石立鉄男伝説がネットなどで取り沙汰されるようになったのはいつ頃からでしょうか。私は子供の頃から石立鉄男ドラマを見続けてきましたが、そもそも、石立鉄男を大物として取りざたすようになったのは、決して彼がバリバリ出演していた頃ではないように思います。今回は、ユニオン映画が制作したシリーズから石立鉄男伝説について考えてみたいと思います。
石立鉄男というと、
『パパと呼ばないで』におけるセリフ「チーボー」や、CMの「わかめ」、大映テレビの『少女に何が起こったか』の決め台詞「このうすぎたねえシンデレラ」といったものが今も取り沙汰されますが、それらは80年代に柳沢慎吾がモノマネで流行させたものです。
その前には、竹中直人がオーディション番組で、「チーボー」というモノマネをしたのが始まりではないでしょうか。
しかし、竹中直人がそのモノマネを最初に行ったのは、シリーズがすでに終了していた70年代後半の『TVジョッキー』(日本テレビ系)。しかも、あくまで“素人芸”としての出演だったのでイマイチ広がらず、1983年にテレビ朝日の『ザ・テレビ演芸』でグランドチャンピオンになったときのネタとして、「遠藤周作」とともに脚光を浴びるようになったものです。
それまでは、石立鉄男がメディアで取り沙汰されることはあまりなかったと思います。
それは、石立鉄男が、番宣にもあまり積極的には出演せず、芸能人としての話題作りも行わず芸能マスコミを上手に利用しなかったからだと思います。
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ユニオン映画の石立鉄男ドラマ、全盛は70年台前半
石立鉄男の伝説のひとつである、一連のユニオン映画のドラマは、『おひかえあそばせ』(1971年)『
『気になる嫁さん』』(1971年~1972年)『パパと呼ばないで』(1972年~1973年)『雑居時代』(1973年)『
水もれ甲介』(1974年~1975年)『気まぐれ天使』(1976年~1977年)『
『気まぐれ本格派』』(1977年~1978年)であり、中でもネットなどで語り継がれる「名作」の誉れが高いのは『水もれ甲介』以前ですから、シリーズの全盛は1970年代前半といっていいと思います。
しかも、リアル放送時、この一連の
石立鉄男ユニオン映画シリーズは、それほどの人気番組ではなく、安価でしのげるナイター中継の雨傘番組、という位置づけだったようです。
ですから、『パパと呼ばないで』の平均視聴率は11%に過ぎなかったのに、1年間も放送しているのです。
チャンネルnecoより
杉田かおるの著書によると、『パパと呼ばないで』のギャラは1万円。しかも、チーボーが他所の家に引き取られるかもしれない『猫ふんじゃった』の回は、杉田かおるの自宅で撮影したという超吝嗇ドラマでした。
そもそも、まだ映画のスターシステムが序列として残っていた時代ですから、他はともかく主役が、石は石でも「石原裕次郎」ではなく石立鉄男ということ自体、いささかドラマとしては小粒なイメージが有りました。
ですから、本来はそんなに大きな扱いは受けなかったはずですが、それがどうして今も語り継がれる名作シリーズになったのか。
やはり、放送終了後も、午後の4時からの再放送枠で何度も放送したことで、視聴者には刷り込みと親近感が生じたのではないでしょうか。
もちろん、それは、シリーズ各作品がしっかりとした出来だったからであることは言うまでもありません。
つまらない作品なら、むしろ再放送でボロを出してしまいますからね。
スルメではありませんが、噛めば噛むほど味が出たのでしょうね。
ユニオン映画シリーズに共通して言えるのは、オンエア時にバーンと視聴率を上げて世間の注目を集め、スポンサーや出演タレントの時価を上げる、株で言うキャピタルゲイン型ではなく、再放送の繰り返しの中で、世代を超えてゆっくり時間をかけて評価が高まっていったインカムゲイン型の名作だったということです。
2011-04-26 23:01
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