『テレビ作家たちの50年』(日本放送作家協会、NHK出版)という書籍を読みました。新刊ではないので、ネットでも品切れになっているショップはあるかもしれませんが、資料的価値は高く、ネットではレビューしている人が少なくありません。私も遅ればせながら同書に一言してみたいと思います。
数日前、総務省情報通信政策研究所が発表した、2013年の「情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」の速報結果が話題になりました。
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平成25年 情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査<速報>(PDF)
その傾向を大雑把に要約しますと、40代・50代におけるテレビの視聴時間が減少。かといって録画視聴が増加しているといったデータも得られていない。40代・50代が見たい番組が減少したということもありえる。要するにこの世代はテレビ離れをしている。
10代、20代は、ソーシャルメディアの利用時間が前年調査の倍近くに増加し、その利用率が最も高かったのは「LINE」で、全体の44.0%が利用していた、
ということです。
10代、20代の方は今回措くとして、40代・50代は、昭和から平成にかけてのテレビを知っている世代です。
その世代がテレビを見なくなったというのは、ネットが普及したといっても、やはり、
テレビそれ自体がつまらなくなったと思っている人が多いということではないでしょうか。いまさらですが……。
もちろん、「つまらない」というのは主観であり、面白いという人がいても否定はしません。
ただ、少なくともテレビコンテンツが、昭和の時代に比べて、客観的に変わってしまった点があるのは確かです。
それが多くの人にとって「つまらない」と感じる原因になっているのではないか、ということを私は何度かこのブログでも書いてきました。
そこを明らかにしないと、たんなる「昔は良かった」の懐古厨でしかないからです。
たとえば、単独スポンサーから複数スポンサーになり、スポンサーと番組の関係が変わってしまった。スポンサーは番組を育てる立場ではなく、局にとってはどれだけカネを引っ張れるかという対象になってしまった。また、メディアミックス化で、テレビのレギュラー番組(主にドラマ)が、DVDや映画、スペシャル番組の「フロントエンド商品」になりさがってしまった、といったことを「
地上波テレビの視聴率凋落、どう見る?」で書きました。
より大きな仕掛けで、より急展開に、より派手なストーリーで、という方向に「進化」してしまったため、それを永遠にエスカレートし続けないと飽きられるようになってしまったと「
『素浪人 花山大吉』を観て昨今の大河ドラマ不振を考える」「
テレビがつまらなくなった「制約」の中身」などで書きました。
テレビはもはやまじめに見るものではなく、「ながら」のコンテンツになってしまった、と「
宇津井健さん、遺作が『渡る世間は鬼ばかり』どう思う?」で書きました。
では、昔のほうが優れていたのかというと、もちろん、社会は時間の経過とともに発展しますから、昔は昔なりの問題点があります。
低予算、俗悪、撮影技術など、昔の未熟さがあるから今がある、といえることはたくさんあります。
では、当時のテレビはどうだったのかな、テレビの歴史を振り返ろう、というのが、『テレビ作家たちの50年』(日本放送作家協会、NHK出版)という書籍です。
「2009年9月に創設50周年を迎える日本放送作家協会が編纂するテレビ50年史」(公式サイトより)です。
過去、テレビ現場の最前線にかかわってきた有名な放送作家たちが、当時のテレビ界や番組作り、自分の立場や考え方などを思い出しています。
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お行儀の悪い番組も振り返ったことに意義がある
登場した作家や識者は合計86名。
はかま満緒にはじまって、『夢であいましょう』の永六輔、『シャボン玉ホリデー』の前田武彦、『夜のヒットスタジオ』の木崎徹、『笑点』の新倉イワオ、『8時だョ! 全員集合』の田村隆、『欽ドン』の秋房子(萩本欽一)、『3年B組金八先生』の小山内美江子、『24時間テレビ』の東海林桂、『太陽にほえろ!』の杉昌英、『アメリカ横断ウルトラクイズ』の萩原津年武、『熱中時代』の布施博一、『オレたちひょうきん族』の大岩賞介、『夕やけニャンニャン』の秋元康、『金曜日の妻たちへ』の鎌田敏夫、『ふぞろいの林檎たち』の山田太一、『進め!電波少年』の海老克哉……。
執筆者を並べるだけで何百字もとってしまいます。
いずれにしても、これが、NHKの「お行儀のいい番組」の関係者だけだったらつまらなくて読む気しませんでしたが、ドラマもバラエティも入っていて、しかも『進め!電波少年』のような「俗悪番組」も含まれるのは大変良いことだと思いました。
世間的には俗悪でも、世間の価値観におもねない番組作りをすることで、結果的に新しい価値観を創出するのがクリエーターの仕事だからです。
総論を担当したはかま満緒氏は、なぜ当時の放送作家が立場をわきまえ裏方に徹しないで、番組に登場したかを打ち明けています。
青島幸男氏が『シャボン玉ホリデー』に登場したのは、クレージーキャッツが全員ボケでツッコミ役がいなかったからだとか。当時は、ゲストのコメディアンも全員ボケの方でした。
今のようにタレントの数が多ければ、ボジションごとに出演者を決めていくことはできるのでしょうが、まだテレビが始まって間もない頃だったのでそれができなかったのでしょう。
私はテレビマンではないので、現場の雰囲気は今も昔もわかりませんが、現場の番組作りの意欲に、「視聴率」が高いかどうかも、「俗悪」かどうかも関係ないということだけはわかります。
いずれも読ませてくれる話ばかりです。
同書を読みその歴史を知ることで、テレビに対する提案や期待など、新たな価値観につながるかもしれません。
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