『フリー・ジャーナリストになりたい君にー』決断できる人に [マスコミ]
『フリー・ジャーナリストになりたい君にー一業界紙記者が新進ジャーナリストになるまで』(平賀雄二著、アドア/自由空間)という本を図書館で見かけて、久しぶりに読みました。タイトル通り、著者がフリージャーナリストになるまでの話です。
『フリー・ジャーナリストになりたい君にー』は、1992年、つまり今から24年前に発行されています。
私は当時、東京・御茶ノ水の聖(ひじり)橋近くに今もある、書店『丸善』に入って、偶然見かけて購入しました。
ところが、その直後から発熱してそのまま帰宅して寝ていたのですが、高熱のため夜中に目を覚ました時、本書のことを思い出してモソモソと起き上がり、高熱にもかかわらず、夜が明けるまで時間をかけてじっくり読んだことを覚えています。
平賀雄二氏は、ペンネームか本名かはわかりません。
ネットで調べると、最近の仕事はしていないのか、検索してもかかりません。
本書は、平賀雄二氏が、「ギョーカイ紙」の「トリ屋」(取材記者)として就職してから、フリーのジャーナリストとして独立するまでの話です。
表紙は、無地に赤い文字でタイトルが印刷されているだけ。
中は、写真もイラストもなく、本文が組まれているだけなので、低予算で抑えた自費出版かもしれません。
しかし、図書館にはずいぶん配布されているようです。
みなさんがお住まいの地域の図書館にも1冊ぐらいはあるかもしれません。
さて、構成ですが、平賀雄二氏は、まず「ギョーカイ紙」の会社に入社します。
本文も、「ギョーカイ紙」とカタカナで書かれていますが、理由があります。
それは、出版業界では、たとえば講談社とか、小学館とか、文藝春秋社とか、普通の出版社と、「ギョーカイ紙」は区別されています。
「ギョーカイ紙」というのは、ある専門の業界の情報を扱う、文字通り「業界紙」なのですが、たんに特定の業界を扱うというだけでなく、特定の業界だからこそ成立するビジネスモデルがあります。
ドラマなどに、品の悪い「ギョーカイ紙」の記者が、その業界の社長などとツーカーで、情報と引き換えにお小遣いをもらいシーンが出てくることがありますが、それは現実にある話なのです。
たとえば、『週刊文春』が、清原容疑者について報じても、それで誰かが金をくれるわけではありません。
不特定多数の読者の購読や、一般企業の広告出稿で経営は成り立っています。
しかし、「ギョーカイ紙」の場合、その業界でのみ成立するメディアですから、A製紙の情報を、B製紙に流して、お金をいただくことはあり得ることなのです。
また、B製紙から金をもらって、自分の媒体でA製紙の叩き記事を書く、なんてこともあるわけです。
もちろん、広告を出稿する、媒体を買い取る、といった、表向きもっともらしいやり方で集金する場合がほとんどかもしれませんが。
平賀雄二氏は、そういう会社に就職しました。
ただ、どんなビジネスモデルだろうが、印刷物を発行するメディアではあるので、取材の仕方とか、記事の書き方とか、職務上必要なノウハウはあります。
職場の先輩から、それを教わって、平賀雄二氏は、「書き屋」としての力をつけていきます。
そのうちに、「トリ屋」ではなく、ジャーナリストとして身を立てたいと、平賀雄二氏は考えるようになります。
依頼されたわけでもなく、食品の市場調査について書いた原稿を、『潮』という、創価学会系の雑誌社に送ります。
平賀雄二氏は創価学会員ではないようですが、日頃から、いろいろな雑誌に目を通して、自分が書いた原稿にもっと適した媒体が、『潮』だったと考えたそうです。
編集部に電話をして、掲載を直訴すると、編集部は具体的に加筆修正を指示しました。
つまり、そこがクリアになれば、使いますよ、ということです。
そのやり方で、第2弾、第3弾と書き進め、いろいろな雑誌社の編集部に実績を作り、平賀雄二氏は「ギョーカイ紙」を退社します。
「トリ屋」のままでも食べていけなくはなかったのですが、平賀雄二氏はあえて頑張ってフリージャーナリストへの道を進み、「人生の明暗は決断できるかどうかだ」と結んでいます。
私も、なんだかんだ言って決断できない人間なので、そのような結論はストンと胸に落ちます。
これから、ジャーナリストになりたい、と思われる方は、参考に目を通されてはいかがでしょうか。
今はブログがある!
それにしても、物書きというのは、多くの人にとって、あこがれの仕事のひとつなんですね。
もっとも、時代は21世紀になり、今は書籍や雑誌などにこだわらなくても、ネットという、誰でも自分で発信できるメディアが登場しました。
書籍は残るものだから、1度は上梓してみたいという気持ちもわかります。
が、頑張って出版しても、数ヶ月で書店からは消え、数年後には、僅かな部数が図書館の倉庫に所蔵されているだけ(つまり世間的には「ない」と同じ)、なんてことになるケースが大半です。
自費出版したところで、扱ってくれた会社が取次との付き合いをしていなければ、書店に並ぶことすらありません。
しかし、たとえばブログなら、いつでもどこでも誰でも、検索エンジンがあるかぎり、キーワードのニーズでアクセスが絶え間なくあります。
ブログ開設と運営のコストは、安くあげようと思えばいくらでも抑えられますから、自費出版とは比べるまでもないでしょう。
出版社に発行してもらう「企画出版」とくらべても、初版3000部ぐらいの印税なら、ブログにアフィリエイトとアドセンスを貼り付けて、気長に運営すれば集金できます。(←ある程度のアクセス数は必要ですが)
出版社が、その書籍に対して行う宣伝活動も、ブログなら、SEOをきちんと対策したり、ツイッターで、自分のブログのURLをつぶやいたりと、自分でできる宣伝はいくらでもあります。
人気ブログになれば、そこから出版化(もちろん企画出版)の話に発展することもあります。
本書『フリー・ジャーナリストになりたい君にー』を読んで、「決断」の大切さとともに、当時は存在しなかったブログが、それだけすごい媒体なのだ、ということも改めて気づいた次第です。
フリー・ジャーナリストになりたい君に―一業界紙記者が新進ジャーナリストになるまで
- 作者: 平賀 雄二
- 出版社/メーカー: 自由空間
- 発売日: 1992/02
- メディア: 単行本
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