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改進党結成(鳩山一郎政界復帰の52年) [戦後史]

◆1952/02/08 改進党結成

戦後の一大課題だった「講和」後、とにかく新しい時代に向けて政界刷新を、という大儀によって、とりわけ社会党の分裂から「野党」の結成の機運が高まった。

そこで、昭和電工疑獄で失脚していた芦田均が復活して戦犯の重光葵をかつぎだし、国民民主党を中心に、農民協同党、新政クラブ、第一クラブ、緑風会の有志が「反自由党」を旗印に新党樹立の合意をみた。

それが改進党である。

スタンスとしては保守・中道政党で、政策的には修正資本主義、協同主義や自主外交を掲げた。

そのため、農協党が綱領に「協同社会主義」入れることを求めると、それがもとで路線問題で難航。結局結成はされたものの、緑風会が不参加、参議院民主党も分裂し、総裁空席(幹事長・三木武夫、中央常任委員会議長・松村謙三)という異常な事態でスタートせざるを得なかった。

政党の結成は野合ではなく、理念の一致が必要であることを明らかにする出来事だった。
吉田茂の自由党を中心とする戦後体制に反対するという点以外に共通点は乏しく、重光・大麻らの改憲派と三木・松村の護憲派の対立に代表されるように様々な内部対立を抱えていた。そのため路線は揺れ動き、鳩山一郎らのグループとの連携を試みるも首班候補を巡って決裂し、第5次吉田内閣で閣外協力の協定を結んで合同計画が持ち上がるも造船疑獄が起きると一転して反吉田に転じるということも起きた。 1954 年(昭和29年)、自由党を離脱した鳩山一郎らのグループと日本民主党を結成した。(wikiより)

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