佐藤栄作訪米 1965,1,10
首相になった佐藤栄作は、日米の「パートナーシップ」の関係で三木武夫外務大臣らとさっそく訪米をした。そして、時のジョンソン大統領と会談し、沖縄返還問題、ベトナム問題、中国問題など、懸案の国際・外交問題を話し合う。
それと同時に、改めて日米安保体制の堅持を確認。重要な国際問題は両国の緊密な協議で決定することを約束した。
中教審「期待される人間像」を答申 1965,1,11
中央教育審議会では、「当面する日本人の課題」として、「正しい愛国心をもつこと」「象徴(天皇)に敬愛の念をもつこと」などだった。愛国心を強調するところに、教育の戦前回帰を懸念する声も強く出た。
そして、政府が国民の価値観や教育に干渉することが問題になった。
原水爆禁止日本国民会議(原水禁)発足 1965,2,1
63年、原水協で「部分核停条約」を大会方針に持ちだし意見が分かれた日本社会党・総評ブロックは、原水協を脱退して原水爆禁止国民会議(原水禁)を組織した。設立の経過からいっても、原水協に対抗する組織だった。
ベ平連デモ、 1965,4,24
2月7日、アメリカ政府は北ベトナム爆撃を開始した。これは事実上、本格的なベトナム戦争の始まりだった。これに対し日本の大衆レベルでは、「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」を設立。小田実ら文化人の指導による組織で、反組織・脱イデオロギーと、政党との接点を極端に避けた市民主義が「売り」だった。
これは小田実の「文化人」としての信念でもあった。市民団体が政党からの独立を目指すのは一定の理があるが、否定までしてしまうと政治機構や議会制民主主義の否定にもつながり、院外での運動に分裂を持ち込みかねない弱点を抱えるなど、限界と一定の有害な理念が含まれている、と市民運動に理解ある革新陣営の一部からは指摘された。しかし、平和を願う市民の善意や指導者の個人人気などから社会への一定の浸透はあった。
2010-09-19 08:00
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結果、現在のエゴ全開なクレーマーさん達が
闊歩する世の中になったのですね・・・
by レン (2010-09-19 17:52)