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破防法関連3法案(鳩山一郎政界復帰の52年) [戦後史]

◆1952/04/14 破防法関連3法案

「講和」条約発効にあたって、政府は占領か時代の治安の引き締め(抑圧)にかわるものを制定しようと考え、労働基準法など労働法規の改悪、団体等規制令にかわる破壊活動防止法(破防法)の制定を狙った。

破防法とは「暴力主義的破壊活動」をすると認められた団体を解散させたり、機関誌の発行を停止させたり、役員の公職につく権利を奪うことなどができるものである。

原案を提出したのは第3次吉田内閣第3次改造内閣。4月17日に衆議院本会議で趣旨説明が行われた。

「暴力主義」の認定がきわめてあいまいなものであることから、国民は戦前の治安維持法の再現を恐れて猛反発。総評や中立系労組は波状的なストライキを決行し、日本新聞協会、日本ペンクラブ、日本文芸家協会、婦人団体、日本学術会議などが反対声明を出した。

そんな中で、かつての下山・三鷹・松川事件を思い起こすような、奇怪な事件も続出した。

1月には札幌で白鳥警部射殺事件、2月には青梅で列車暴走事件、5月のメーデー事件(後述)、6月の大分県菅生の交番爆破事件、大阪・吹田の反戦デモと警官隊の衝突事件、7月は名古屋のデモ隊と警官隊の衝突事件などがそうである。

6月の事件では、現職の警官が上司の命令で日本共産党員を装い、交番に爆弾をしかけたことが裁判で立証された。また他の事件でもレッドパージ同様に、事件とは直接関わりのない日本共産党員や労働者、農民などが逮捕された。こうした謀略的な事件の続出にも関わらず、国民の反対闘争は粘り強く続けられた。

結局、破防法自体は7月3日に参議院本会議で、7月4日に衆議院本会議で修正された案が可決成立したが、広範な国民を結集した反対闘争の高まりによって、破防法を容易に発効できない制限が与えられたことから、あのオウム真理教も含めて、現在まで規制が適用されたことはない。
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