SSブログ

日本社会党がまたしても分裂 [戦後史]

自由民主党7役会議 岸首相決意表明 1959,9,8

自由民主党は、財界擁護、アメリカ追従、戦前の軍国主義的タカ派という本来は矛盾する特徴をもった政党といわれた。

その一番最後の傾向を最も強く持っていたのが元戦犯の岸信介だった。岸信介は、安保条約に賛成ではなかった。だがそれは革新陣営の根拠とは全く違った。「片務条約」ではなく日本が憲法を改正して真に独立した軍事国家になり、日米間の相互防衛を対等に行う考えだった。

だから安保条約は「双務条約」にするのが岸信介の首相としての悲願だった。だから岸信介は「改定安保条約は通常国会後なるべく早い機会に提出」と決意。この7役会議でそれを要請したのである。

日本社会党第16回大会 1959,9,16

12日から、党大会が開かれた社会党では大きな問題が起こっていた。右派の西尾末広が左派との対立を抜き差しならないものにしていたのである。その根拠はくだんの安保改定問題。西尾は国民会議を公然と批判する立場をとった。

西尾はこの日、再建同志会の結成を決めた。これは明らかに分裂・新党結成を目指すものだった。新党の性格は、反共・右翼的社会民主主義であった。こうして西尾ら33名の議員はこの日日本社会党を離党し、翌年1月には民主社会党を結成する。

沖縄自由民主党結成 1959,10,5

復帰前の沖縄だったが、革新色の強い土地柄のためにここでも「保守合同」が行われた。民主党、無所属クラブの新政会、他の保守グループによるものである。

だが、それでも過半数は上回らなかった。
nice!(12)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 12

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

Copyright © 戦後史の激動 All Rights Reserved.
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます