大田区散歩。先週の予告通り、今回は、旧用水路で、下水道が普及した現在は埋め立てられ緑地公園になっているところ4か所をまわりました。緑地公園ですが、河口付近はまだ川が残っていおり水門も現役です。以前多摩川に流れる六郷水門を訪ねましたが、今回は東京湾に流れる旧呑川などの用水路跡です。
今回の4つの緑地公園については、個々の公園紹介は、個人ブログで過去にもあったようです。が、緑地公園とその先の水門をセットにして、かつそれらをまとめた記事はまだないようなので、ローカルな記事ではありますが、一応初めての試み……かもしれません。
・貴船堀緑地公園(大田区大森東3-27)
貴船掘緑地、貴船掘公園、いろいろ呼び方はあるようです。いずれにしても、貴船掘という名の公園です。
大森には、ふるさとの浜辺公園という人工海浜公園があるのですが、その南側にあります。
基本的に旧用水路の緑地公園は、ここにかぎらずお堀を埋め立てただけなのですが、この公園は中でも草木の手入れがよくされていて、公園としての体裁も整っているため、近所の人がずいぶん訪れるようです。
緑地が終わると河口付近。ここが水門です。
・旧呑川緑地公園(大田区北糀谷1-7)←先週もご紹介しました
緑地を埋め立てて遊具を置いた「だけ」の公園。今回の4つの公園の中ではいちばん殺風景でした。
水害被害防止対策の為に1948年に作られた配水場でしたが、下水道普及のため1971年に廃止。1980年に埋め立てられて1982年に緑地公園になりました。
小学校の2年生から6年生まで、このへんに住んだことがあるのですが、埋め立て前のために大きなドブになっていて、蓋がないので怖かったですね。ボール遊びしていて、こっちに転がってくるとドブに入っちゃうのですが、拾うのが大変でした。
不帰橋の跡。調べたのですがよくわかりませんでした。
緑地公園を挟んで道路がありますが、それは地元商店街、キネマ通りにつながっています。
なぜキネマ通りというのか。それは昔、松竹撮影所が蒲田にあったからです。子役時代から活躍していた女優の高峰秀子は、旧撮影所近くの蒲田小学校の出身です。
商店街としては、となり町の梅屋敷商店街にお客を取られてしまい、寂れてしまいましたが、私にとっては懐かしい商店街です。
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この地域のランドマーク、
大田区立総合体育会館。プロレス興行もよく行われます。
緑地は東京湾近くで急に川になり、水門が今も現役で動いています。
用水路側から
外側から
水門を超えた「旧呑川」は、多摩川から別れて東京港まで流れる海老取川に合流します。
ここは住居表示で言うと「北糀谷」といいます。次の北前掘緑地公園は、より東京湾に近い「東糀谷」にあります。
・北前掘緑地公園(大田区東糀谷5-14)
旧呑川緑地公園同様、82年に造られています。元配水場らくしここも細長い公園です
ただ、ここはたんなる埋立地に遊具を置くだけでなく、毎年5月~10月は人工的に小川に水を流してお金をかけています。
糀谷浦海苔漁業発祥の地の記念碑も立っています。
用水路を埋め立てた公園だけあって、橋の下につづいています。
北前橋という橋を超えると公園(埋立地)は終わり、川になります
反対側は水門です。
東糀谷には、もうひとつ旧呑川の緑地公園があるのですが、こちらは「南」と名付けられています。
・南前堀緑地公園(大田区東糀谷3-9)
やはり細長い公園です。東西350メートル。入り口には南前堀跡という石碑があります。が、説明書きがなかったので、何なのかはわかりませんでした。
ここが水門。近くは立入禁止なので、少し離れたところから撮りました。やはり海老取川に合流します。
となりにあった建物。ずいぶん立派な会社か倉庫かと思ったら、区立羽田中学でした。
ということで、次回は公園に行ってみたいと思います。
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