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池田勇人総裁3選 [戦後史]

日本、IMF8条国に移行 1964,4,1

「国際通貨基金(IMF)8条国」とは、国際収支の悪化を理由に為替制限を行うことが許されない。通貨の交換性を保障しなければならないということだ。

28日にはOECD(経済協力開発機構)の加盟も決定。これらは、日本が戦後の経済成長で一定の生産力と経済的認知を得たことを意味する。同年9月7日には、IMF、世界銀行などの合同年次総会が102か国の参加の中、東京で開かれている。

農地報償 1964,6,11

戦後の農地改革で、農地を国に買い上げられた地主に対する報償の問題である。もともとは旧地主の要請から国会に上程されたものだが、野党が反発し、成立は65年になる。報償総額は1456億円だった。

池田勇人総裁3選 7,10

自由民主党の総裁選は、池田勇人と佐藤栄作の争いが頂点に達したものになった。

佐藤栄作は、福田赳夫率いる福田派、石井光次郎率いる石井派と組み、対する池田勇人は河野一郎の河野派、大野伴睦の大野派、川島正次郎の川島派、三木武夫と松村謙三の三木派など5派と組んで対決した。

様々な戦術の中で大野や三木が佐藤に切り崩されるなどして、結果は池田勇人が僅少差で3選をはたした。

党三役は留任した。幹事長を任命されたのは同じ池田派の前尾繁三郎、のちに大平正芳総理のときに衆議院議長を務めた。総務会長は藤山愛一郎(藤山派)、政策審議会長は三木武夫(三木・松村派)になった。

副総裁を務めた大野伴睦(大野派)は、亡くなったが後任の副総裁はおかなかった。

自由民主党の派閥争いの特徴は、政策派閥ではなく人的なつながりのグループなので、そのときどきの政局や利害で敵味方が変わってしまうことである。

この時もそれがいえた。また派閥の離合集散も激しかった。
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たくや

ご訪問とnice!ありがとうございます。
by たくや (2010-09-15 09:28) 

通行人

何処から引用したのか分かりませんが、池田三選の後の人事が間違いだらけです。
党三役 幹事長  三木武夫(三木・松村派)
     総務会長 中村梅吉(河野派)
     政調会長 周東英雄(池田派)

副総裁には5月に亡くなった大野伴睦に代わって、川島正次郎が新たに就任しています。

前尾繁三郎が衆院議長を務めたのは、田中内閣から三木内閣にかけての話です。
by 通行人 (2010-09-20 01:03) 

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