SSブログ

脳性マヒブラザーズ、笑うべきか [芸能]

脳性マヒブラザーズという、名前通り脳性マヒによる障がい者コンビのコントを知りました。私の高校時代の同級生が、facebookでその動画を紹介して「スコーンと笑おう」と書いていたのです。しかし、私はそのお笑いのセンスも障がい者に対する理解についても疑問を抱いています

まずは、その紹介されていた動画です。
>>脳性マヒブラザーズ「コント・お医者さん」

医者が「脳性まひでしょう」といっているのに、滑舌の悪い立っているのもやっとの脳性まひの患者が「かぜです」と言い張るストーリーです。

これは、厳密には2つの論点があります。

ひとつは、障がい者ネタの是非を論じる以前の問題として、彼らの芸人としての資質はどうかということ。

そして、障がい者をネタとすることそれ自体の是非について。

まず前者ですが、私は笑えません。

ネタが何のひねりもないからです。

動画を見ると、最初の戸惑いの後、意表を突いた演者とネタによる「笑い」はあったかもしれません。が、次第に周囲が「笑ってあげている」様子に微妙に変わっているように思います。

ネタが平板だから退屈になり、やがて演者が脳性まひの自虐コントという現実の重さに気付き、心から笑えなくなっているといった趣でしょうか。

見る者に笑いの部分で同情されたら、お笑い芸人としてはサイアクです。

そもそもそういう「同情」こそが、障がい者差別以外の何物でもないでしょう。

脳性マヒブラザーズの「お笑い」観を聞いたことはありませんが、笑いというのは「非日常」のふるまいや考え方に対して発生するものだと思います。では、脳性まひの人が「僕は違うよ。障がい者じゃないよ」と訴えているシーンがそれに該当するでしょうか。コントは「非日常」どころか、むしろ障がい者のリアルな願望がそのまま出てしまった悲しい日常に思えてなりません。だから心から笑えないのです。

では、障がい者ネタそのものの是非はどうでしょうか。

まあ、そういうのがお好みの人もいるのでしょうが、それ自体は価値観なので論評はしません。

ただし、その価値観を正当化するために「障がい者への理解」などという大義名分をふりかざす意見については一言しておきたいです。

そんなに理解したければ、障がい者福祉を勉強し、その現場を体験したらいいでしょう。「理解」というならそれが本質です。

デブだのチビだのブスだのという、いわゆる「肉体的欠陥」を笑うネタがあるのだから、障がいを笑うネタがあってもいいじゃないか、という意見もあります。

が、少なくとも私には、それらを同列におく価値観はありません。

障がいのある方には申し訳ありませんが、ざっくばらんに書きます。

スポンサードリンク↓

たしかにそうした「肉体的欠陥」は、「コンプレックス」につながったり、ときとして「世間の嘲笑」の対象になったりするのかもしれません。

しかし、障がい者であることは、それだけではすまず、社会的な圧迫や制約が客観的に存在する点が決定的に違います。

脳性マヒブラザーズを笑う人は、心のどこかで「デブネタやチビネタやブスネタを笑うように、障がいも笑ってやることで、自分は障がい者を対等に扱ってやっているのだ」などという傲慢な思いがあるのではないでしょうか。

善意に見てもいえることは、「笑ってやる」だけでは「理解」したことにはならないということです。本質の抜け落ちた「笑い」は、その人の意図や自覚がどうあれ、障がい者に対する蔑視となんら変わらないものではないでしょうか。

さらに、「障がい者」の苦悩は本人だけのものではありません。

好き好んでデブネタで笑いを取るデブを見てもそのデブしか見えませんが、障がい者には、背後でその人を支えている家族が私には見えてきます。

脳性マヒブラザーズの彼らがいつどのような経緯で脳性まひになり、こんにちを迎えているかはわかりませんが、脳の障がい者というのは、一部の高次脳機能障害を除くと半介助、もしくは全介助です。

家族はそういう障がい者をもった時点で、自分の時間はないのです。自分の生涯を介助に捧げざるを得ないのです。

お笑いというのは、自らのコンプレックスを逆にネタにする世界なのだと割り切り、あえてさらけ出すことで笑ってもらう本人はそれで満足かもしれません。

しかし、本人以外にその日々を共有する家族の気持ちはどうなのでしょうか。

原則として表現(ネタ)は自由であっていいと思います。ただ、わかる人だけわかればいいや、というようなノリで扱うものではないだろう、いくら自分たちが当事者であっても、という釘は刺したいですね。

では、ひとたび障がい者として生まれたら、お笑い芸人になる資格も権利もないのか。

もちろん、そんなことはありません。

だからこそ、冒頭で「2つ」に切り分けて論じたのです。

つまり、障がい者だから、健常者だからではなく、お笑い芸人としての資質(含むネタ作り)があるかどうかということについて公平であればいいと思うのです。

障がい者だからといって、障がい者ネタに限定する必要はないし、お笑い芸人の資質があれば、むしろそこにこだわらないネタにチャレンジできるはずです。

かりに禁断の障がい者ネタにするにしても、今回のようなものではなく、もっとひねったものを作り、演じられるはずです。

彼らが出てきたことで、今後、障がい者のお笑いの後続が出てくるかもしれませんが、それによってより高度なお笑いに進化する可能性はあります。それ自体は否定しません。というより障がい者の社会参加という視点でも今度こと誰にでも認められることでしょう。

その意味で、脳性マヒブラザーズの登場は、先駆者としての意義はあるかもしれません。

脳性麻痺の運動障害と支援―変形の理解とからだの安定のための指導

脳性麻痺の運動障害と支援―変形の理解とからだの安定のための指導

  • 作者: 北村 晋一
  • 出版社/メーカー: 群青社
  • 発売日: 2010/11
  • メディア: 単行本


nice!(307)  コメント(19)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

nice! 307

コメント 19

おっつぁん

障害者のご家族の気持ちはわかりませんけど、障がい者コント、やりたければやれば?でもできればそっとしておいてほしい。そんな感じなのかな。
by おっつぁん (2013-03-26 15:04) 

utamaroco

勇気とか開拓者精神がいい方向にいくといいわね。
でも障がい者ネタ云々以前に、つまんない芸人は
黙ってても淘汰されるのでは?
by utamaroco (2013-03-26 15:57) 

ponnta1351

申し訳ありませんが動画は痛々しくて最後まで見られませんでした。

どんな経緯でコントをやっているのか分りませんが、もしこのコントが受けるなら、疑問を感じますね。
今の世の中何でもありだから、と言ってちょっとこれは頂けません。
もし、障害者の余興で自分たちで練習したコントを努力の成果としてお仲間に発表と言う図なら良いですが、健常者に(この言葉も嫌ですね)見せるのは如何なものでしょうね?

TVはお笑の芸人(芸も無いのに)に席巻されてしまいました。ひな壇でゲラゲラ笑うだけなら誰でも出来そう。
by ponnta1351 (2013-03-26 17:10) 

亀仙人 タカヨシ

まぁ、障害者として。
『それ』自体をネタにお笑いに持って行くのには無理があると言う事と、自然に笑う事と、嘲笑される事は全く違う。
余りにも痛過ぎる。
笑いにも細かい質があると思うけど、これはいただけないですね。

by 亀仙人 タカヨシ (2013-03-26 17:41) 

亀仙人 タカヨシ

と言うか、ネタ的にどうかと。
コンビ名は兎も角として。
差別された上での起きた笑いは既に自然な笑いでは無いですよね。

連コメ失礼しました。<(_ _)>

by 亀仙人 タカヨシ (2013-03-26 17:45) 

昆野誠吾

最後まで視聴しましたが、最後の飄々とした
表情など所々面白いと思いました。
お笑いのセンスなどわかりませんので
彼らに素質があるのかはわかりません。
ただ、少なくとも私よりずっと芸人だし
堂々とステージしている姿を見て、イタイとか
気の毒なんて感情は微塵も湧きませんでした。
彼らには社会におけるハンデがあり誰かの介助が
必要かもしれないけれど、それでもなお社会に関わりたい、
自己を表現したい、そんな気持ちは当然ある筈です。
周りの理解を得るのも、何をどうやって伝えようか考えるのも
彼らが努力し結実するものと思います。
まぁ自虐ネタとしての脳性麻痺は、複雑な気分にさせる要素が盛りだくさんだと思いますけど・・・。
ミゼットプロレス(小人プロレス)と同じように彼らが
考えているかはわかりませんが、見る側が是非を問うのも
どうかなぁと思ったりしました。
ネタが面白くなければ、消えていくだけでしょうから^^;

by 昆野誠吾 (2013-03-26 17:56) 

chima

ホントにおもしろくて話題になるようだったら観ますけど
笑えるかどうかを確認しようとしてみるのは
もともとそれほどお笑いに興味がないのでやめておきます
普段見ないものを「わざわざ」観ると
観てあげてるって気持ちになっちゃいそうで
ちょっと抵抗が…
by chima (2013-03-26 18:36) 

サンダーソニア

障害を持っていることをネタにするのは本人たちの自由ですが
それだけではなく普通のネタを持つべきでしょうね。
ただ TV番組に出られるかどうかと言うと
スポンサー第一の業界では無理かと思います。


by サンダーソニア (2013-03-26 21:28) 

isoshijimi

いっぷくさんが書かれているように、その背景まで見た時に、かかわられている方も含めて、素で社会に普通に参画できるようになってほしいです。
ただ、何事にも先駆者があったりはしますので、最後のコメントで書かれている、一つの可能性の道筋として、希望があればです。
by isoshijimi (2013-03-26 22:33) 

繭

自虐コントってのはどうも・・・。
お笑いは健全なものでなくちゃイケマセン派、なので v(*'-^*)-☆
by 繭 (2013-03-26 22:53) 

レイコ

私個人は、これは笑っていいのだろうか?とまずはためらいますね。
その時点で、面白いか面白くないか以前に、すでにお笑いではないと思います。

by レイコ (2013-03-26 23:07) 

moto_mach

うーん
コメントしようかちょっと迷ったんですけど
やっぱり笑えませんよ~
by moto_mach (2013-03-26 23:44) 

nanamama

これは正直笑えませんね。
by nanamama (2013-03-27 00:59) 

pandan

私もちょっと笑えないです。
by pandan (2013-03-27 04:45) 

masakazoo

動画観てませんけれど、知って欲しいのだと感じます。
こんな病気があると言うことを。
そして、その病気を持つ自分達を疎外しないで欲しいと。
普通に話しても聞いてくれない、笑いがあれば少しは聞いてくれるに違いないと。
少しずつ違った表現法にトライし続ければ、違った独自の表現法に辿りつくかも知れない。
それまで、チャレンジだよ。
by masakazoo (2013-03-27 06:58) 

駅員3

全く同意件です。
障がい者の方も、様々な分野で活躍するのは、素晴らしい事だと思います。

しかしこのネタはいただけません。
これを見た小学生は、もし障がいを持っている同級生がいた場合、遊びの中で知らず知らずのうちに、同級生の意に反するような発言や行動を助長してしまう事も起きるのではないでしょうか!?
by 駅員3 (2013-03-27 10:26) 

やおかずみ

他人の体の特徴を笑ネタにする行為は、結局今問題と
なっている「いじめ」の根源になっているように思えます。
by やおかずみ (2013-03-27 10:42) 

アニ

これを「芸」として日本が受け入れられるかと言えば決して
そんなことは無いと思います。

私たちが白人と黒人を一緒に見たときに無意識的にどちらかを
差別してしまうように、この意識を変えるにはそうとうな時間が
かかると思いますし、まず日本にはそれは難しい様な
気がします。
by アニ (2013-03-27 12:37) 

さきしなのてるりん

記事を読み、動画を見るのがためらわれました。なので見ません。同じ病の彼が見て、笑うだろうかと考えます。苦笑いはするかもしれません。彼らの思いとは別に、たぶん、余計なことを考えてしまうでしょうね。自分たちを知ってほしいからというのであれば、彼らに必要なことはもっと違うネタを考えることかもしれない。
by さきしなのてるりん (2013-03-27 22:23) 

Facebook コメント

トラックバック 0

Copyright © 戦後史の激動 All Rights Reserved.
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます