佐藤道郎氏(元南海→大洋投手)の誕生日が5月5日ですが、Web掲示板では、佐藤道郎投手の南海時代の指揮官だった野村克也氏が話題になっています。野村克也氏の新刊書籍が、半年に1度の割合で何年も出版され続けている人気の理由はどこにあるのか、という話です。(上の画像はGoogle検索画面より)
佐藤道郎は、ドラフト1位でありながら、新人の年からリリーフ専任。
新人王、最優秀防御率、最高勝率、最多セーブなどの賞をとっています。
Yahoo!検索画面より
これは、当時異色でした。
昭和のプロ野球は、先発完投が原則。
打たれないかぎり交代はなく、リリーフ投手は「次善の策」としての起用。
リリーフは先発投手より落ちる「補欠」の扱いでした。
先発投手がリリーフも兼ねたり、逆に力のあるリリーフ投手も先発に回ったりしていましたから、少なくとも、チームで一番信頼できる投手が「抑え専門」という使い方はありませんでした。
では、佐藤道郎が「次善の策」程度の投手だったかというとそんなことはなく、上記のようにいくつもの賞をとっていることで、むしろチーム投手陣の中でももっとも信頼が置ける投手でした。
ではなぜ先発ではなかったのか。
佐藤道郎のリリーフ配置は、近代野球を試合終盤の投手力が決め手、と考えリリーフ投手に価値を見出した、当時の
野村克也監督の慧眼だったと思います。
当時のリリーフは、現在のように、クローザー・セットアッパー・ワンポイントなどと、役割分担が細分化されていた時代ではありません。
イニングまたぎは当たり前。いったん登板した以上は最後まで引き受けるという真のリリーバーでした。
佐藤道郎は、南海時代のリリーフ投手専任だった7シーズン中、何と6シーズンで規定投球回数を投げるという健腕ぶり。
今の投手なんか、通年でローテーションに入っていても、規定投球回数に満たない過保護ピッチャーなんかたくさんいるでしょう。
昨今のクローザーも、勝ち試合に1イニング限定で登板。
セーブがつかない場面では温存する一方で、数字を作るためだけに投げさせ、30~40セーブを「効率よく」記録しています。
しかし、そんな過保護の記録に何の意味があるのでしょうか。
昭和のプロ野球は、佐藤道郎も含めて、最多セーブと言っても、10~20台での受賞でした。
それは、本当にリリーフの力が必要なときに、何イニングでも投げて試合を支えるという真のリリーバーとしての記録だからです。
昭和のリリーバーなら、40セーブなんて数字はあり得ません。
ただし、セーブの質が違うのです。
選手寿命を考えれば現在のほうが合理的なのかもしれませんが、ともすれば現在の画一的な選手起用を見ていると、昭和のプロ野球は面白かったなあ、なんて思うこともあります。
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セルフプロデュース能力が高い
という前置きが長くなってしまいましたが、今日書きたかったのは、その慧眼の指揮官、野村克也氏です。
現役の監督時代から、半年に1冊ペースで書籍を出しています。
このブログでも、1度とりあげたことがあります。
⇒
野村克也氏の「弱者の戦法」
同一の人間の本ですから、そうそうネタが無尽蔵というわけではなく、「新刊」でも、以前読んだことのある話が書かれていることが少なくありません。
にもかかわらず、半年ごとに出版できる(つまり一定の売上が見込める)のはどうしてか、というスレッドがWeb掲示板にたっていました。
⇒
野村克也元監督本はなぜ読まれるのか?
『BEST TIMES 5月2日(月)6時0分配信』の記事をもとに、コメントが書き込まれています。
「
凡人であっても正しい努力をすれば成功できることをノムさんは教えてくれている 」というのが、元記事の結論です。
コメントでは、
落語みたいなもん(ストーリーの目新しさではなく表現方法に価値がある)
高齢者が習慣化した購入
言葉が好き(「勝ちに不思議の価値あり……」など)
日本人が好むタイプの人生(貧乏人が努力とハングリー精神で上り詰める)
言葉にできる能力があった。他の選手はそれをうまく伝えられなかった(そういえば長嶋茂雄氏はこの手の本を上梓していない)
サッカーとかと違ってワンプレーで止まる野球だからこそ、足りない部分を考えることで補えるって知らしめたのは大きい
身心共に驚異的にタフな事。あの時代レベルの筋トレをやり込んでも怪我が少なかったり曲がりなりにも40過ぎて現役を続けられたのがその証拠
セルフプロデュース能力も高いから成績以上に相当得してる部分がある。(V9に次ぐ西武黄金時代を築き上げながら、横浜で大失敗して以降はフェードアウト状態になった森と比べると一目瞭然。)
どれも一理あるのでしょうね。
その一方で、批判する側にあるこの意見も面白いと思いました。<
こういう成功者の本を読むときに注意しなければならないことの一つとして、「なにが正しいのか」「正しいとはどういうことか」ということだ。
「正しい努力をすれば成功する」とあるが、むしろ「成功したから、正しいと言える」に過ぎないことが多い
これからどうしようか迷っている人に「こうすれば成功する(確率が高くなる)よ」とアドバイスできる内容なんて何にも書いてない
「ワシはこうやって成功した」なんて本に全く意味がないのは、こういう理由から
むしろ、別の方法ならもっと成功していたかもしれないんだ
その可能性を検討せずに、結果として成功したことを自慢されてもねぇ
どんな偉人の本を読んだからといって、即成功できるわけではない。
ノウハウの優れた情報商材を購入したからといって、即稼げるわけではない。
そういうことです。
なかなか核心をついた意見ですね。
ただ、だからといって、野村克也氏の本を読むのが無意味だというわけではありません。
要するに、それを自分の未来へのヒントにできるかどうかということです。
野村克也氏は、いつもこう述べています。
心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
私の経験から得た持論は、
本当の不幸には宗教も自己啓発も無力である、ですが、それはもちろん、心のあり方などどうでもよいという意味ではありません。
少なくとも、野村克也氏の言う3行目までは理に適った教えであるので、私も今更ですが実践してみようかな、なんて思っています。
師弟
- 作者: 野村 克也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/04/12
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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