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戦後史上のヒーロー、力道山の命日 [スポーツ]

戦後史上の先駆的スポーツ・格闘技ヒーローといえば、プロレスの力道山(元インターナショナルチャンピオン)と、ボクシングの白井義男(元世界フライ級チャンピオン)である。

力道山と白井義男は、敗戦国民を元気付けたと戦後史書の多くには書きとめられている。

戦後史上、とくに力道山は、街頭テレビの視聴者を釘付けにし、テレビの普及に一役買ったとも言われている。

もうプロレスファンですらもその活躍を知っている人の方が少ないと思うが、その力道山が亡くなってから今日で47年になる。そう、今日は命日なのだ。

といっても、あと2年で50回忌。つまり、力道山は社会的に「ご先祖様」になってしまう。その前に、改めて力道山と事件について振り返っておこう。

1963年12月8日午後11時10分ごろ、力道山は東京・赤坂のナイトクラブ「ニュー・ラテン・クォーター」で、住吉連合系暴力団の大日本興業組員に、「足を踏んだ」「いや、踏まぬ」のいざこざから登山ナイフで腹を刺された。

刺されたときは、力道山は自分で立ち上がり、ステージに立ってマイクを取り、「ここには暴漢がいます」と話したといわれる。

そして、自宅近くの大田区・大森山王病院へ搬送。一時は快方に向かっているとも報じられたが、1週間後の15日、腹膜炎から腸閉塞を併発。2度の手術の甲斐もなく死亡した。

刺されたときの傷の浅さから、力道山の死因についてはいろいろな説が取りざたされた。

たとえば、付添をしていたレスラーの桂浜(田中米太郎)の目を盗んで、何者かが力道山に水を飲ませた、サイダーを飲ませた、もしくは自ら飲んだ等の術後ショック説がある。

しかし、最期を看取ったのは桂浜ではなく平井光明(後のミツ・ヒライ)という話もあり、この説は「登場人物」からして怪しい。

力道山夫人の敬子さんは、『プロレスへの遺言状』(ユセフトルコ著、河出書房新社)に収録されているインタビューで、力道山は長年の闘いから体中ボロボロで、治療に耐えられない状態であったことを告白している。

そして、その後上梓された『夫・力道山の慟哭―没後40年 未亡人が初めて明かす衝撃秘話』(双葉社)では、ボロボロな体に文字通り致命的だった「医療ミス」があったと述べている。

「医療ミス」については、今となってはわからないが、「ボロボロな体」については、筆者は裏づけのヒアリングをしたことがある。

かつて、日本プロレス中継、全日本プロレス中継で解説をつとめた、元東京スポーツ記者の山田隆さんから、力道山について伺ったことがあるのだ。

「お客は力道山の空手チョップを見に来ていたわけですが、彼はちゃんとそれを知っていて、必ず一試合に一度は手刀を振り上げていましたよ。でも、晩年、体力が衰えてからは、ずいぶん辛そうでしたね。

当時、鈴木クンという秘書がいたんですが、彼の鞄の中には薬が何種類も入っていたようです。それでも、力道山は常に“お客さんはワシを見に来るんだ。頑張らなくちゃあな”と言っていました」

その薬が具体的に何であるかは山田隆さんも語っていない。

しかし、たとえ何であろうと、力道山が疲労や衰えをそれによって押さえ、必死になってコンディションを維持していたことだけは確かである。

それが命取りになったのだとしたら、まさに力道山は、プロレスに殉じた男というわけだ。

1990年頃、ターザン山本氏の活躍や女子プロレスの交流戦、四天王プロレスなどで空前のフィーバーが起こったが、そこにかげりが見えた10年前に、ミスター高橋のカミングアウト本が出たことで、以後は加速度をつけてプロレスは冬の時代に入ってしまった。

今や、プロレスをゴールデンタイムで放送する地上波はないし、プロレスに理解のない一部の人々からは、「プロレスなんてやっぱり真剣勝負ではなくてショーじゃないか」という見下した物言いがあるとも聞く。

しかし、「真剣勝負ではな」い「ショー」だから見下すという思考は、あまりにも単純というか、人間として、夢も情緒もないいささか無機質な感性といえなくないか。

「真剣勝負=真面目」「ショー=不真面目」というものでもあるまい。

鍛え抜かれた体や、技術自体は本物のレスラー達が、試合を通してそれぞれの見せ場を作って観る者に夢を与える芸術性は、「殺るか殺られるか」だけしかない「真剣勝負」では絶対に表現することはできないだろう。

いずれにしても力道山は、戦後史を語る上で欠くべからざる一人である。


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マユマユ

池上本門寺にお墓があります~
by マユマユ (2011-12-15 07:32) 

リキマルコ

なん十年も前からプロレスファンなのに… 命日知りませんでした(>_<)

教えてくださってありがとうございます(*^^*)

by リキマルコ (2011-12-15 17:20) 

まる

 こんばんは。
 昔はゴールデンタイムにプロレス中継をしていましたよね。
力道山は見たことがないのですが、その頃のことを
懐かしく思い出しました。
by まる (2011-12-16 00:04) 

いっぷく

>池上本門寺にお墓があります~
>by マユマユ (2011-12-15 07:32) さん
そうですね。地元なんですが、豆まき会には1度も行ったことがありません。

by いっぷく (2011-12-17 02:31) 

いっぷく

>なん十年も前からプロレスファンなのに… 命日知りませんでした(>_<)
>教えてくださってありがとうございます(*^^*)
>by リキマルコ (2011-12-15 17:20)さん
そうなんですか。どんな世界でもそうですが、昔の人(レスラー)のほうが個性があったですよね。
by いっぷく (2011-12-17 02:33) 

いっぷく

>こんばんは。
> 昔はゴールデンタイムにプロレス中継をしていましたよね。
>力道山は見たことがないのですが、その頃のことを
>懐かしく思い出しました。
>by まる (2011-12-16 00:04) さん
プロレスは視聴率的に優良コンテンツといわれていましたからね。
今のテレビ朝日なんか週に2回もプロレス中継していましたね。
by いっぷく (2011-12-17 02:35) 

昭和酔人

刺殺事件の頃は赤坂台町(現7丁目)
に住んでいたからねぇ。
by 昭和酔人 (2012-10-19 09:29) 

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