『ザ・ガードマン 東京警備指令』宇津井健、藤巻潤、中条静夫 [懐かし映画・ドラマ]
『ザ・ガードマン 東京警備指令 1965年版 VOL.1』(1965年4月9日~1971年12月24日、大映テレビ室→大映テレビ/TBS)を観ました。男性集団による、悪人に立ち向かうアクションドラマです。というと、刑事ドラマと勘違いしてしまうのですが、ドラマのモデルは、日本初の警備会社・日本警備保障(セコム)です。(画像は『ザ・ガードマン 東京警備指令 1965年版 VOL.1』より)
実在する民間企業がモデルで、警察ではないのに事件の犯人と対決させるというのは、ストーリーの作り方が難しかったと思います。
たとえば、このブログでも書いた、昭和の女性アクションドラマ『プレイガール』は、国際秘密保険調査員という、現実にはない肩書でしたから、描き方はかなり自由でした。
そもそも、生命保険会社が保険金詐欺の疑いのある事件を、極秘に調査依頼する裏社会稼業です。
登場人物には拳銃をもたせ、いざとなったらそれを撃てばいいのです。
しかし、実在する警備会社の人たちの話に、それは使えません。
しかも、個々の警備隊員は、日本警備保障のイメージダウンになるようなふるまいがあってはなりません。
そこで、三原チーフ(清水将夫)をはじめとして、高倉隊長(宇津井健)、吉田隊員(稲葉義男)、清水隊員(藤巻潤)、荒木隊員(川津祐介)、杉井隊員(倉石功)、小森隊員(中条静夫)たちは、制服を着る特別な業務でない限りスーツを着用。きちんと敬語を使いまじめに業務をこなします。
ドラマの展開も、嘘ばかりつく犯人に何度も騙されながらも、絶対にそれと同じレベルでやりあうのではなく、愚直に犯人を繰り返し説得し、体を張って事態の収拾につとめます。
途中からは、警視庁の警部だった榊隊員(神山繁)も合流。
しかし、元警部のエリートであろうが、見習い隊員からスタートさせます。
こうした、正義の塊のようなドラマでしたが、では警備隊員の日々をドキュメンタリータッチで描いているのかといえば、そんなことはありません。
きちんとしているのは、飽くまでも登場する隊員たちのキャラクターであり、ストーリーは、その後の大映ドラマの萌芽といえるような、劇画チックなものもずいぶんありました。
たとえば、今ぐらいの季節になると、必ず幽霊が出てくる話になります。
『ザ・ガードマン 東京警備指令』の作り方は、ストーリーも含めて、その後の刑事ドラマなど集団ヒーローものに多大な影響を与えて模倣されています。
集団ヒーロー制は、隊員のうち誰か1人か2人をその回の主役にして撮影することで、他の俳優は休ませ、ドラマの最後に全員が集まるシーンだけ、たとえば隔週に1日でまとめて撮るのです。
それによって、毎週時間を取れない売れっ子俳優がいても、いつも全員が出演できるわけです。
病身にあった石原裕次郎が、『太陽にほえろ!』に毎週出演出来たのは、そうした撮影方法が定着していたからだと思います。
まじめに生きてた甲斐がある
ドラマを見ると、当時の映画俳優としての格付けや会社の期待度がわかります。
たとえば、今回の第2話「黒い微笑」という話では、中条静夫が犯人側に騙されて仕事をしくじります。
いつも無謬無敵ではおもしろくないので、ドラマの展開上、これは必要なのですが、かといって中心メンバーの宇津井健にその役はさせられません。
そこで、大映の大部屋から抜擢された、当時の俳優の格としてはもっとも後景にある中条静夫が、その役回りというわけです。
昭和のプロレスと似ています。
強い外人が来ると、まず日本陣営の中堅が負けて、その外人の価値を上げてから、最後にジャイアント馬場が勝つのです。
つまり、中条静夫は、その回の悪役を手強く見せる負け役というわけです。
そして、大映の注目株だった藤巻潤は、真面目だけれど、上の言いなりではなく自分の意志をもつ役どころに設定され、稲葉義男とやりあうシーンもあります。
一方、おなじ大映の若手でも、これから売り出す倉石功には、若さゆえの失敗をさせます。
これは、中条静夫のしくじりとは違い、若手を目立たせるエピソードです。
しかし、このドラマの放送中に、大映は倒産。
20年たち、この頃のメンバーが再び集ってCMに出演しましたが、最後に商品名を言うのは、宇津井健ではなく、当時の「負け役」ながらテレビ時代になって頭角を現した中条静夫でした。
人生大逆転、本人、してやったり、の心境だったでしょうね。
『渡る世間は鬼ばかりSP2』より
このCMはYoutubeにあります。
そんなことを思いながら観ました。
昭和の名作です。現在でも十分楽しめます。
ぜひ1度ご覧になってください。
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