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【激動の戦後史】バカヤロー解散 [戦後史]

◆1953/02/28 バカヤロー解散

年が明け53年。鳩山派の石橋湛山、改進党の三木武夫などが吉田内閣打倒を宣言し、吉田茂内閣への風当たりは強くなっていった。

そんな時、第15特別国会・衆議院予算委員会一般質問で、とんでもない失言事件が起こる。

右派社会党・西村栄一の質問中、吉田茂は「無礼じゃないか」と劇高し、自席に戻る際「バカヤロー」と発言。西村はそれを「国民の代表に対してバカヤローとは何事だ!! これを取り消さない限りは、私はお聞きしない」と重く見て抗議。吉田は発言を取り消し、西村も了承したものの、改進党・左右両派社会党は、翌月2日に首相懲罰動議を提出した。この時は広川弘禅派の議員が欠席。予想通り鳩山派(民主化同盟)が欠席。懲罰動議は可決した。

次いで吉田内閣不信任案も提出され、229対218で可決。憲政史上初の特別国会中の解散が決まった。

なお選挙時には、広川派が3月16日に分党を決定し、鳩山派に合流。鳩山派も自由党を名乗って2日後に鳩山自由党総会を開いている(鳩山一郎総裁)。

こうして第26回衆議院議員総選挙へ事態は進むのであった。

戦後史上、解散は何度かあるが、「パカヤロー解散」とマンガのような命名をされたのはこの時だけである。

吉田茂は、裏切った(僧籍のある)広川弘禅について「三代祟る」とコメントしたり、コートを着たままの演説を「これが本当のガイトー演説だ」とうそぶいたりなど、ある種のユーモアがあったが、「バカヤロー解散」という命名は、そのしっぺ返しという見方も出来る。
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