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『後半生のこころの事典』年代ごとのライフイベントと心の準備 [生活]

高齢者

『後半生のこころの事典』(佐藤眞一著、CCCメディアハウス)を読みました。人生の後半には、退職、親の衰え、そして自分の老化などを経験します。それらは、加齢によって初めて経験することばかりですが、そんなときに慌てないよう、年代ごとに様々なライフイベントを枚挙して、これはこういうことなんだからこんなふうに対処しましょう、考えましょうと説いています。



『後半生のこころの事典』は、章を大きく4つに分け、第1章を60代、第2章を70代、第3章を80代、4章を90代についてまとめています。

「60代」は、「自分の『本義』を見つけ、実践する年代」、「70代」は、他者のサポートを受け入れ、世代継承性を考える年代、「80代」は、喪失を乗り越え、新たな未来展望を持つ年代、「90代以降」は、知的好奇心を持ち続け、内在的生活圏を深める年代としています。

具体的なイベントとしては、定年退職・再就職、地域活動への参加、親の死、配偶者または自分の大病、老化の進行(以上60代)、

仕事からの引退、地域活動からの引退、孫への援助(以上70代)などがあるといいます。

そして、それらについて、コレコレこんなふうに受け止めましょう、と解説されているのです。

人生はいろいろなので、その年代にそのライフイベントがあるとは限りませんが、書籍のタイトルは「事典」ですから、平均的にあり得ることを挙げているということだと思います。

昨日の『戦力外通告』でも触れた、夫の退職後の、夫婦の心のすれ違いは同書にも書かれています。

なお、同書は「立ち読み」ができます。

https://books.google.co.jp/books?id=fOAsCAAAQBAJ&pg=PT65&lpg=PT65&dq=%E5%BE%8C%E5%8D%8A%E7%94%9F%E8%A8%98%E3%80%80%E4%BA%8B%E5%85%B8&source=bl&ots=_SbSXCDGLi&sig=QzxxJHrOZo9l-7e-T53UG0PRb2I&hl=ja&sa=X&ved=0CCkQ6AEwAmoVChMI24Cx_-PpxgIVgqKUCh3lFw59#v=onepage&q=%E5%BE%8C%E5%8D%8A%E7%94%9F%E8%A8%98%E3%80%80%E4%BA%8B%E5%85%B8&f=false

興味のある方はご覧になってください。

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大事なのはその人が現実と向き合えること


Amazonのレビューを見ると、賛否両論あり、賛が優勢かな。

ただ、書かれているような悩みのない世代や環境の人には、「勉強になりました」という評価が多いのですが、切実な立場の人からは、いささか物足りない感想が出ている印象があります。

私もどちらかというと後者です。

事典としての枚挙はいいのですが、その解説に少し異論があります。

たとえば、同書では、60代になって親の死に目に初めて向かうことになっているのですが、いくら平均寿命が延びた現代でも、それはかなり「ほしのもと」が恵まれた人です。

2人いる親、そして結婚すれば配偶者の親も含めて最多で4人。60代になるまで1人も亡くならない確率のほうが少ないんじゃないでしょうか。

認知症にしても、認知症になったと知るとその人は弱気になるので、必ずしも診察や検査がいいとはいえないというようなことも書かれています。

が、ほんとうに困るのは、「弱気になる」人ではなく、診察しようが自覚症状があろうが、「私に限ってそんなことはない」と、自分の現実と向き合わない人だと私は思いますから、同書は例の出し方もお上品にまとめられるものだけを並べている気がします。

いちばん異なるところは、60代で大病をしても、「病気になってよかった」と認知を変えたら行動が変わるという話。こういう薄っぺらいポジティブシンキングは少なくとも私には説得力ゼロです。

命を脅かす大病になって、「よかった」もハチノアタマもあるかぃ!って思いませんか。

もちろん、予想だにしなかったようなどん底に落ちることで、今まで見えなかったものが見えてくるということはあります。

私も火災で無一文になったので、それはわかります。

でも、そこで見えてくる「よかった」と、その前提となる大きな不幸とは次元も大きさも全く違いますよね。

以前、このブログでは、金城基泰元投手(広島、南海、巨人)について書いたことがあります。

金城基泰、事故からカムバックした広島東洋カープのアンダースロー

金城基泰
Google検索画面より

プロ入り5年目で20勝をあげた年に交通事故。以来、特殊なコンタクトレンズをはめてカムバックはしたものの、全盛時の速球は戻りませんでした。

そんな彼が、「事故がなければ」という質問についてこう振り返っています。
「……さあ、どうでしょう。もっと勝ち星は上げたでしょうが、現役はもっと短いものだったようにも思いますね。生意気のまま終わったかもしれない。……もちろん、事故なんてなければ良かったわけだけど、だれが悪いんでもないんです。それに、ああいうことがあったから、なにかちらっとね、ちらっとだけど大事なことを知ったといいますか、そんな風に思うことはありますよね」
すごく複雑な胸中を端的に表現していますよね。

つまり、事故を経験して「よかった」ことなんて、「ちらっと」という程度で、やっぱり、「事故なんてなければ良かった」という思いが全体にある。

これはあったりまえのことですよ。

物事にもよりますが、掛け値なしの不幸のどん底に落ちた時、人間は自分を、ポジティブシンキングや宗教で救うことはむずかしいだろうと私は思うのです。

なんか批判的なことを書いてしまいましたが、多くの庶民は、リストラとか、親の介護とか、病気とか、夫婦や親子の不和とか、何かしら抱えていて、客観的に見ても、決して幸福ではない人が多いと思います。

不幸なライフイベントは誰にとっても決してありがたくない。

でもそれが現実なんです。そんなときは……

「生きるって切ないね」「でも、(人生)所詮そんなものでしょ。だから負けないで生きていこうよ」

最後はそうやって悟って現実と向き合い、前に進むしかありません。

そこに行き着く道順として、泣こうがボヤこうが、人間なんだから回り道はあっていいと思います。

私自身の人生は、書籍に書かれている“無難な”例より幸福ではないらしいので、同書の解説を「ぬるい」と思いましたが、ライフイベントの事典としては役に立つことも多々あると思います。

後半生のこころの事典

後半生のこころの事典

  • 作者: 佐藤眞一
  • 出版社/メーカー: CCCメディアハウス
  • 発売日: 2015/04/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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