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看護師のガス抜きブログは許せることか、許せないことか [社会]

一介の若い看護師が、悪事で戦後史上(医学・医療)にその行動を残した。

国立病院機構九州がんセンターに勤務する20代前半の女性看護師が今年9月からブログを始め、10月下旬に「今日は大嫌いな患者のお部屋担当でした」「腹たってからわざとバシバシ何回も殴って血管じゃないところに(点滴を)ぶっさして失敗した」「死んでほしい」などと書き込んだ。

11月18日に、ブログを見た人からの問い合わせで発覚。本人は認めたが、「虚偽の内容を書き込んだ」と話しているという。

本当か嘘か詮索するまでもなく、現場の医療従事者がそんなことを書けば、とりわけ現在入院している患者やその家族がどのような気持ちがするか考えたことがあるのだろうか。

人間だから過ちはありえる。しかし、許せるかどうかは事と次第によるだろう。

戦後史上(医学・医療)の大事件としては、ちょうと今から9年前に、許されざる「安楽死」事件があった。

2002年12月4日、川崎協同病院に勤めていた女性医師が殺人の疑いで逮捕された。

医師は98年11月16日夜、気管支ぜんそくの発作で入院し、意識がなかった公害病患者の男性から呼吸を助ける気管内チューブを抜き、2種類の鎮静剤を投与。さらに筋弛緩剤を投与して呼吸筋弛緩で窒息死させた疑いである。

川崎協同病院は、四日市市と並ぶぜんそく多発地域の川崎市において、ぜんそく治療の基幹病院的存在だった。

報道によれば、主治医はその中でも名医としての誉れが高く、30人の入院患者と週に300人の外来患者を診ていたという。当然、主治医の動機に注目することになる。

一部には、同病院が民医連系であるということで、「政労医一体」を叫ぶネガティブキャンペーンに熱中している連中もいる。

だが、傲慢で鈍感な医師であったとしても、その原因を即「政労医一体」のせいにはできない。

この事件を取り上げる媒体の中には興味深いこんな指摘もあった。

「多くの死に立ち会った医師なら、患者の容体は瞬時に判断がつくから、今回は主治医がその判断能力を過信してしまったのではないか」というものだ。

「(主治医は)97年ごろからは、患者の入退院を決める会議を欠席するようになり、患者へのインフォームドコンセント(十分な説明と同意)の場に看護婦らを同席させなくなった。独断がエスカレートする一方で、“早くラクにさせてあげたい”といった“過剰な善意”が働いたのかもしれません」(「日刊ゲンダイ」12月7日付)

これが事実なら、治療方針をめぐる医師団の議論がきちんとなされないまま、主治医の独断による「過剰な善意」という(それが正しいかどうかは別として)ことになる。

とともに、当時の病院管理責任者の隠蔽体質も大きな問題である。

いずれにしても、単純な「医療ミス」や「政労医一体」ということでこの問題を結論づけたら、主治医の「独断」の根拠を見誤ることになりかねない。

改めて思うのは、科学(医学)にしてもそれを根拠にした技術にしても、けして科学者や技術者の独占物でも一代芸でもない、ということである。

国民は、それらの発見や利用といった取り扱いを彼らに委託しているに過ぎない。

彼らは、国民に対して対話的でない態度を取ってはならない。

事の大きさは違うかもしれないが、この喘息の名医とやらも、ガス抜きブログの看護師も、その意識が抜け落ちていたのではないか。


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