大村政男氏を偲ぶ、80歳初孫を喜んだ血液型性格判断批判心理学者 [(擬似)科学]
大村政男氏が亡くなったことを、ご夫人から欠礼のお手紙をいただき知りました。大村政男氏は、巷間に根強く浸透している、血液型性格判断に批判的立場を取り、野球選手や芸能人など実際に統計をとって反証した心理学者です。現役の大学教授時代から大橋巨泉事務所と契約し、タレント文化人としても活躍しました。
血液型というのは、血液中に4通りある赤血球の抗原タイプをあらわしたものです。
血液型は骨髄移植でも変わるし、近年ではアメリカ・ハーバード大などの国際研究チームが、AとB、AB型の赤血球を、O型の赤血球に変えることのできる酵素を開発したというニュースもあります。
つまり、あくまで医学的に意味のあるもので、類型学とは何の関係もありません。
こんにちも続く「血液型と性格信仰」を作ったのは、1970代後半から80年代に大量に啓蒙書を上梓した、能見正比古・能見俊賢氏父子や鈴木芳正氏ですが、彼らはそれを占いではなく、「人間学」だと言い張りました。
しかし、彼らが、医学界や心理学会に、論文を発表したという話は聞いたことがありません。
では、その「人間学」なるものは、具体的にどういうものかといいますと、
たとえば、能見正比古・能見俊賢父子は、衆議院議員、スポーツ選手、タレントなど有名人の血液型分布を例に挙げ、「政治家には×型が多いから×型は政治家タイプ」「△型は大器晩成だから、プロ野球の新人王は△型が少ない」「×型のキャスターAと△型の女優Bが破局したのは、×型の几帳面さと△型の自由奔放さが災いした」などと「考察」しました。
統計を用いたもっともらしさとともに、テレビなどのメディアで、顔やキャラクターが知られている有名人を例に出すことで、何となく当たっているような気にさせる効果を狙ったわけです。
それは、統計学的にも医学的にも心理学的にも、何ら新事実足り得ない「疑似科学」なのですが、ただコバカにするのではなく、心理学者として真っ向から反証したのが、大村政男氏だったのです。
Google検索画面より
大村政男氏は、血液型性格判断を信じてしまう心のメカニズムを、「FBI効果」と名づけました。
F=フリーサイズ(解釈が自在、ちょっとくらいなら誰でも持っていそうな「当たっていなくもない」特徴を聞かされるうち、あたっているような気になる)
B=ラベリング(レッテル貼り、いったん「この人はB型だから××なんだ」と思ってしまうとすべてを「B型だから」「B型なのに」と、血液型ありきのものの見方をするようになる)
I=インプリンティング(刷り込み、「この人はB型だ」と知ってしまうと「この人はB型でおおらかだ」とすり込まれ、それだけでその人を評価しようという考えが固まってしまう)
要するに、曖昧さと思い込みの合作ということでしょうか。
衆議院議員にしろ、スポーツ選手にしろ、タレントにしろ、いつも同じ顔ぶれというわけではありません。
1度だけ統計を取り、×型が多いから、×型はその職業に適性がある、ということにはなりません。
たまたまその時多かった、というだけでしょう。
大村政男氏が何年かおきに何度かデータをとり直すと、いずれも偏る血液型は違っていました。
要するに、何型なら何の職業が多い、という統計的に有意な偏りはありませんでした。
私ごときを「先生」と呼ぶ血液型性格判断批判の第一人者
大村政男氏が、血液型性格判断に関わるようになったのは、卒論を指導していた女子学生が、血液型性格判断をテーマにしたいと言ったことがきっかけと聞いています。
卒論指導のためには、自分も知っておこうと研究するようになったそうです。
その女性は、やがて今はなきプロ野球球団、近鉄ブァッファローズの谷真一内野手と結婚した方です。
普通、学生の論文テーマ、しかもこういっちゃなんですが、「たかが」血液型性格判断に、いちいち学者が本気になる必要はないのですが、大村政男氏は、そういうつまらないメンツはなく、そこは学者としての探究心で取り組んだのです。
私は以前、その大村政男氏を取材したことがあったのですが、大村政男氏が鑑別所で鑑別技官をされていた時の同僚が、やはり後に大学の教授になり、その指導学生の一人が私の妹だったので、「世間は狭いですねえ」ということになって親しくさせていただきました。
その後、私は大村政男氏からたくさんの血液型関連の資料をいただき、そのままではもったいないと思い、一冊の本にまとめました。20年前のことです。
「血液型と性格に関連性なし」18年前の上梓と騒動を思い出す
以来、血液型性格判断を肯定する人々は、自著で私を名指しして、「大村の弟子」「大村一派」などと形容して中傷に熱中していました。
弟子ではないんですけどね。
一方、大村政男氏は、親子ほど歳の離れている私ごときを「先生」と呼んで、立ててくれました。
普通、自分の資料を使って本を出したら、「原作料よこせ」とはいわないまでも、誰のおかげで本が書けるほど資料が揃ったと思ってるんだ、と大きい顔されて当然なんですけどね。
大村政男氏は、80歳過ぎてからお孫さんができて、大変嬉しそうでした。
私は、大村政男氏と知り合った頃は30を大きく過ぎても独身で、心のどこかに将来に対する不安があったのですが(今もそうですが)、80歳過ぎてから初孫という話を聞き、「人生年齢で勝手に絶望してはダメだな」と思い直したものです。
毎年、年賀状には、お孫さんと旅行に行く写真が載っていて、「大村さん、達者だなあ、楽しそうだなあ」と思っていたので、訃報は正直びっくりしました。
亡くなったのは10月末だそうですが、川崎敬三や原節子のように、葬儀は密葬で、欠礼の知らせで亡くなったことを知らせるパターンです。
何度も書いていますが、私は派手な葬式否定論者なので、これも共鳴できました。
大村政男先生の、生前のご遺徳をお偲び申し上げます。
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