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『はだしのゲン』と『ある惑星の悲劇』“被爆作品”としての違い

「はだしのゲン」が取り沙汰されていますね。松江市教育委員会が、子供が自由に閲覧できない「閉架」の措置を取るよう市内の全市立小中学校に求めていたのに撤回したとか、それをまたタカ派的立場の人が批判したとか。今日はこの件で一言します。

『はだしのゲン』の問題が報じられたとき、ネット掲示板で興味深い書き込みがありました。
はだしのゲンって、別に「反戦平和」がテーマな訳じゃないからな。
ただの任侠バイオレンスアクション。http://xn--dckyae5ad9exf.seesaa.net/article/372159498.html

教条的に、左翼的な立場を標ぼうする人からすれば、不謹慎な評価だと思うかもしれませんね。

「ただの……」以下の指摘自体が妥当かどうかは議論があるかもしれませんが、少なくとも私は、「別に「反戦平和」がテーマな訳じゃない」という点については、“この書き込み、意図は知らないが意外といいセンスしてるな”と思いました。

逆に「反戦平和」という、誰にも反論できないキレイ事のヴェールをかぶせてしまうことで、この作品を自由に論評する妨げになるのではないかと思います。それは、中沢啓治氏も望んではいないでしょう。

では、『はだしのゲン』とはいったい何だったのか。

私の好きなドラマを論じた『飛び出せ!青春』(径書房)という書籍があります。

1972年に放送された、大河ドラマを視聴率で上回ったこともある超人気青春学園ドラマでした。

その中で、脚本家の鎌田敏夫氏は、ドラマのねらいをこう語っていました。
ぼくはこのドラマで、教育問題を語りたかったわけではない。教育現場にいるひとりの人間としての河野武(主人公の名)の生き様を描きたかった。

私は中沢啓治氏に確認したわけではありませんが、「はだしのゲン」に対しても、おそらく鎌田敏夫氏と似たような気持ちがあったのではないかと推理しています。

つまり、原爆問題を直に語りたかったのではなく、被爆したゲンや周囲の人達がどう生きたか、という人の生き様を通して、原爆が落ちたということはどういうことなんだろう、ということを考えて欲しかったのではないかと思います。

原爆や被爆の悲惨さだけを見せたいのなら、ゲンたちを“可哀想な人達”としてだけ描いていればよかったのに、そうではなかった。

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等身大の少年や、そのときの社会の表も裏も見せることで、社会の教科書とは違う、人間を通した出来事としてリアリティをもって伝えてくれているのだと思います。

「被爆もの」を描いた漫画として、もっと前から出ていた作品に、『ある惑星の悲劇ー在東京・広島に於けるー被爆者の記録』(講談社)があります。

ある惑星の悲劇―在東京・広島に於ける一被爆者の記録 (1969年)

ある惑星の悲劇―在東京・広島に於ける一被爆者の記録 (1969年)

  • 作者: 旭丘 光志
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1969
  • メディア: -


私の少年時代の記憶では、最初『少年マガジン』に連載された後、単行本化されています。

草河達夫さんという被爆者の手記を読み、涙が止まらなかったというジャーナリストであり劇画家でもある旭丘光志氏が劇画化したものです。

この作品には、「ギギギ」だの「くやしいのう」だの、「朴さんの生き方」だのと、後々ネタにされるような件は一切ありません。

被爆者が家族を失い、原爆症で職を失う様子が淡々と描かれています。

ただし、草河達夫さんという人の生き様が描かれているわけではないので、ああ、原爆は怖いなあ、ということは伝わっては来るのですが、草河達夫さん自身が原爆とどう向き合って、日々の生活はどんなふうで、それがどのような人格的影響を与えたのか、などは作品からはわかりません。

まさに「一被爆者」の話なんです。極端なことを言えば、別に主語は「草河達夫」ではなく、別の被爆者でも通用する話です。

これは、どっちがいいとか悪いとか、作品として上とか下とかいうことではなく、モチーフの違いだと思うのです。

『ある惑星の悲劇』は、原爆問題をノンフィクションとして描き、『はだしのゲン』は、人間の側から文芸作品として描いたのです。

この場合、前者が本物で後者がつくり話だ、ということではありません。客観的な事実を淡々と書くのか、人間の観念的表現から真実に接近するかという手法の違いです。

私ごときがなぜ、その点に気づいたのか。

中沢啓治氏のスタッフに、ももなり高という人がいました。

ももなり高氏といえば、今やご存知、暴力団の劇画、とくに山口組、田岡一雄、竹中正久、柳川次郎などの作品で知られる人です。

血と抗争!菱の男たち 1―実録・山口組武闘史 (バンブー・コミックス)

血と抗争!菱の男たち 1―実録・山口組武闘史 (バンブー・コミックス)

  • 作者: 溝口 敦
  • 出版社/メーカー: 竹書房
  • 発売日: 2002/05
  • メディア: コミック


私は以前、暴力団が群雄割拠すると言われた姫路市で「ボウ対」を担当していた飛松五男さんという元刑事の書籍をプロデュースすることになったのですが、反社会的勢力のことが全くわかりませんでした。

それでは本を作れないので、その分野について調べていたのですが、本を読んでもどうしても頭に入らないんですね。

そこで、邪道かも知れないけれど漫画から入ろうと思い、ももなり高氏の漫画を読んだところ、次第に興味を持てるようになり、関係者の名前や出来事もスイスイ頭に入り、書籍を作ることが出来ました。

なぜ頭に入るようになったか。

漫画でわかりやすかったから……。それももちろんあります。

ただそれよりも何よりも、ももなり高氏が中沢啓治門下生らしく、暴力団の事件やその社会を、紋切り型の批判論調で描かずに、ヤクザ個人の生き様から描いていったことにあります。

断るまでもなく、もちろん暴力団とは反社会的勢力です。しかし、だからダメだという「結論」だけでは、なぜ彼らがその道に入るのか、なぜ社会に暴力団が存在するのかは永遠にわからないでしょう。

善悪や真偽は後で考えるとして、まずは人の生きざまからいいことも悪いこともリアルに描いたからこそ、その存在の認識や判断ができるようになると思うのです。

話を戻します。

『はだしのゲン』。たしかに表現は濃いです。

私は、そこに好き嫌いはあっていいと思います。好き嫌いを自由に議論できることこそ、真の「表現の自由」だからです。

被爆を描いた神聖な作品は批判してはいけない、などということがあってはなりません

ただし、表現の一部を抽出して、“これはふさわしくない”と指摘することは文芸作品を根本から愚弄するやり方だと思います。

もし、その表現自体が法律に違反するのなら、それは何らかの規制があっても仕方ないと思います。

しかし、『はだしのゲン』は、別に法律違反をおかしている作品ではないでしょう。

考えてほしい。

被爆や戦時中、終戦直後にかぎらず、人間が生きるってそんなにきれいなのかと。

産経新聞はこういっています。

「グロテスクな表現と登場人物の自己中心的な言い分にうんざり」

その論評自体は否定しません。言論は自由だから。でも、翻って産経は「自己中心的」ではないと言い切れるのか。

競争がいけないといって運動会の競争をやめさせたり、都立高校が学校群制度を導入したりしたときは、悪しき平準化、世の中どうせ不平等なんだからキレイ事はやめろ、などと産経は批判していたはず。

被爆者の漫画だけはそれと180度異なる「キレイ事」にしろという意見は変です。

要するに、何が正しいかは二の次で、たんに日教組と被爆漫画が許せないというだけの話。だったら正直にそう述べればいいのです。

ヤフーの、検索「虫眼鏡」を見ると、「中沢啓治 在日」だの、「中沢啓治 左翼」だのという、例によってステレオタイプの検索が流行しているようですが、ネトウヨらしいくだらない検索です。

中沢啓治氏は生前、原水協と原水禁の「分裂」問題について、「中立」的な立場で社共両党を批判していました。

私は中沢啓治氏の態度や見解に賛成はしていませんが、それはともかく、中沢啓治氏はサヨク政党と必ずしも良好な関係にはなかった、ということだけは確かです。

レベルの低いセクト的な興味で中傷するエネルギーがあったら、人の生き様から社会を描く文芸作品としての真髄を理解する努力をしたほうが建設的だと私は思います。

〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻

〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻

  • 作者: 中沢 啓治
  • 出版社/メーカー: 汐文社
  • 発売日: 1993/04
  • メディア: コミック


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