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【激動の戦後史】鳩山一郎政界復帰 [戦後史]

◆1952/09/12 鳩山一郎政界復帰

追放解除直前の脳内出血のために療養中だった鳩山一郎は、この日、日比谷公会堂で政界復帰の第一声を述べた。

自衛隊創設・憲法改正を主張し、積極的再軍備路線でアメリカや財界の支持を取り付けようとした。そして友愛革命を訴えて反吉田茂を唱えた。

鳩山一郎の復帰は、自由党の中に鳩山派を作り、党内の対立を深刻化させた。

翌10月には第25回総選挙で自由党と改進党で憲法改正に必要な3分の2の議席を占めたものの、吉田・鳩山両派の対立から内紛が続きそれどころではなかった。

最終的に内紛は、経団連・商工会議所・同友会・日経連の財界4団体の圧力で鎮静化した。

鳩山一郎は、衆議院議長にまでのぼりつめた鳩山和夫の息子で、政治家としての始まりは東京市議会議員。国会には、大正4年(1915)に立憲政友会から立候補して衆議院議員に初当選している。

鳩山一郎というと、三木武吉のバックアップによる吉田茂との対決、という構図が戦後史としては一般的だが、三木武吉とはもともと党人政治家として東京市議会時代からのライバルだった。だからこそ、三木は鳩山のために一肌脱ごうと思ったのだろう。

もっとも三木武吉は党人だから鳩山を支持したというわけではなく、吉田茂に対しても、話をすれば親近感を感じるから対決の立場を貫くためにあえて距離を置いたふしがあり、党人であろうが官僚であろうが、ひとかどの人物についてはきちんと評価できる目を持っていたようだ。

鳩山一郎は、民族自決主義者であり、後に鳩山や三木武吉らは、吉田茂の米国追従路線に反対して日本民主党を結成することになる。
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JA平取町青年部

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by JA平取町青年部 (2010-07-28 17:16) 

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