマの各作品
3.『いただきます』の巨大なヘアスタイルでブレイクした時代
塩沢ときは東宝にニューフェイスで合格したぐらいですから、背も女性にしては高くて、ルックスも少なくとも若い時は悪くなかったのです。
ですから東宝映画では、最初こそ清楚な美人女優としての扱いでした。
が、60年代の東宝喜劇全盛の頃は、主にホステス、秘書、文句をいう客など、端役に近いものばかり。しかも、そういときのストーリー上のお目当てホステスは、淡路恵子や草笛光子や新珠三千代などで、塩沢ときは期待外れの役どころに後退しました。
しかし、それは彼女の役者人生を考えると美味しかったのではないでしょうか。ありふれた「美人女優」だったら、いくらでもかわりはいます。1972年に東宝が映画製作を見なおして俳優の専属制をやめた時点で、役者稼業も引退していたでしょう。
テレビドラマ時代ですと、私が子供の頃、チャコちゃん、ケンちゃんシリーズという30分のドラマシリーズがありましたが、同じ東宝の女優でも、北川町子(後の児玉清夫人)は、子供心に本当に意地悪なおばさんに見えたのに比べて、塩沢ときの「まー、なんてことでしょ」と大仰に騒ぐ教育ママは、怒ってるんだけど、どこかユーモラスな感じがしたものです。
そして、80年代は小堺一機の番組『ライオンのいただきます』に出演。左右に張り出した巨大な髪型で大ブレイクをしました。このとき56歳。傍目には彼女の人生でもっとも輝いた時に見えたでしょう。
そのくらいの年齢でブレイクすると、大御所や御意見番を気どりたくなるものですが、塩沢ときは決してそのようなことはなく、小堺一機の番組では56にもなって(?)上品にしもネタを話す道化に徹し、女優の仕事もそれまでと変わりなくこなしました。
生涯、結婚したとか、豪邸を建てたとか、商売や投機に手を出したといった話もありませんでした。
それだけ地道に生きていても、ツイてない人はツイてないですね。
30歳で舌がん(手術で総入れ歯)、57歳で右乳がん、76歳で左乳がんになり、79年の生涯を閉じたのはスキルス胃がんでした。大病であることだけでなく、女優として、タレントとして、これから、というときに発症するのです。
前回の「東宝クレージー映画はどうして明るく前向きな気持になれるのか」で書いた青島美幸さんの話ではありませんが、塩沢ときの人生にも、「生きるって切ないね」「でも、(人生)所詮そんなものでしょ。だから負けないで生きていこうよ」というほろ苦さが感じられます。
もう亡くなった女優ですが、私にとっては大変興味のある方です。
『東宝昭和の爆笑喜劇』は、これまでにも何度か書きましたが、東宝でシリーズ化された喜劇映画のうち50本が、毎月第2、第4火曜日にDVDと読み物によるDVDマガジンとして書籍コードで発売されています。
東宝 昭和の爆笑喜劇DVDマガジン 2014年 5/20号 [分冊百科]
- 作者:
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/05/02
- メディア: 雑誌
今回の『社長漫遊記』は、東宝喜劇の看板シリーズだった「社長シリーズ」の第16作目にあたります。
社長シリーズというのは、森繁久彌社長、加東大介重役、小林桂樹秘書、三木のり平営業部長らが、脱線や失敗を重ねながらも、最後は懸案の取引をまとめるという、古き良き時代らしいストーリーで33作品作られました。
今回の会社は太陽ペイントという塗料会社。同社のペンキが、若戸大橋の赤い塗装に使われたという設定で、一行は1962年暮れの若戸大橋開通式に出席します。
若戸大橋は、北九州市の戸畑区と若松区を結ぶ「日本における長大橋の始まりであり、建設当時は東洋一の吊り橋」(wiki)だったといいます。
かつて、我が国では京浜、中京、阪神、北九州が四大工業地帯とよばれ、日本の近代化・高度経済成長の牽引役として重化学工業を中心に発展してきました。
中でも北九州市は、首都、近畿、中京の各圏以外では、初めて政令指定都市になり、右肩上がりの日本の象徴のようなところだったのだと思います。
そこをストーリーに組み込んでしまう社長シリーズは、まさに高度経済成長を象徴する作品だったのでしょうね。
ただ、作品としては本作はちょっと物足りなかったかな。
というのは、このシリーズは必ず同じ設定とタイトルで正編、続編と2作品作られるのですが、正編と続編それぞれストーリーが完結している場合と、正編と続編を通してひとつの物語になっている場合とがあり、本作は後者なのです。
ですから、良く言えばこれからいろいろあるのかな、という期待をもたせ、悪くいえば中途半端な終わり方のように思います。
続編は次次号。もちろん見る予定です。
塩沢ときの特集も
ところで、読み物の方は、東宝の専属女優だった塩沢ときが特集で取り上げられています。今回のDVDマガジン収録50作品の半分以上に出ているのですから、それは当然といえば当然ですね。
塩沢とき。ご存じですか。
塩沢ときには、女優として3つの時代があります。
1.東宝映画の存在感十分なバイプレーヤー時代
2.悪役なんだけれどもどこかユーモラスなテレビドラマの各作品
3.『いただきます』の巨大なヘアスタイルでブレイクした時代
塩沢ときは東宝にニューフェイスで合格したぐらいですから、背も女性にしては高くて、ルックスも少なくとも若い時は悪くなかったのです。
ですから東宝映画では、最初こそ清楚な美人女優としての扱いでした。
が、60年代の東宝喜劇全盛の頃は、主にホステス、秘書、文句をいう客など、端役に近いものばかり。しかも、そういときのストーリー上のお目当てホステスは、淡路恵子や草笛光子や新珠三千代などで、塩沢ときは期待外れの役どころに後退しました。
しかし、それは彼女の役者人生を考えると美味しかったのではないでしょうか。ありふれた「美人女優」だったら、いくらでもかわりはいます。1972年に東宝が映画製作を見なおして俳優の専属制をやめた時点で、役者稼業も引退していたでしょう。
テレビドラマ時代ですと、私が子供の頃、チャコちゃん、ケンちゃんシリーズという30分のドラマシリーズがありましたが、同じ東宝の女優でも、北川町子(後の児玉清夫人)は、子供心に本当に意地悪なおばさんに見えたのに比べて、塩沢ときの「まー、なんてことでしょ」と大仰に騒ぐ教育ママは、怒ってるんだけど、どこかユーモラスな感じがしたものです。
そして、80年代は小堺一機の番組『ライオンのいただきます』に出演。左右に張り出した巨大な髪型で大ブレイクをしました。このとき56歳。傍目には彼女の人生でもっとも輝いた時に見えたでしょう。
そのくらいの年齢でブレイクすると、大御所や御意見番を気どりたくなるものですが、塩沢ときは決してそのようなことはなく、小堺一機の番組では56にもなって(?)上品にしもネタを話す道化に徹し、女優の仕事もそれまでと変わりなくこなしました。
生涯、結婚したとか、豪邸を建てたとか、商売や投機に手を出したといった話もありませんでした。
それだけ地道に生きていても、ツイてない人はツイてないですね。
30歳で舌がん(手術で総入れ歯)、57歳で右乳がん、76歳で左乳がんになり、79年の生涯を閉じたのはスキルス胃がんでした。大病であることだけでなく、女優として、タレントとして、これから、というときに発症するのです。
前回の「東宝クレージー映画はどうして明るく前向きな気持になれるのか」で書いた青島美幸さんの話ではありませんが、塩沢ときの人生にも、「生きるって切ないね」「でも、(人生)所詮そんなものでしょ。だから負けないで生きていこうよ」というほろ苦さが感じられます。
もう亡くなった女優ですが、私にとっては大変興味のある方です。
塩沢とき・愛ときどき涙―ガンも男も乗り越えて、いま青春まっただ中
- 作者: 塩沢 とき
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1985/05
- メディア: 単行本
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