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佐藤栄作、総理・総裁に就任 [戦後史]

東海道新幹線開業 1964,10,1

都市化された太平洋岸の交通網整備、東京オリンピックなどを念頭において足掛け6年に渡って工事を続けられた新幹線(東京ー大阪)が完成。総工費3千800億だった。

最高時速は当時で210キロ。従来よりも3時間40分短縮された3時間10分で開通。日帰りが可能になった。

東京オリンピック開催 1964,10,10

オリンピックも18回を重ね、94カ国の参加の中で東京で開催された。以前も東京開催が決まったことがあったが戦争で中止になり、事実上初めて選ばれたアジアの開催地である。金メダルは16をとり、体操や女子バレーボールがお茶の間をワクワクさせた。

第1次佐藤内閣成立 1964,11,9

総裁選には勝ち抜いた池田勇人だったが、喉の不調を訴え、病理検査の結果、喉のがんであることがわかった。だが、世間には「前癌状態」と発表された。

そして、オリンピック開催の3日後に池田勇人総理・総裁が辞任表明。

「私は首相としての重責にかんがみ、総裁と首相の地位を辞任することを決意し、ただいま党首脳に円満かつすみやかに後継者を選考するよう依頼しました」

池田勇人は「寛容と忍耐」がモットーだったが、反対勢力に対して露骨に反動化を押し通すのではなく、巧みにアメを使って懐柔していく点ではモットー通りの政治家だったといえる。

11月の9日には自由民主党議員総会で池田自身の裁断で佐藤栄作を総裁に選んだ。そしてこの日の第47臨時国会の開会と同時に首相に指名される。

全閣僚が留任だった。スローガンは「寛容と調和」。佐藤栄作は沖縄返還や日韓正常化などを当面の課題として掲げた。

今回の民主党代表選挙と重なるところがあるのではないだろうか。

内部で血で血を洗うような対決。どっちが勝っても、国会は動かず、結局順送りで敗者にもお鉢がまわる。

権力抗争って何だろうと考えさせられる。
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