昭和の女優というと、あなたは誰を最初に思い浮かべますか。今週発売の『週刊ポスト』(2014年2月21日号)のカラーページに、「昭和の女優は美しい」というタイトルのコーナーがあり、名前だけで作品がスラスラ出てくる女優たちの写真が掲載されています。今日はその中の一人に選ばれている新珠三千代の出演作品を収録した『東宝昭和の爆笑喜劇DVDマガジンVol.23』(講談社)も発売されました。
トップページを飾ったのは大原麗子、最後のトメは岩下志麻、というのが同誌の選定です。写真そのものに価値があるので、スキャンは今日はナシとしましょう。
次は誰だと思いますか。数ある大女優を押しのけて掲載されているのは加賀まりこです。
東宝で活躍した浜美枝や酒井和歌子も入っていますが、お騒がせの喜多嶋舞の母親、内藤洋子は入ってません。
なぜ昭和の女優は美しいのか
それにしても、昭和の女優は美しい……ということは、平成の女優は美しくないのでしょうか。
まあこのへんは、女優にもよりますし、もとより美しいかどうかは好みの問題もあるのでいちがいにはいえませんが、ただ私が思うのは、
『パパと呼ばないで』の記事でも書いたように、昔の作品は、ドラマにしろ映画にしろ、シリーズ化や長い期間の放送、二等館での上映もしくは繰り返しの再放送などで、ジワジワ価値を観る者に浸透させていくインカムゲイン型なのです。
ところが、現在のコンテンツの売り方というのは、金と仕掛けをかけてオンエア、もしくは上映時にバーンと視聴率や興収を上げて世間の注目を集め、出演タレントの時価を上げるキャピタルゲイン型なんです。
ですから、興行収入や視聴率の数字が昔を上回っても、個々の作品や女優は、昔の方が人々の心に残りやすいんじゃないかと思います。
同誌の人選に話を戻すと、トップが浅丘ルリ子や吉永小百合ではないところを見ると、選者は映画よりもテレビ世代の人なのかもしれません。
若尾文子の扱いも小さいし、山本富士子や京マチ子などは出てきませんから。
そのような立場やセンスからすると、ちょっと意外な人選だな、と思ったのは、新珠三千代が入っていることです。
きっと『細うで繁盛記』のイメージが強かったんじゃないかなと思いますが、新珠三千代の作品はもちろんそれだけではありません。
社長シリーズのお茶目なヒロイン
今日発売された『東宝昭和の爆笑喜劇DVDマガジンVol.23』(講談社)。収録されているのは『続・社長洋行記』(1962年、東宝)です。先々週、前編の『社長洋行記』も発売されています。
社長シリーズといえば、森繁久彌社長の会社が、ライバル会社や怪しげなバイヤーや浮気見込みの女性といろいろあって、でも最後にはビジネスを成功させるという水戸黄門並みのワンパターン作品です。(ワンパターンの安定感が33本もシリーズを続かせたのです)
今回は、香港に自社製品を売り込みに行く設定。ヒロインは香港の女優尤敏(ユーミン)ですが、森繁社長といい関係になりそうな女性として新珠三千代が出演しています。
新珠三千代というと、『人間の條件』(1959年~1961年、松竹)、『氷点』(1966年、NET)、『細うで繁盛記』『新細うで繁盛記』(1970年~1974年)など、「薄幸な星の下で頑張る女性」や「悪女」ばかり長く見てきたので、社長シリーズは新鮮です。
自分から社長にモーションをかけて、(故意ではありませんが)蛇の料理を食べさせて病院送りにしたり、社長シリーズのお約束で、浮気しそうになるほど盛り上げるけれども途中で話は壊れたり……。
悪女とはいえませんが、おもしろ困った、でもちょっと理性を棚上げしようかなと一瞬思ってしまういい女の役です。
東宝喜劇ではいつもなら草笛光子のポジションですが、この作品で草笛光子は別の役で出ているため、新珠三千代ががんばっています。
私は、クレージー映画もそうですが、この社長シリーズを見ると、根拠はないけど元気が出てきて仕事がんばろうという気持ちになったものです。
社長シリーズ、ご存じない方は一度ご覧になることをお勧めします。
余談ですが、新珠三千代さんの実妹(元女優の椿千代)の娘さんが、生活の党の小宮山泰子衆院議員なんですが、先日、Facebookのある投稿にコメントを書いたら、普段接点のない小宮山泰子議員から「いいね!」をいただいてびっくり。
政治の話ではなかったんですが、ネットではこの時にかぎらず、しばしば思ってもみない方からの反応があります。
ネットはどこで誰がどういう思いで見てるかわからないということしょうね。
八方美人なことを書く気はありませんが、たとえ1行のコメントであろうと、自分が責任取れる、自分の信念に基づいた誠実なことを書くべきだなと改めて思いました。
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