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仏教は世界宗教なんて目指していない、では何を目指している?という話 [仏教]

仏教は世界宗教なんて目指していない、という話

仏教についてエラソーに述べる記事を1週間ぶりに書きます。といっても、今回は知ったかぶった私見ではなく、釈迦仏教の第一人者である佐々木閑さんの、コロナ禍で公開された学生向け動画講義の中から、「仏教はどんな人たちのためにあるものなのか」という話をご紹介します。(画像は以下のOGP動画より)



今日ご紹介したいのは、仏教学者である佐々木閑さん(花園大学教授)の動画です。

佐々木閑さんについては、これまで書籍もご紹介してきました。


私が、いい年して大学院で仏教を学修しようと思った、きっかけとなる先生でもあります。

佐々木先生は、実家が浄土真宗高田派のお寺で、ご自身も得度されていますが、専門は釈迦仏教です。

私は、佐々木先生の著書で、釈迦牟尼の仏教と、現在日本で信仰されている大乗仏教が違うものであることを教わり、だからこそ、変容してまでこんにち存在する仏教とはいったいなんであろうということを知りたくなりました。

今回の動画は、コロナ禍で大学がオンライン授業になった時に、それを一般の人も視聴できるようYouTubeにアップされたものです。

つまり、花園大学に学籍がなくても、授業料を払っていなくても、誰でも動画を見ることができるのです。

15分単位で、たくさんアップされていますが、今回は、「仏教哲学の世界観」1-(9)という動画をご紹介します。


どうしてこの動画かと言うと、ここには、仏教とは誰を対象にして、何のためにあるのか、という根本的なことが述べられているからです。

結論から述べると、仏教は、決して全ての人類に広めるために存在しているものではないということを仰っています。

では、誰のために、何のために仏教はあるのか。

以下、佐々木先生のお話を要約します。

仏教は世界宗教を目指しているわけではない


今から2500年前のインドでは、バラモン教という価値観があり、それは今も続くカースト制度という、人々を差別する考え方をうみました。

そこで、身分差別を否定し、人間はみな平等で、個々の努力によって真の安楽を得るという考え方の人々(沙門)が登場しました。

しかし、その中身は2通りありました。

1.努力で自己実現するという考え方
2.この世で幸福な状態を実現したいという気持ち自体を捨てるという考え方

後者が、釈迦牟尼(お釈迦様)が唱えた仏教です。

お釈迦様は、この世の中で、私たちが努力をすれば幸福になれる、幸福な状態は我々の努力によって実現する、というその考え自体が、実は錯覚であるとしたのです。

なぜならば世の中は、我々が努力すればそれに応じて、我々を幸せにしてくれるような形で動いてはいないからだと。

世の中というものは、私たちがこうありたいこうしたいと言う、自分たちの欲求に従って努力をするその努力に報いてはくれないと言うんですね。

だったら、その時には道は一つしかない。

それは、自分の努力によって、よりよい状態より幸福ろうと願う、その意欲自体を捨てよということ。

人々の、夢や希望やそれに向かう努力を否定したわけです。

しかし、全人類がこれをやったら、世の中止まってしまいますよね。

良いお米を作ろうと農作業することも、新しい発見で世の中を良くしようという研究や技術の研鑽も、みんなが富を得て暮らしを成り立たせようという経済活動も、すべて否定したら、社会は成り立ちません。

もとより、釈迦牟尼は、人生を幸福に過ごしている人や、努力で自己実現できる人を否定しているわけではないのです。

そういう方々は、今のままがんばってください、と。

つまり、仏教はそもそもが、全人類を対象にした宗教ではないのです。

佐々木先生は、こう解説します。

「仏教の目的は、より良いものを求めるという当たり前の人間の価値観、この世俗の価値観の中で生きることのできない人。その生き方からどうしても外れてしまう、つまり進歩や夢やそういうものを目の前の目標として生きることができなくなってしまった人、もっと言うと生きることに絶望を感じるような人、そういう人たちを選んで、すくい上げる受け皿として現れてきた宗教なんです」

世界の三大宗教といえば、キリスト教、イスラム教、仏教のことですが、佐々木先生は、それを「バカバカしい言い方」としています。なぜか。

「他の2つの宗教と同じように、世界宗教を目指しているようにとらえられますが、そんなことは全然ないのであって、仏教というのは常に世の片隅にあり、そしてメインストリームからどうしても外れてしまう生き方の人たちを受け入れつつ、いつまでもその人たちを救い続けるというのが仏教という宗教の本筋なんですね」

生きづらい人に寄り添う宗教


佐々木先生の動画を見て、なぜ、仏教が悠久の歴史を以て、人々に受け入れられているのかが、よくわかりました。

たしかに、人生は一切皆苦で生きづらいと思います。

恵まれたほしのもとを上手に活用した人や、処世術にたけた人だけが、良い思いをするような気がします。

少なくとも私は、佐々木先生が仰るところのメインストリームを外れている、人生を失敗している者です。

ただ、私の場合、その一方で、今以て「努力して自己実現する」という生き方も、往生際悪く諦めてはいません。

それはやはり、「自分は、今まで本気になって努力したことなどあったのだろうか」と、自分の人生を胸を張って誇れない後ろめたさみたいなものがあるからだと思います。

いや、努力したつもりではありますが、世の中の人が非の打ち所なしと認めるような「努力」というのは、もっと桁違いのものなんだろうと見定めています。

ですから、このまま人生を終えてしまうと、やはり後悔すると考え、ずいぶん歳をとってしまいましたが、これからでもできることは何でもやりたい、と思っているわけです。

でも、それは、仏教のような、弱者のための救いがあるからこその「強気」なのかもしれません。

葬式仏教なんていいますが、葬儀や法事のときだけでなく、日常的価値観についても、仏教的にはここはどうなんだろう、なんて立ち止まって考えてみると、新たな気づきがあるかもしれません。

みなさんは、人生の道筋に行き詰まったことはありませんか。

今その最中という方は、ぜひ仏教の啓蒙書や、佐々木閑先生の動画などご覧になってください。

宗教の本性: 誰が「私」を救うのか (NHK出版新書 656) - 佐々木 閑
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ブッダ 100の言葉 ~仕事で家庭で、毎日をおだやかに過ごす心得 - 佐々木 閑, 佐々木 閑
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mau

世界宗教、中心にある方々の多くは目指してない気もします
by mau (2024-03-09 01:12) 

赤面症

素人信者のオルグではなく、大学の講義が聴けるのが良いです(^o^)
by 赤面症 (2024-03-09 01:20) 

南無

仏教の本質についての洞察は、多くの人々にとって啓発的であり、特に現代社会において重要な意味を持つと感じます。仏教が全人類を対象としていないという視点は、宗教が個々人の内面的な探求にどのように役立つかを理解する上で興味深いです。また、仏教が生きづらさを感じる人々に寄り添う宗教であるという点は、多くの人にとって大きな慰めとなるでしょう。私たちの多くは、人生のある時点で行き詰まりを感じることがありますが、佐々木先生の動画講義は、そのような時に新たな視点を提供してくれます。
by 南無 (2024-03-09 04:19) 

pn

粘着的に勧誘してくる人たちに聞かせたい。
by pn (2024-03-09 06:24) 

安奈

こんにちは。
三大宗教って、キリストイスラムユダヤだと思ってましたorz
確かに仏教はそんなところは目指していなさそうです。
by 安奈 (2024-03-09 09:45) 

扶侶夢

人の世の、矛盾に対する答えの様にも捉えています。
by 扶侶夢 (2024-03-09 14:41) 

Take-Zee

こんにちは!
無宗教ですが家内がお世話になっています。

by Take-Zee (2024-03-09 14:54) 

コーヒーカップ

春先は宗教関係の訪問来ます。
居留守使いますけどね。
行き詰まりはやっぱり不運にも背負った
多額の借金ですかね。
何とかしてチャラにしました。
by コーヒーカップ (2024-03-09 14:59) 

tai-yama

開祖は世界的な統一はめざしていないかと・・・
周りの関係者が勢力拡大を目指しているだけと言う。
by tai-yama (2024-03-09 19:06) 

そらへい

父や母が亡くなっていったときの安らかな顔を見たときは
何か感じるものがありましたね。
by そらへい (2024-03-09 20:59) 

よいこ

悩みや疎外感を感じる全ての方が、すごく救われる話だなと思いました。
宗教から戦争が引き起こされることも多いので、そこを目指さない仏教の考え方はいいですね
by よいこ (2024-03-10 04:03) 

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