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中曽根康弘内閣成立 [戦後史]

中曽根康弘内閣成立 1982,11,27

もともと「和の政治」をモットーとしてきた鈴木善幸内閣だったが、赤字国債の乱発から経済状態が悪化し、党内からも批判が出始めた。また、この頃から日米経済摩擦も始まっており、党の内外からの信頼を失った鈴木善幸は退陣した。

それに代わって登場したのが中曽根康弘だった。行菅庁長官時代から首相代行として総理・総裁の椅子に座っていたが、いよいよ自由民主党で正式に総裁に選出されたわけだ。

11月27日に首相に指名され、直ちに組閣。田中角栄派の登用が多いことから、鈴木善幸内閣同様「角影内閣」と呼ばれただけでなく、人によっては「直角内閣」「田中曽根内閣」とまで揶揄した。

中曽根康弘は就任の記者会見で「仕事本位内閣」と、ことさら実行力を強調した。

以下が、第一次内閣の閣僚である。

内閣総理大臣・中曽根康弘/法務大臣・秦野章/外務大臣・安倍晋太郎/大蔵大臣・竹下登/文部大臣・瀬戸山三男/厚生大臣・林義郎/農林水産大臣・金子岩三/通商産業大臣・山中貞則/運輸大臣・長谷川峻/郵政大臣・桧垣徳太郎/労働大臣・大野明/建設大臣・内海英男/自治大臣、国家公安委員会委員長・山本幸雄/内閣官房長官・後藤田正晴/総理府総務長官、沖縄開発庁長官・丹羽兵助/行政管理庁長官・斎藤邦吉/防衛庁長官・谷川和穂/経済企画庁長官・塩崎潤/科学技術庁長官・安田隆明/環境庁長官・梶木又三/国土庁長官、北海道開発庁長官・加藤六月/内閣法制局長官・角田礼次郎/内閣官房副長官・藤波孝生/内閣官房副長官・藤森昭一

後藤田官房長官と、ロッキード疑惑を抱えた加藤国土庁長官が注目された。藤波副長官は降格人事だが、それほどまでに田中派(後藤田)に気を使ったともとれるし、藤波を内閣に残しておきたかったともとれた。
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