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【激動の戦後史】池田勇人辞任 [戦後史]

◆1952/11/28 池田勇人辞任

保守の分裂した中でスタートした吉田茂内閣(第4次)。戦争特需の頭打ちによる経済問題が最大のテーマだった。

秋闘では、人員整理に反対する総評の炭労・電産のストライキ、政府のスト規制法に対する総評のストライキなどがあり、自由党は混迷した。

その中で当時の通産大臣池田勇人は、日本社会党・加藤勘十の質問に「正常な経済原則によらぬことをやっている方がおられた場合において、それが倒産して、また倒産から思い余って自殺するようなことがあっても、お気の毒でございますが、止むを得ないということははっきり申し上げます」と答弁。

野党はこれを中小企業に対する本音とし、「中小企業を倒産させてよいのか」と共同で不信任案を提出。翌日の新聞も「中小企業の5人や10人自殺してもやむを得ない」と報道した。

不信任案は本来なら通らないものだったが、おりから吉田茂に反発していた自由党鳩山派が本会議に欠席して不信任案が通過。池田勇人は翌日辞職した。

池田はその前にも「ヤミ取引をやっている中小企業の2人や3人、倒産してもかまわない」「金のない貧乏人は米を食べずに麦を食べればよい」といった失言歴がある。

そのすべてが悪意に満ちたものとは必ずしもいえないものの、政治家、とりわけ大臣としての発言としてはやはり言ってはならぬことである。

戦後史上初めての不信任案可決でもあることから、失言大臣のレッテルを貼られても仕方のないやめ方だったが、さすがに、後の某首相のように「天の声にも変な声もたまにはある」とは言わなかった。
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まこ爺

昔の政治家は国の為に命を張っていたような気がしますが、今は何というか・・・・株取り引きをしているような感じで政治してません??
by まこ爺 (2010-07-29 11:48) 

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