左右の綱引きが常に続いていた日本社会党だったが、「日本における社会主義への道」を綱領的文書として採択。江田三郎の唱えた構造改革論を否定して、階級政党の色合いの強い政党になった。
その中身は
- 社会主義革命の必然性
- 社会主義体制、民族独立解放闘争の前進と資本主義諸国の矛盾の蓄積によって、資本主義体制は社会主義体制に道を譲らざるを得ない段階に来ている。
- 日本資本主義の性格
- 日本資本主義は国家独占資本主義である。資本主義の基本的矛盾は最高度に発展しており、社会主義革命の前夜にある。
- 福祉国家批判
- 社会主義の原則と基本目標
- 日本革命の性格と日本社会党の任務
- 過渡的政権
- 外交路線と国際連帯
などであった。
日本社会党が日本共産党とともに長年に渡って革新といわれているのは、ここで反独占・非同盟中立・非武装をを唱えているからである。
だが、やはり党内の様々な勢力に配慮しているため、表現には曖昧なところも多い。
ただ、そうした曖昧さが、逆に「自由民主党は嫌だけど日本共産党には行ききれない」という中間層を幅広く取り込んで野党第一党に君臨できた理由にもなっている。
1955年左右社会党合同時決定の綱領は折衷的なものだったため、党内左派の不満は強かった。民社党分離により左派の影響力が強まったことと、構造改革論争など路線問題整理の必要から、1962年1 月開催の第21回定期大会で鈴木茂三郎を委員長、勝間田清一を事務局長として理論委員会の設置が決定された。「日本における社会主義への道」はその報告で、党大会での承認を受けたことにより、実質的に綱領に代わる文書として扱われた。第一部・日本の現状、第二部・社会主義運動の実践理論の二部からなるが、第一部は事実上は第二部の調査研究資料で、社会党内で討論・学習の対象となることはほとんどなく、一般には第二部が「日本における社会主義への道」とされてきた。第一部は1964 年2月開催の第23回大会で承認、第二部は1964年12月開催の第24回党大会で承認、1966年1 月開催の第27回党大会で修正補強された。
2010-09-18 08:00
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